【4-08】バルドー帝の『撲殺明理』

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 マハに病院を追い出された帰り道、俺は計画を練っていた。


「王宮の空中庭園か。これは面白くなってきたな」


 当初の構想だった「姉上を瑞原かなでに会わせる」という目的は、今は二の次。

 それよりも、これは姉上を朱泉国しゅぜんこくくびきから解き放つチャンスの到来だ。


かなで、またワルそうな顔してるんだけど」


 俺とマハの会話を聞いていたアーテイ氏が、呆れたような顔をした。


「ふん。マハの手引きと俺の呪歌リートの力があれば、必ず空中庭園に忍び込める。宮中奥深い禁足地きんそくちともなれば、警備や護衛もかなり制限されるはず。つまり上手くおびき出せば、皇帝や神祇官じんぎかんすら殺せるということだ」

「え……そんなこと考えてたの、さっき? あんなアホみたいな会話しといて?」

「お前は、俺が単なるお節介でマハの案に乗ったと思ってたのか」

「あてぃしドン引きですよ? まさかかなでがマハも透歌とうかも利用する悪党だったなんて」


 俺は道路の上にある落ち葉に目を落としながら、淡々とつぶやいた。


「……詭道きどう奇略きりゃくは道化師の常だ。それに昔の武将や兵法家も言っていた。『はかりごと多きは勝ち、少なきは負ける』――と。この世は所詮、より嘘が巧いヤツが下手なヤツに勝つ仕組みだからな」


 自分でもロクでもない、くだらない仕組みだとは思うが、どうにもならない。

 より嘘が巧いヤツが歴史に正義を刻めることは、今の帝国と黒主を見ても分かる。

 そんな連中を打ち倒したいなら、ヤツらの嘘をさらに出し抜くしかないんだ。


「でもさー。あてぃし思うんだけど、かなでってそういうの、しんどいでしょ?」

「…………まさか」


 アーテイ氏と話しながら、市街地へと出る。

 閑静な郊外の病院から、喧噪けんそうあふれる都市部の区画へ。

 すると棄京ききょうのときと同じように、立体結像で演説する黒主の姿が見えてきた。

 とはいえ今度は上空ではなく、ヤツの姿は街角にある映像機に現れている。

 映像を映す設備が多く備わっている帝都なら、その方が効果的なのだろう。


「また、アイツか」


 俺は苦い顔を浮かべたが、演説の内容は気になるので聞き耳を立てようとする。

 どうやら黒主の演説は、先日と同じように呪歌リートに関わるもののようだ。

 しかし俺が画面の近くまで来た辺りで、黒主は演説を切り上げてしまった。


「ち、終わりか」

「なんて言ってたんだろ、気になるね!」


 アーテイ氏の言うとおりだが、仕方ないので俺はきびすを返そうとした。

 しかし画面に背を向けたところで、今度は別の人物の声が流れてくる。


「……臣民ども、今の黒主の言はごとではない」


 男性の居丈高な声に、俺は振り向いた。

 映っていたのは豪華な宝飾を全身につけた、贅肉で肥え太った初老の男。

 その男は燦然さんぜんとした椅子に腰掛け、足を組んでこちらを睥睨へいげいしていた。


「ヤツの言葉は、この朱泉国皇帝バルドー・バルバロイ・シュゼンの意志」


 おもむろに話し出した肉塊は、ひどく醜い態度だった。

 言葉を紡げば口からツバが飛び、大きな腹がうねり、頬の肉がゆがむ。

 その醜悪さは、あらゆる享楽を身体に詰め込んだ合成獣(キメラ)のようで、俺はこの男が同じ人類にすら見えなかった。


「コレが、皇帝……?」


 この醜悪な肉塊が『皇帝』を名乗ったのは、悪夢としか思えない。

 しかし、これが悪夢でも嘘でもないことは、すぐに周りの反応で分かった。


「陛下だ」「ほら、西の遠征から戻ってきたから」「ああ……」


 黒主のときと違い、聴衆には威圧されたような動揺が広がっている。

 しかし大衆の反応など気づかない皇帝は、尊大そうに鼻を鳴らすと続けた。


呪歌リートを渡さぬ者、それをかくまった者、黙って見逃した者。呪歌リートの情報を伏せた者、協力せぬ者。これらはすべて――逆さづりの刑に処す!」


 そこで言葉を切った皇帝が、ニィッと笑った。

 その剥き出しになった歯は派手な金歯ばかりで、趣味の悪さをうかがわせる。


「朱き泉の民たちよ。ワシに従い、ワシがつくる世界の礎となれ」


 そう言うと皇帝は、おもむろに左腕をまくって見せた。

 現れた太い左の前腕には、黒蛇が巻き付いたように、呪文が刻まれている。


  『今盤堂ゝ 思日絶那無 止八可利遠 人徒天那良天 以不与之毛可奈』


 画面越しに大きく呪文を映しながら、皇帝がそのリートについて語る。


「これは『暴虐のリート』。呪文は『今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな』――この呪歌リートを宿した者は、殴った相手を本質ごとデタラメに変貌させる」


 皇帝が見せつけた呪歌リートを見て、俺は顔を険しくさせる。

 黒主が呪歌リートを持っていることは知っていたが、この皇帝も持っていたとは。


「面倒な事になりそうだ」


 思わず、独り言が口を突いて出る。

 しかし画面の男にその言葉が聞こえるはずもなく、皇帝はさらに語っていく。


「しかもワシが諦めぬ限り、たとえ三千世界の果ての果てまで逃げようと、必ず攻撃が当たる。つまり黒主よ……」

「えっ、ボクまた何かやっちゃいましたア?」


 唐突に名が呼ばれると同時に、映像が引いて黒主の姿が映り込む。

 しかし黒主がマヌケな笑顔で、バルドーの方を振り向いた瞬間――。


「ふんぬゥゥゥゥッッッッ!!」


 皇帝は肥満体らしからぬ俊敏な動作で、いきなり神祇官じんぎかんの顔を殴り飛ばした。


「ぶべぶぼぉ>★※○×ぅぅぅうンンっッ■♂♂☆〒♪♪!!??」


 殴られ、悲鳴を上げた黒主の姿が、またたく間に変容していく。

 全身からは枝が伸び、上半身だけのカラスが何羽も生え、その黒い肌をついばむ。

 口からは、悲鳴ではなく音符が次々に吐き出され。

 耳からは、無数のミミズがボタボタ垂れ落ちて。

 両眼はスロットのリールのように回転し、面白おかしい図柄が流れていく。


 一瞬にして黒主の顔貌がんぼうは、滑稽こっけいなまでにムチャクチャな変容を遂げてしまった。


 しかし皇帝バルドーは、その異様な出来事を意にも介さない。

 むしろ「そうなるのが当然」とばかりに泰然としたまま、ヤツは『黒主だった何か』を、椅子に腰掛けたまま画面外へと蹴り飛ばした。


「ぎゃぶ↑↓↓〆※△♀♯★♪♪ン!!」

「……こうなるわけだ。代わりに説明しろ、透歌とうかよ」


 画面外に蹴り飛ばされた黒主に代わって、今度は別の女性が現れた。

 黒主や皇帝とは対照的な、清楚な白の千早を羽織った――見覚えのある若い女性。


「……はい。帝都斎王を務める透歌が、陛下の呪歌リートについて、お話しします」


 先ほど市場で会った女性と同じ容貌。

 愕然とした俺は、思わずつぶやいてしまう。


「姉上……!?」


 しかし当然のこと、俺の言葉は画面に映った彼女に届くことはなく。

 帝都斎王、瑞原透歌とうかは淡々とした口調で、皇帝のリートについて話し始めた。


「63番、暴虐のリート。またの名を世上荒三位せじょうあらさんみ撲殺ぼくさつ明理めいり『終わりの破離拳はりけん』――」


 俺は映像を正視するのに耐えられず、思わず目を背けた。

 あの姉上が、あんな汚らしい男の隣に侍っているのを見るだけで、胸くそ悪い。


「――その呪いとは、撲朔ぼくさく謎離めいりしゅ


 こんな野卑な豚みたいな図体の男が、瑞原を滅ぼしたのか。

 あの渡り蝶と香水蘭フジバカマの美しい里を滅ぼし、かなでを不幸に落とし、姉上を奪ったのか。


「すなわち、『別れる恋人に直接会い、殴り殺して男女の区別もつかない肉塊に変えてしまえば、未練が残る相手でも諦められる』という……」


 姉上が語る皇帝のリートの内容すら、ロクに頭に入らない。

 しかしリートの説明を締めくくる最後の言葉だけは、自然と頭に滑り込んできた。


「ドラゴン・リート・プログラム――別名、竜咒りゅうじゅ。神が創りし異法の力です」

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