【3-12】嫉妬の少女、瑞原奏

「妻……」


 私は、けっこんなんてしたことない。

 それ以前に異性を好きになる『れんあい』という感情すら、経験したことがない。

 だから同世代の子に言われると、何だか自分よりすごい存在に思えてしまう。

 だけど――。


「で、でも。かなでおくさんは1年前に死んだって」

「死んだはずの人間が、こうして動いていたら変なんだ? だったらマハは何?」

「う……」


 痛いところをかれ、私は返す言葉をなくしてしまう。

 確かに私は鳥辺野でたれて死んだけど、今はこうして元気でいる。


「言いなさい! 教会でたれて死んで、なぜあなたは生きてるの!」

「それ、は……もともと私が、呪歌リートで生き返った、特別な人間だか、ら……」

「ふうん、そうなんだ。でも本当かなあ。ベクターってうそつきだもんね」


 みずはらかなではそう言うと、やにわに私の耳をつまみ上げ、勢いよく引っ張った。

 いきなり引っ張られた痛みで、私は思わず悲鳴を上げてしまう。


「あうっ……!」

「でも本当なら、おたがい死人同士だよね? だったら私たち友だちにならない?」


 友だちに――と言いつつ、私の耳を引っ張る力は、どんどん強くなる。

 痛いけど、はんげきなんて気持ちは不思議と起きなかった。

 この1年前に死んだという少女が言うように、死人同士で共感したのだろうか?

 それとも奏のおくさんというかのじょに対し、無意識で何かえんりょしているのだろうか?


「~~~~~~~~っ!!」

「おいでマハ。この花畑はね、がけからのながめもきれいなんだ。こっちだよ」


 みずはらかなでやさしく言うと私の耳を引っ張り、ムリヤリに立ち上がらせた。

 そのまま引きずるように歩き出し、花畑をかきわけてがけの方へと連れていく。


「ほら、ここ。雨上がりだからさんかって、てきでしょ」


 がけまで連れてこられたところで、やっと私は耳をはなしてもらえた。

 ざんきょうするように痛む耳に顔をしかめながら、私はけいこくの景色をわたす。

 山のしゃめんに沿って、白波みたいに滑昇霧かっしょうむがたなびいている。

 その白いぎりの中にかくれする山々は島のようで、確かにげんそうてきな風景だった。


「う、ん……きれい、だね……」


 いっしゅんだったが起きている出来事も忘れ、景色に見とれてしまう。

 すると景色をながめている私の後ろで、みずはら奏が語り始めた。


「10年前のこと。このみずはらの里をおそった黒主とベクター兵から、姉上は私をがしてくれた。でも私はれい商人につかまってしまい、北東にあるつるの港から、はるばる北の流鬼国りゅうきこくまで売り飛ばされてしまった」


 私はこうとしたけど、できなかった。

 なぜなら後ろから首筋に、するどい金属の物体がきつけられたのを感じたから。


(ヤスリ……!)


 昨日、おに入るときに私も手にしたから、それが何かはすぐ分かった。

 かなでが小道具としてこしにさげていた、あのヤスリだ。

 これが十分に武器になりえることは、礼拝堂でかなでが使っていたので分かっている。


(どうしよう……?)


 ていを出て旅をする以上、最低限の護身道具なら私も持っている。

 だけど武術の心得なんて無いし、本当に気休め程度のものだ。

 だったらリートの力でける? でも『天花のリート』では……。


「昔でいうカラフト。とても寒い国よ。そこで私は子供のれいとして働かされた。何年も、何年も……死んだら解放されるのに、それもかなわなくて……ごくとしか言いようがない日々だった」


 首にきつけられたヤスリに力がもり、その切っ先が私のはだいた。


「つっ――!」


 血が流れ出るかんしょくと共に、思わず短く悲鳴を上げる。


「ふふ。生き返ったベクターでも、一人前にあかい血を流せるんだ。ふしぎだね」


 背後でみずはらかなでが、うれしそうに笑った。

 同時にかのじょしたヤスリがつぅっと引かれ、私の傷をゆっくり広げていく。

 私はけんめいに声をこらえ、その痛みにえようとする。


「……っ……くっ……ううっ……!」

「こんなことも、されたなあ。それも毎日のように。でもそんなごくにいた私を、ある名も無いどうが助けようとしてくれたの。結局かなわなかったけれど、でもかれは私に言ってくれたわ。私に幸せをくれるって。私を苦しめる悪い人たちは、全部たおしてくれるって」


 まれていく痛み。

 はらいたいけど、みずはらかなでの得体の知れないはくりょくおびえ、動けない。

 下手にはんげきしたら何をされるか分からない――そんなきょうが、私をしばっていた。


「泣いちゃうほどうれしかった。だから私も決めたの。かれしいもの、あげるって」


 首筋の痛みがどんどん強まる一方で、私の目にはなみだかんでいた。

 なのにみずはらかなでは止めるどころか、いかりをねじむようにヤスリに力をめていく。


「ほんとうは、あるよ――ウソがキライなかれに、私は身も心も真実を全てささげたの。いっしょおくを共有して、いっしょていこくふくしゅうしようって。ねえ分かるマハ? だから他の女が……それもベクターの女がむなんてこと、絶対に許されないの!」


 そう言うとみずはらかなでは、いきなり左手で私の胸をつかんできた。


「うくっ――や、め――!」


 ぶさわしづかみにした手に、おそろしいほどの敵意がこめられる。

 その、胸を引きちぎりそうな勢いにきょうを感じ、私は思わずきょぜつしてしまう。

 だけど……そのきょぜつこそが、かのじょの激情に火をつけてしまった。


「それは私のセリフよ――――私とかれの間に、入ってこないでっ!!」


 危険を感じ本能的にいたところで、後ろからばされた感覚。

 さらにいた視界に映ったのは――。


「――――あなたなんかっ!!」


 目の前にせまったのはヤスリ。次いで、顔に焼き切られるような痛み。

 その痛みに気を取られたところで、またばされる感覚。

 よろめいた足が、しかしすぐに足場を失って。


「あ――――」


 とつぜん落ちていく身体。

 最後に見たのは、いかりの顔でがけ上から見下ろす『みずはらかなで』の姿だった…………

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