【3-10】マハと天花のリート

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 はかつてりゅうと戦いし薬草であり

 þis is seo wyrt seo wiþ wyrm gefeaht,


 毒にあらがう力と、病を退ける力をあわ

 þeos mæg wið attre, heo mæg wið onflyge,


 そして大地をはいかいする、むべき敵をはらう力がある

 heo mæg wið ðam laþan ðe geond lond fereþ.


 『私』マハ・ベクターはヤシロをおとずれた帰り道、山を下りたところで、かえってつぶやいた。


「古い薬草のじゅもんよね。でも、なぜリートをふうじる結界に?」


 独り言をつぶやきながら、下りた先にある、けいりゅうの石橋をわたっていく。

 さっきまではさめだったけど、もう雨はやんでいる。

 とはいえ雨上がりのあしもとれていて、油断するとすべって川に落ちそうだ。


「まったく……リートのふういんに、そとくにの言葉なんて使わないでしいんだけど。あんなの知ってるの、朱泉国しゅぜんこくきゅうていでも何人もいないでしょ。じん変人の黒主ならともかく、こっちは単なる薬師なんだから」


 言ってるうちに、だんだんと腹が立ってきた。

 古い外国の言葉なんて、本来ならいっぱんじんが読めるものじゃない。

 それでも私が読めたのは――。


「たまたま、こっちがそとくにらいじんの子孫で、薬業が専門だから読めただけで」


 運良く私――マハ・ベクターに異国の知識があって、さらに薬師だったからだ。

 それでも結界の解除には大いに時間をついやし、その間に雨はやんだわけで。


「おかげでずいぶんと時間を取られたな。かなではまだ待ってるのかな」


 石橋をわたると、今度はマリーツィアさんの家に至る坂を登っていく。

 結構な時間がったし、もうもどったらこいびとうんぬんの話はやめてしいところだ。


「ともあれ……瑞原の呪歌リートが回収できて良かった」


 つぶやいて足を止めると、右手首に宿った呪歌リートながめる。

 からみつくへびのようにえがかれた手首のじゅもんには、こう刻まれていた。


『君可太女 春能野耳出天 和可奈摘 和可己呂毛手尓 雪波不利川ゝ』


 手に入れたリートのじゅもんを見つめる。

 これが一体どんなリートなのか、それも私は知っている。


「15番、天花のリート。そののろいは種々しゅしゅ薬帳やくちょうしゅ。すなわち――しちなんやくしりぞく歌『典薬の伝、病無やみなし草子ぞうし』……ふふ、手に入れた呪歌リートが薬草をむ歌だなんて、神さまも気がいてるね。まるで私のためにあったみたい」


 運命のめぐわせにしょうしながら、しげしげとじゅもんに目をこらす。


「だけど逆理のリートとちがって、こっちは守備的だよね。成立する条件も利他的だし、他人の呪歌リートうばるには向かない。かなでからうばかえすには、向かない」


 あのどうの顔を思い出す。

 七城ななしろかなで

 アイツは私がわたした『さかかぜ』のリートを手放したと言ってたけど、たぶんうそだ。

 昨夜のおではもどせなかったけど、きっと今も持っている。

 きっとあのときは、私をあきらめさせようとうそをついたんだ。


「『逆ツ風』……黒主すら従えるほどの力……あのリートは、もどさないと」


 あの『願いを逆しまにかなえる』リートは、『じんろっせん』の黒主すら破るのろい。

 そんな強大な力を、あのどうに持たせておくのは危なすぎる。

 もしかれに持たせておけば、あの力はきっと大きなわざわいになる。


かなでは、きっとうらんでる。朱泉国しゅぜんこくと、黒主と、ベクターと……ううん、それだけじゃない。そんなかれらをじゃに信じ、あがめている人たちも」


 『――あいにくおれみずはらほろぼした、ていこくとベクター兵がキライでな――』


 そう口にしたときのかなでの表情を、私は忘れられない。

 だんひょうひょうとしているかなでけいはくじょうだんめかし流したがるどう

 そのかれの顔つきに、あのときはほのぐらぞうと敵意がよどんでいた。


「危ない。あのぞう呪歌リートと結びついたら、その感情は世界だってほろぼす」


 でも。取り返すとして、どうやって?

 かなでの身体には、もう呪歌リートこんせきは見えなかった。

 私の知識では、呪歌リートは宿主を殺すかじゅもんを傷つければ解放されるけど、じゅもんが身体に見当たらないと、後者の方法は難しい。だからと言って簡単に人殺しするわけにもいかず、私は頭をかかえてしまう。 


「せっかく『逆理のリート』をからうばったのに、奏にわたしたのは失敗だったかな……兵士をたおしてくれないと私が助からなかったから、仕方ないとはいえ」


 マリーツィアさんの家は近いけど、私はまだもどる決心がつかなかった。

 できれば奏と顔を合わせる前に、この後どうするかを決めておきたい。


「うーん、どうしよう……って、あれは?」


 私がくして考えていると、坂の上にある花畑にひとかげが見えた。

 まだ空はうすぐらくもっているし、角度が悪いから顔はかくにんできないけど、あれは。


かなで……?」


 服装がかなでのものなのは、ちがいない。

 かれは少したよりなげな足取りで、香水蘭フジバカマの花畑をめぐあるいているようだった。


「どうしたんだろ」


 私はどうしようか迷ったけど、かなでの後を追うことにした。

 マリーツィアさんの家にもどって、またこいびとネタでからかわれるのもイヤだし。


「奏!」


 呼び止めるが、奏は気づかない。

 静かな山里なのに声に反応せず、かれは花畑をふらふらとさまっている。


「ああ、もう」


 仕方ない。私もかれが居る花畑への道を登っていく。

 登り切って見回すと、すみのほうにあるユズの来の下に、かれの姿があった。


「かな――……で?」


 呼びかけようとして、足を止める。

 確かに、その人はそこにいた。

 見覚えのある服装。こしにはどうの仮面をげて。ヤスリもいっしょつるしていて。

 それに初めて出会ったときのように、手にはユズの実をにぎっていて。


 でも、だけど。

 その人の姿は、明らかに私の知る『七城ななしろかなで』ではなかった。


 声をかけられ、その人がこちらをいた。

 気づく。

 この人は、かなでじゃない。着てるものはかなでだけど、この人は奏じゃない。


 その人はかなでより長いくろかみで。かなでよりも低いたけで。かなでより少しだけ幼く見えて。

 それに丸みを帯びた身体とふくらんだ胸は、どう見たって――……。


「おかえりなさい」


 『かのじょ』が、口を開いた。

 たおやかな容姿とたんせいな顔立ちに似合う、すずが鳴るような、自然でんだこわいろ

 そう。その人はまぎれもなく、うら若い少女だったのだ。

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