【1-09】強制された呪歌の刻印

 ひび銃声じゅうせいと、礼拝堂のステンドガラスがくだる音。


 とっさに反応したおれは、反射的に身をせた。

 しかし方眼ほうがんばんを操作に集中していたマハは、間に合うはずもなく。


「あっ……!」


 無防備だった少女の身体が、不自然にしなる。

 銃弾じゅうだんかれた身体が、立つ力を失い、大理石の井戸にもたれかかる。


「マハ!」


 おれが自分を守ろうと身をせたことで、一方の少女を見捨てる結果になった。

 腹立ちに歯をみ鳴らすと、すぐさま彼女かのじょるが。


 大理石に、みるみるうちに広がるあけの色。

 その量を見て、すぐに察してしまう。


「あ、と……少し……」


 しかしマハの指は、それでも動く。

 血まみれの指を方眼ほうがんばんわせ、操作を続けていく。

 まるで、そうすることが最後の使命とばかりに。


 とびらの方では、10名ほどの兵士が教会にっていた。

 みな素顔すがおかくすようにがさかぶり、表情はうかがえない。

 しかし上官格らしき男だけはかさかぶっておらず、ゆえにかれの長耳が見えた。


 長耳の兵士。10年前に瑞原みずはらの里をおそった、まわしいベクター兵たち。

 かれらは再びじゅうを構えたが、上官らしき男が手で制すると、そこで動きを止めた。


「……………………!」


 だが、そんなことはどうでも良かった。

 目の前で、一つの命がきようとしている。

 その命の灯火ともしびが、最後の力をしぼっている。


 声をかけることも出来ず、助けることも出来ない。

 出来るのは、ただくし、おのれの無力さを味わうことだけ。


 やがて少女は指を止めた。

 井戸の周りを囲む大理石の柱に、その細身の身体を預け、力なく笑う。


「…………ふ、ふ……かなで……」


 呼びかけられ、マハと目を合わせる。

 彼女かのじょひとみは弱々しく宙をあおぎ、こちらが見えているかもあやしい。


「奏は、リートをらないと……しいとは思わない、と……だったら……」


 絶え絶えにうすれていく川霧かわぎりのような、弱く細い言葉。

 彼女かのじょは結界を動かしていた指先を、おればそうとする。

 しかし、その手がおれに届くことはなく。

 ずる、ずると。

 少女の身体は力なく、あっけなく柱からくずちた。


「マハ!」


 たおれた彼女かのじょったが、その目は開かない。

 リートが刻まれていた左手を取るが、薬師の少女は、もう動かない。


「――――ッ!」


 彼女かのじょの命がきた。そうさとった直後。

 その手を取っていたおれ左腕ひだりうでに、一条ひとすじの痛みが走った。


 ほんの一瞬いっしゅんの、焼け付くような痛み。

 その不自然な感覚に、長袖ながそでをまくって痛みを感じた部分を確かめる。

 すると。


「これは……リート?」


 先ほどマハが見せた呪文じゅもんと同じ模様が、おれひだり前腕まえうでに刻まれていた。

 赤く黒く、タトゥーのような漢字の連なり。

 それが祭壇さいだんの『つえに巻きつく二重螺旋の竜神カドゥケウス』のように、うでに巻きついている。

 呪文じゅもんの文字列を見ると。


『宇可利計留 人遠者川世能 山於呂之 波遣之可礼登波 以乃良奴物遠』


 近寄ってきたアーテイ氏が、うでに巻き付いた呪文じゅもんを見て、ニヤッと笑った。

 これまでに見たこともない、無邪気むじゃきなくせに不気味な笑顔えがお

 愉快ゆかいそうに、楽しむように、氏がリートののろいを口にする。 


逆理ぎゃくりのリートだね。別名を両面りょうめん占術せんじゅつしゅ吉凶きっきょう時日じじつ宿儺すくな宿曜すくよう凶演きょうえんさかかぜ』」


 いったい、なぜ。

 そう思ったおれ脳裏のうりに、先ほどマハが話していた言葉がよみがえる。


「リートは持ち主が殺されるか、呪文じゅもんが傷つかないと宿主をはなれない」

「人々の願いを逆にかなえていく、こののろいのリートを」

「奏は、リートをらないと……しいとは思わない、と……だったら……」


(――――この女!!)


 一瞬いっしゅんにして、自分がマハに「何をされたか」を気づく。

 きっと死ぬ間際まぎわのマハは「リートはらない」というおれの心を逆手にとり、宿主を失ったのろいをしつけてきたのだ。


「みんなの願いを、逆しまにかなえていく。トリックスターの奏にピッタリだね」


 無邪気むじゃきに話すアーテイ氏を無視して、おれは歯ぎしりする。


(――この女、とんでもない土産みやげを残しやがって)


 黒主がリートを集めている。そのためには棄京ききょう市中の虐殺ぎゃくさついとわない状況じょうきょう

 ならば、彼女かのじょのリートを宿したおれねらわれることも明白で。

 おそらくは、礼拝堂に乱入してきた兵士たちも、その目的は――。


「少年、立て。両手を挙げて、その女からはなれろ」


 入口の方から、上官風の男が命令する。

 同時にがさの兵士たちが、再び一斉いっせいじゅうを構えた。

 相手は十人以上。そのかれらがじゅうを持つ以上、戦う選択せんたくは無い。


「…………はい」


 おれは仕方なく、素直すなおに立つと両手を挙げた。

 上官と思わしき男と、視線が合う。

 男は素直すなおに従ったおれを見ると、くちをつり上げて笑った。


「悪いな少年。黒主さまのご命令で、任務を目撃もくげきした者も殺せと言われている」


 まったく悪びれた様子もなく、男が笑う。


 ――殺されるのか。ここで。

 ――無力なままで。真実を世に明かせないまま、10年前にほろびた里のように!


 心臓が早鐘はやがねを打つ。みじめさとくやしさで、歯を強く強くむ。

 そのとき、アーテイ氏が耳元でささやいた。


「リートの力を使えば、けられるよ?」


 悪魔あくま誘惑ゆうわくのように。

 堕落だらくへの道しるべを示すように。

 おれのすぐそばで、言霊ことだまあまく、やさしく、呼びかける。


「ふふっ、究極の選択せんたくの時間だよ。みんなを幸せにする弱いピエロと、みんなを不幸にしていく強いヒーロー。ねえかなで。キミが本当になりたいのは、一体どーっちだ?」


(それは――……)


 数瞬すうしゅんしかない時間の中で、おれは決断をせまられる。


おれは、おれは――――!)


 ゆっくりと男の手が上がると、次の瞬間しゅんかん

 再びの銃声じゅうせいが、礼拝堂にひびわたった。

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