【3-09】亡き妻への変身

 近くの細道を登り、あの香水蘭フジバカマの花畑へと。

 渡り蝶アサギマダラが花のみつさそわれ、吸い寄せられるように歩んでいく。


(……そうだ。おれがやらないと)


 降り続けるさめの中、細道を登り、花畑に足をれる。

 れた土草のにおいがこうをくすぐり、深山の空気がよどんだ肺を洗っていく。

 そうすることで、ようやく乱れた心に落ち着きがもどってきた。


「……いや、アーテイ氏の言う通りだ。おれが集めないと、朱泉国しゅぜんこくにリートがわたる」


 高台からあまぎりにけむる里の景色をながめながら、つぶやく。

 するとだまっていたアーテイ氏が、顔をうれしそうにほころばせた。


「その気になった?」

「ああ。考えてみれば、マハはしゅ泉国のきゅうてい薬師だ。アイツにリートを持たせれば、それだけていこくかかげた世界が現実に近づく。まんで築かれた真実の世界、がな」


 黒主の演説を思い出すだけで、ヤツらの望む世界にきょ反応が起きる。

 マハとは少々親しくなったからと言って、ヤツらの野望をかなえる気にはなれない。


「じゃあマハがリートを持ってもどったら、うばおうよ。ここならとがめる人も居ないし」

「しかし、アイツはまだおれ呪歌リートの宿主だと、まだ疑っている。手に入れたらおれのこともけいかいするはずだ。そうなるとしゅうは出来ない」


 百人一咒ひゃくにんいっしゅ。100のリートを集めた者には、世界に法則をあたえる特権が手に入る。

 その特権を求めて争いが起きると知っていれば、他の宿主に油断はしない。


「じゃあ正面対決?」

「それもけたい。アイツはおれ呪歌リートを知っているが、おれはアイツが手に入れる呪歌リートの内容を知らない。正面切って戦えば、おれの方が不利だ」


 敵を知り相手を知れば百戦あやうからず――と昔の人は言った。

 それは裏を返せば相手の情報が無ければ、戦いが常にあやういということだ。


「だったら、どうするの?」


 アーテイ氏がしゅうせいこうほうも難しいと聞いて、首をかしげた。

 おれは小さく笑うと、こしつるしたどうの仮面を外す。

 それを顔にこうむりをしながら、第三の方法を明かした。


「別人になればいい。おれには『もう一人の姿』がある――そうだろう?」


 それを聞いてアーテイ氏が、ぽんと手を打った。


「あっ、そうか! かなでは変身できるもんね!」


 その答えにみながら、おれは仮面をこしもどした。

 代わりに花畑に混ざって生えているユズのに歩み寄ると、果実をむしる。


「そうだ。おれは『みずはらかなで』の姿に交代できる。このことはマハも知らない」


 みずはらかなで

 いつもはおれの心のおくそこねむっているだけの、1年前に死んだかのじょ

 このうそだらけの何も信用できない世界で、おれが自分以外に知る――ゆいいつの真実。

 ある条件を満たすことで、おれかのじょの姿に交代することが出来た。


「変身した姿でマハをおそえば、確実にしゅうが効く。おれやマリーツィアのときもそうだったが、アイツは見知らぬ人間相手でも、それなりに気さくに接するからな」


 だが、そのマハの気さくさが今回はあだとなる。

 いっぱんじんよそおって確実にきゅうしゅうし、マハには呪歌リートを使うひますらあたえない。

 そうすればやす呪歌リートうばえる。


「ここなら交代のトリガーになるユズも、いっぱいあるもんね」

「ありすぎて困るくらいだ」


 しょうしながら答えると、おれは手ににぎったユズの実を鼻先に近づけた。

 かんきつるい独特のげきてきな香りが、つんと鼻をつく。


 身体に変化が起きる感覚。

 みるみるうちにかみび、かみの質もきめ細かに――少女のものへと変質していく。

 その外見の姿を間近で見たアーテイ氏が、おどろきの声を上げた。


「うわ、すごい。においだけで変身しちゃうなんて、初めてだよね?」

「ああ……ユズが群生しているせいかな、いつもより敏感だ」


 いつも変身する際はユズをかじるが、別にかじることはひっ条件では無い。

 においでもはだ感覚でも、とにかく一定以上のユズのげきがあれば、おれは変身する。

 ただ「かじること」が、最も手っ取り早くげきを得られる手段というだけだ。


「でも代わると言っても姿だけだよね。かなでたちって、確か人格は代われないよね」

「ああ。これまで何度かためした。姿だけはかのじょになれるが、中身は代われない」


 代われるのは姿形だけ。心まではみずはらかなでに変身できない。

 それも経験から習った、変身のルール。

 アーテイ氏もそれは知っているので、かのじょは少し残念そうに口にした。


「ざんねん。あてぃし1年ぶりに『みずはらかなで』と話してみたいのにー」

「……マリーツィアの言う『はんごんのリート』とやらがあれば、それもかなうかもな」


 実際にあるとも知れないリートだし、あまりアテにはしていない。

 しかし、もし本当にあるのなら――という、あわい期待も確かにあった。

 アーテイ氏がみょうに期待に満ちたまなざしを、おれに向けてさいそくする。


「マハがもどってくるし、早く変身して! わくわく!」


 辺りからは、いつしか雨音が消えていて。

 ぽた、ぽたた……と。

 ときおりユズの枝からしたたり落ちるあまつぶだけが、気ままに時を刻んでいく。


「分かってる。来い、『かなで』――」


 おれはユズの実を口に近づけると、おもむろに実をかじった。

 薬師の少女がなみだになるほどのきょうれつな酸味が、口の中へと広がっていく――。


 しかし、遠のいていく意識の中。


(これは? かなでの意識が浮上してくる……!)


 予想外の事態。

 俺は自分の心に、瑞原みずはらかなでの意識が広がっていくのを感じた。

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