【3-06】滅びし里、瑞原

 くもり空にちょうが飛ぶ。

 雨上がりのゆうこくに、わたちょうう。

 一面に立ちこめる、さんって。

 野にほこる、香水蘭フジバカマめぐり回って。


 さんろくの緑と、さんの白と、秋の七草のふじいろ

 その景観にてんびょうじみたいろどりをえる渡り蝶アサギマダラたちは、まさにあさまだら


 みずはら

 十年前にほろびた、なつかしいかくざと

 かつてはユズがしげり、やさしい清流がせせらぎ、いにしえのみかどにも愛された地――。


(10年前に"かなで"が見ていた風景も、こうだったのだろうか…………)


 もう今は人の姿が見当たらない廃墟はいきょを、高台にある花畑から静かに見下ろす。

 心のおくにある小さなともしが、ほのかにらめくのを感じながら。


「何してるの?」


 ずっとけいこくの古里をながめていると、マハに声をけられる。

 くと、坂の下からかのじょが歩いて登ってきていた。

 おれは登ってきたかのじょと合流すると、しょうしながら高台のがけはなれる。


「……はっはっは、ちょっと里をながめていただけさ」

「そっか。かなではこの里の生き残りだから?」


 やってきたマハが意外なことを口にしたので、おれおどろきの顔を向けた。

 そんなことまで話した覚えはなかったからだ。


「なぜ、そう思った。そんなことお前に教えたか?」

「だって黒主をじんもんしていたとき、透歌とうかのことを『姉上』って呼んでいたよね」


 黒主は、「みずはら透歌とうかていさいおうだ」と話していた。

 それほど高位の要職にある者なら、出自の情報も広まっているはず。

 まして「みずはら」という名字なら、きゅうていに務める者には周知のことなのだろう。

 きゅうてい薬師だと名乗るマハが知っていても、不思議はなかった。


「そういうことか。だからおれも同じみずはらの人間だと。だが、それはけんとうちがいだぞ」

「あれ、そうなんだ。てっきり私は透歌とうかの家族だとばかり」


 その言葉を聞いたおれは無言で高台からもどると、香水蘭フジバカマの花畑に分け入った。

 花畑のあぜみちとおけると視界が開け、積み石が乱雑に置かれた野原に出る。

 おれの後をついてきたマハが、このみょうな光景を見て不思議な顔をした。


「これは、積み石? どうして、こんなところに」


 数々の積み石は明らかに人の手によるものだから、当然の疑問だろう。

 おれは野原で足を止めると、しゃがんで石を拾いながらマハに語り出した。


「かつて、この地には一つのかくざとがあった。10年前のことさ」


 散らばっていた石ころのごろな一つを拾うと、それを積み石に重ねる。


「その里はしかし……ぎぬを着せられ、朱泉国しゅぜんこくほろぼされた。里の人はみなごろしにされ、反逆者として死体は逆さづりにさらされた。女も、子供も、老人も、だ」


 拾い上げた石を積み上げ、しゃがんで手を合わせる。

 めいもくし、静かに、後ろのマハに向けて語る。


かれらの死体は捨てられ、墓が作られることも無かった。だから代わりに事情を知る男が、ここにひそかに石を並べ、墓の代わりにした。ここは……その墓場なのさ。おれの妻も、ここの里長のむすめだった」


 10年前の死者をおもがっしょうしていると、マハがハッとしたようにつぶやいた。


「まさか。それってみずはらかなで……?」

「なんだ、知ってるのか?」

「うん……でも、そっか。だから透歌とうかが『姉上』……そういうこと……」


 おれが目を開けると、マハもとなりにしゃがんで、同じように手を合わせ始めた。

 ひとしきり積み石にがっしょうしていたかのじょが、やがて理由を話す。


透歌とうかとは友だちだからね。本人から妹の話は聞いてるし、名前も知ってる」

「友だち? ていさいおうと言えば要人だろうに、友だちなのか?」

「最初に話したでしょ。私はきゅうてい薬師だって」


 同じ宮仕えの身だから友人――とでも言う気だろうか。

 しかしいっかいの薬師とていこく最高の神官では、身分がちがいすぎるようにも思える。

 知り合ったとして、どうやって。それが気になっておれはさらにたずねる。


いくきゅうていじんだからと言って、そうそう親しくなれる相手ではないだろう」

さいおうの住む区画は男子禁制、こん女性限定。条件が合う薬師は少ないの」


 確かにそんな区画があるなら、りょう関係者の出入りも年若い少女に限られる。

 きゅうてい薬師を少女が務める理由が、それなりにあるというワケだ。

 だとするとさいおうと薬師が友人という話にも、説得力は出てくる。


「本当にきゅうてい薬師だったんだな」

「アンタ、まだ疑ってたの!?」

「正直、『このうそつきベクターむすめめ』程度に思ってた」

「……くっ。まあ、そう思われても仕方ないか」


 最初に出会ったときを思い出したのか、マハがしぶい顔をした。

 しかしおれの方でも、かのじょきらう理由ならある。


「姉上に聞かされたなら、知っているはずだ。だれが里をほろぼしたのかも」


 おれが言おうとする所を察したのか、マハの表情にかげが差した。

 かのじょは自分の独特の耳をさわりながら、声のトーンを落とす。


「黒主と、ベクター兵……」

「そういうことだ。あいにくおれみずはらほろぼした、ていこく人とベクターがキライでな」


 言っているだけで、にくしみで顔が険しくなるのを感じる。

 ない朱泉国しゅぜんこくじんかん黒主。ベクター兵。

 ヤツらはみずはらの里をほろぼした悪であり、みずはらかなでにくきゅうてき

 この世のえいおうするかれらなど死に絶えろ、信じる者もほろびてしまえと思う。


「……なるほどね」


 おれが顔ににくしみをにじませたことに気づいたのか、マハもしんけんな顔になった。

 そう。みずはらの里をほろぼした、長耳の兵隊。

 ヤツらと同じとくちょうを、マハの耳は持っている。


 だからかのじょと向き合うと、どうしても過去がチラついてなおになれない。

 これはもう、宿しゅくえんとしか言いようがなかった。


 マハも自分が信用されない理由を理解したのか、なっとくしたような顔を見せる。

 息をついたかのじょは立ち上がるとすそはらい、遠くの山々をわたした。

 おれかのじょに合わせて立ち上がると、かのじょの横顔を見つめる。


 一じんの風がいて。

 マハのかみが、スカートが、ふわりと風になびいた。


(きれいだな)


 風になびくかのじょの姿を見て、ついなおに思ってしまう。

 おれが見とれていると、おれの視線に気づいたマハがかえって笑いかけてきた。


「そっか。だから、おくみずはらを結ぶ【数理すうりまん】の存在も、知ってたんだ」

「まあな。まだ、あの転送きょてんが使えるとは思わなかったが」


 いきなり話題が変わったのでおれいっしゅんとまどったが、すぐに話を合わせる。

 数理まんとは、きょてん同士をつなぐ転送経路の出入り口。

 どこのだれが設置したのかは知らないが、そういう経路が昔からみずはらにはあった。

 正式には『百竜一咒ひゃくりゅういっしゅ数理すうりまん』――ドラケントゥリア(Dracenturia)と言う。



「本当なら何時間もかけて登る山道だったのに、おかげで簡単に着けたね」

「里がほろびて10年がつ。今も使えるのは、だれかがメンテナンスしてるのかもな」


 しかしおれの知識は"みずはらかなで"のおくもとづくので、今でも使えたのは意外だった。

 姉上が、使えるように整備していたのだろうか。

 『ていさいおうみずはら透歌とうか』の地位なら、それくらい出来そうにも思える。


「おかげで思ったより早くとうちゃくできたし、私の用も今日中に終わりそう」

「そう言えばみずはらが目的地と言っていたが、何の用だ? この通りはいきょしかないが」


 げんよさそうなマハにたずねながら、おれだれも住んでいないはいおくわたす。

 ひっそりとしたゆうこくかくざと棄京ききょうからほど近い、ユズの聖地。

 特段、薬師がしがるようなしろものがあったおくはないのだが。


 するとマハもおれと同じように里をながめながら、うすみをかべてつぶやいた。


「……あるよ。ずっと、ここには『呪歌リート』がある」

呪歌リートが……?」


 しくもマハの目的は、おれと同じだった。

 マハはおれにうなずきながら、目的について明かしていく。


透歌とうかたのまれたのは、その呪歌リートの回収。どこにあるかも、分かってる」

「本当か? あいにくベクターの言葉は信用できんのでな」

「私がベクターだからって、そうウソをつくわけじゃ……ひゃっ」


 マハが言い返したところで、また急な風がいた。

 かのじょは言葉を切ると、乱れるきんぱつとスカートをさえる。

 その風と同時に、ぱらぱらとさめが降り始めた。


「雨だな」

「ほんとだ。今からリートを探さないといけないのに、降ってきた」

「仕方ないな。どこかで雨をしのぐか」


 上空を見るとくもぞらだが、雲は遠くまで広がってはいない。

 しかしあまあしを見るに、一時的には雨宿りが必要そうだ。

 二人して高台の花畑を降り、雨をしのげる場所を探そうとすると。


「――だったら、においでなさいな。旅のお人」

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