【4-13】姉妹、巡愛 ―メグリアイ―
まず私が最初に感じたのは、甘く
次いで瞳に映ったのは、この世ならざる幻想的な景色と、肌を駆ける心地よい夜風。
もしこの世に神がいて、それが現世の美しさを解するならば。
きっと今この庭園にいざなわれ、天上から舞い降りてきただろう。
真紅色の花弁が、ぱっと視界に舞い散って。
それが風の
「きれい……」
となりにいる透歌が、めずらしく情緒的な感想をこぼす。
私も同じ想いで、訪れた庭園の姿に目を奪われていた。
その美しさに誘い込まれるように、私たちは庭園に足を踏み出す。
湖を渡る風がほどよく吹き付けるたび、庭園に真紅の花が乱れ舞う。
やがて花嵐の向こうから、少女の声が聞こえてきた。
「――――あねうえ……」
だれ――?
そう思って、私は声の方角に目をこらす。
庭園の終端部に、私そっくりの衣装を着た薬師の娘が立っていた。
まだ20歳にも満たなさそうな、
その少女が乱れ舞う花弁の向こうで、優しげな微笑みを浮かべていた。
(あれ……どこかで、この子とは会ったような)
そんな気もするが、すぐには思い出せない。
名前も知っていた気がするが、これも思い出せない。
しかし名前については、となりの
「かなで」
そう。かなで――瑞原、
私が
確か私が入院していたときに彼女が現れて、ここで
(あれ? そうだったっけ?)
何か引っかかりを感じたが、
「お久しぶりです、あねうえ。瑞原の里で別れて、10年ぶりでしょうか?」
「そう……ね。ずっとずっと、奏を探してた。奏は生きている、いつかまた、巡り会える――それだけを思って、今まで私は生きてきた」
こんなときでも、一見すると透歌は普段の態度を崩さないように見える。
しかし、よく接している私には分かる。いつにない感傷的な声音と表情だと。
いつもムリして心を押し殺しているだけで、きっとこれが本来の姿なのだろう。
「私もずっと、姉上に会える日を信じていました。それがようやく叶って、本当に嬉しく思います。『春ごとに 花のさかりは ありなめど』――子供のころ、姉上が教えてくれた歌のよう」
「『あひ見む事は いのちなりけり』――命あればこそ、また春に巡り会える、ね」
思い出の
そんな二人のやり取りを見て、私は微笑ましく、少し羨ましくも感じてしまう。
(もし私も、家族とこうして通じ合えたら――)
そんな想いに駆られるのは、私がこの姉妹に感情移入しているせいだろうか。
瑞原の姉妹が心を
「あねうえは、少しお変わりになられた? なんだか、とても落ち着いてみえる」
「10年も過ぎれば、人は変わるもの。
親しげに姉妹は語り合うが、なぜか
直接ふれて感じて、存在を確かめたいとは思わないのだろうか――そう思っていると、急に
「……ありがとう、マハ。例え一時でも、私の願いが叶ったように思えました」
「え?」
その言い方に、私が奇妙な違和感をおぼえた、そのときだった。
ざざっ――と、突然に一陣の突風が庭園を駆け抜けて。
その風に合わせるように、男の途方もない
「見つけたぞ、そこだな小賢しい幽霊娘がァッッ!!」
その一声が、すべての――そして束の間の、姉妹の幸福な時間を吹き飛ばす。
とたんに
「ちっ、まさか見破るとは!」
薬師姿の瑞原
その銃口の向く先には――先ほどまでは存在をまるで示さなかった、バルドー帝。
バルドー帝もまた
「えっ、陛下!? いったい今まで……あれ、私なんで」
急に霧が晴れたような感覚と共に、私は皇帝陛下と一緒だったことを思い出した。
なぜ今まで忘れていたのだろう。そして陛下は、今まで何をしていたのだろう。
私が頭を振って思い出そうとしていると、陛下が私たちと奏の間に割って入った。
「この亡霊女が仕掛けた幻から覚めたか、マハよ」
「え、え……??」
文字どおりキツネにつままれたような顔で、私が陛下の背中に見入っていると。
「ヌシは、この亡霊女に幻覚を見せられていたのだ。『幽霊の正体見たり枯れ尾花』とは、良く言ったものだな。しかし余人ならともかく、このバルドーにかような幻術は通じぬ。ワシのドラゴン・リートは、マヤカシの神通力さえ変質させるのだ」
陛下はそう言うと、おもむろに左腕をまくる。
「
その呼びかけと同時に、陛下の周りに異変が起きた。
竜巻に
その現れた二重の呪文の文言には、それぞれ何度も繰り返し、こう描かれていた。
『今盤堂ゝ 思日絶那無 止八可利遠……』『人徒天那良天 以不与之毛可奈……』
呪文は陛下の身体を取り巻くように立ち上ると、その頭部を瑞原
頭部――そう、その二重
私たちが神と信じる『
「文字鎖……!」
これを陛下が呼び出したということは、目前の少女を敵手とみなしたのだ。
瑞原
陛下は臆する素振りを
「どこから現れた亡霊かは知らんが、なかなかの美人だな。抱きたくなったぞ」
うわあ……私を抱けなかったからって、今度は幽霊を口説いてるよ、この人。
陛下の女癖の酷さに私は閉口したが、それは瑞原
「お断りします。バルドー・バルバロイ・シュゼン。あなたにくれてやるのは私の身体ではなく、この鉛の弾丸だ!」
それだけ言うと、瑞原
一度ならず、二発三発と。続けざまに撃ち放たれる銃弾。
扱いに慣れている者なら外さない距離だったが、しかし陛下は動じない。
「ふん。
同時に文字鎖がぐるりと一巡りすると、キンキンッと弾かれる金属音がした。
銃弾を防いだ陛下はまるで動じることなく、
「さて亡霊よ、我が命が目当てか。
銃撃を弾かれた瑞原奏が、厳しい顔で答えた。
「
瑞原
それは最初から銃には期待していないかのような、執着の無さだ。
皇帝はその態度を見て
「ゆえにワシに幻覚を見せ、殺すと。殺して姉を奪い返し、己の
「そうです」
「面白い、どうやって? 見ての通りワシに銃弾は通じぬ。ならば足下に突き立てた剣で立ち向かうか? せっかくだ、ワシも剣で相手してやるぞ」
そう言うと、陛下は腰に帯びていたサーベルを抜いた。
そんなに醜く肥満して、まともに剣なんて振るえるのかな――と私が思ってると。
ブゥン!!
なんと陛下が剣を一振りしただけで、ものすごい
風を裂く、なんて優しいものじゃない。これは風を壊しへし潰す音。
その音を聞いた私は、すぐに自分の認識が間違ってると気づいた。
「…………」
瑞原
彼女は答えの代わりに、何か独り言をつぶやく。
その反応を見た陛下が、つまらなさそうに一喝した。
「どうした、臆したか! 哀れよな、無力とは! 武力も権力も財力も持たぬ者は!
何も果たせず変えられず、出来ると言えば日夜、
あからさまな挑発。
陛下の言葉の数々は、明らかに相手の激昂を誘おうとするものだった。
「
となりの
自分の妹が罵声を浴びている姿を見て、内心つらい想いをしているのだろう。
そんな
(あれ? でも七城奏は、妻は1年前に死んだって)
だから私が目にしている瑞原奏は亡霊で幻で、その亡霊が幻覚の花の効果で空中庭園に現れて――と思ったところで、ようやく私は気付いた。
(え、違う! そう言えば瑞原の里で、私は彼女と会ってる!)
先ほどまでは幻術にかかっていたせいか、そのことを思い出せなかった。
あのとき瑞原
(ガケから落ちても
身体を触れられた感触も、ヤスリで切りつけられた痛みも、確かに実感している。
だから私は『瑞原
(でもあのとき
瑞原のときも、この空中庭園のときも、私は幻覚を見せられていた?
じゃあ今のこの『瑞原
じゃあじゃあ、だとしたら『七城
(ええ、もうどうなってるのか、ワケが分かんない……)
いま私の目の前に、確かに瑞原
なのに、彼女が実在しているという確信が、まるで持てない。
頭の中が混乱して、もう何が『ほんとう』なのか、まったく掴めない状態だった。
(
そう思って
独り言を繰り返していた瑞原の少女が、やがておもむろに口を開いた。
「
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