【1-08】願い、逆しまに叶える呪歌(リート)

 『ベクター』という言葉を聞いて、おれ彼女かのじょの先のとがった耳を見る。

 そう。コイツら長い耳の連中のことは、世間ではこう呼ばれていた。


「ベクター、か」

「マハでいいよ。ベクターは種族名みたいなもんだし」


 おれの視線を察したのか、マハが自分の耳にれながら、決まりが悪そうに応じた。


「なら、おれのことも名前で呼んで構わん。道化師どうけしの名前なんて、大したこだわりもない」


 大したこだわりもないし、フラットに呼び合える方が自然なので、おれも合わせる。

 マハもうなずくと、安心したように身をひるがえした。


「じゃあかなで、少しここで待ってて。用事を済ませてくるから」


 そう言うと、なぜか彼女かのじょは礼拝堂の一角に歩き出した。

 とびらとはまるでちがう方向に向かうマハを、おれは呼び止める。


「早くげないと別の式神が……」

「分かってる。でも、その式神が暴れる原因をふさがないと」


 しばらくして彼女かのじょが足を止めた場所には、大理石で作られた井戸があった。

 その井戸の上にはフタするように、空中結像の方眼ほうがんばんおおっている。


「原因をふさぐ、だと?」


 おれたずねると、マハがうなずいた。


「式神を使役しえきするには言霊ことだまのプログラムが必要だけど、妙に高性能と思わなかった?」

「確かに。今の戦闘せんとう跳弾ちょうだん天井てんじょうの照明を射抜いぬき、おれ反撃はんげき態度も予測していた」


 確かに、おれも高精度すぎる式神とは感じていた。

 自分の知る限り、そんな当意即妙とういそくみょうな動きを出来るプログラムは世界に存在しない。

 するとマハが、その理由を教えてくれた。


「それはね、ちがう世界の言霊ことだまだったから。異世界の言葉、とでも言えば分かる?」

「異世界の言葉? だが、この式神は黒主が動かしていたのだろう?」


 市中で黒主が演説していたときも、確か黒主はこう言っていたはずだ。


       が言葉に忠実なる六汞ろっこうの式神に命じル――。


 だから俺は黒主が使役しえきしていたとおもんでいたが、マハの話だとちがうようだ。


「黒主が持つ呪歌リートは、つながった異界の言葉を自在にあやつれる。条件さえ満たせば、アイツは異界のすぐれたプログラムで式神を動かせる。だから式神が強かったの」


 確かに黒主は演説のとき、『混汞こんこう験集けんしゅうしゅ』という一節を唱えていた。

 異なる言語をつなげる辞書のことを、一部では『混効こんこう験集けんしゅう』と呼ぶ。

 それは「効験こうけんある言葉を収め、一まとめ(混)にした言語集」――という意味だ。


「だとしても、異界とつながってないと使えない力だろう?」


 今のマハの話が本当なら、成立するには条件が必要だ。

 あるか無いかも分からない異界と、本当につながっていなければならない。

 その疑問を唱えると、マハが空中結像の方眼ほうがんばんに手を置き、こちらを向いた。


「……ここ化野あだしのは、古来より二つの世界が交差する逢魔おうまつじ。かつて小野篁おののたかむらという貴族が、夜になると別の井戸から地獄じごくおもむき、朝になると、この井戸から世に帰ってきた――なんて伝説がある程度には、異界とつながってるの」

「はっはっは、一体いつの時代の伝説だよ? 実際にそんなことあるワケが」


 マハが冥界めいかいの伝説を持ち出すが、あいにくおれは死後の世界など信じていない。

 しかし笑い飛ばしたおれに、マハがもっともな反論を返す。


理屈りくつや常識より、目の前の現実を認める方が、よほど『本当』に近いと思うけど」

「とは言ってもな。だいたい、だれが好き好んで地獄じごくとびらなんて開けたがると……」


 さらに言い返そうとしたところで、おれはハッとして言葉を切った。

 目的のために地獄じごくとびらすら開けそうな人物なら、先ほど演説していたではないか。


(黒主……!)


 おれだまんだのを見て、マハがうなずいた。


「心当たり、あるようね。私も地獄じごくの入り口なら、心当たりがあるよ。それがコレ」

「フタをされた井戸にしか見えんが」

「これは『六道のつじ』『マクペラの穴』とも呼ばれる、二重螺旋らせん洞窟どうくつ。本来は結界でふうじられているけど、今は解除されてるね。きっと、その『だれか』さんが解いたんでしょ」


 そう言いながら、マハは結像の方眼ほうがんばんをサッとでた。

 気になったおれも近づいて、ばんの様子を確かめてみる。

 おれが近づいてきたのを見たマハが、途端とたんに警告してきた。


「あんまり近づかない方がいいよ。死がるからね」

「ふふん。そのときはサッサとげるさ。だいたい危ないのは、お前もだろ」


 しかし彼女かのじょが大して強く止めようとする気配はない。

 おれは警告を無視して近づくと、井戸上にえがかれた空中結像を観察した。


 方眼ほうがんばん碁盤ごばんの目のように、18×18に整然と区切られていた。

 多くのマス目には、1から100までの数字が光っていて、さらに数字同士が光る線でリンクするように結ばれている。


 アーテイ氏も関心があるのか、おれの側をはなれると、ふむふむとフタをながめている。

 まあ、コイツが何をしようと現実に影響えいきょうあたえることはない。放っておこう。


 マハがおれの顔をのぞきむと、小さく笑ってたずねてきた。


「仕組みに興味ある?」

「まあな。要はここの結界を閉ざし、異界とつながらなくするという話だろう? そうすれば黒主は異界の言葉を使えなくなり、式神も大人しくなると」

「そうだね。この数字の配列を変えると、結界が開閉する仕掛しかけ」


 そう言うとマハは方眼ほうがんばんに手をかざし、すっとすべらせる。

 すると手の動きに反応して、数字の位置も移動した。

 そのまま彼女かのじょはさらに手を動かし、他の数字も移動させていく。


「ずいぶんとくわしいな。マニアか?」

「……ずっと前、開けようとしたこと……あるから」


 微笑ほほえんでいたマハの表情が、そこですっとかげった。

 何やらいわくありげな様子だが、彼女かのじょの事情に立ち入るつもりもない。

 おれは気づかぬフリをして、別の質問を投げかける。


「で、今は結界が解除されているのか?」

「死が流れ出てる。この礼拝堂があかきりで包まれてるのは、そのせいね。まったく黒主も余計なことするんだから」


 マハは方眼ほうがんばんに視線を落としながら、ため息交じりに答えた。


「やっぱり黒主が結界を開けたのか? だが何のために住民を式神でおそう」


 なぜ、わざわざ異界の入口を開けてまで、式神で人をおそう?

 もし単純に探し物を見つけたいなら、他の方法がいくつもあるだろうに。


「黒主は、100の呪いの歌――リートを探している。呪歌リートは所有者を殺すか、身体にある呪文じゅもんを傷つけないと、宿主をはなれない。つまり持ち主が分からないなら、いっそ全員殺せばリートだけが残って手に入る。そんな理屈りくつなんでしょ」

「ちっ、そんな理由で住民を攻撃こうげきするのか」


 求める『呪歌リート』とやらを手に入れるためには、民衆の虐殺ぎゃくさついとわない。

 そんな乱暴な理屈りくつを聞いて、おれは黒主の横暴に腹が立った。

 するとおれのつぶやきを聞いたマハが、操作の手を止めると左手首を見せた。


「まあ……残念ながら、その目論見もくろみは失敗してるけどね」


 その手首には赤と黒にかがやく漢字の文字列が、呪文じゅもんのように巻き付いている。

 思わずおれまれるように見入っていると、マハが正体を教えてくれた。


「ドラゴン・リート・プログラム74番、『凶演きょうえんさかかぜ』――相手の願いを逆しまにかなえていく、こののろいのリートを私が持つ限りは」


 タトゥーのように、少女の手首に刻まれた呪文じゅもん

 これを黒主はしがり、マハが持っていると。


「それが黒主の求める『呪歌リート』の正体か。物騒ぶっそうだな。願いを逆にかなえる力だと?」

「あら。うばって実際に使ってみたら、そう危ない力でもなかったけど?」

「人の願いを逆にかなえるなんて、不幸をあたえる力と大差ないだろう。おれはそんなモノがしいと思わん。黒主やお前みたいなベクター連中とは考えがちがう」


 むしろ無用の力だ。確かに他人に使えば自分は得もするだろうが、それでは――。

 ゆかに視線を落とす。10年前にほのおに包まれた、あのかくざとを思い出す。

 他のだれかをおとしめ不幸にして得た繁栄はんえいや成果に、おれは価値など見いだせなかった。


 ひととき昔を思い出していると、マハが息をついてたずねてきた。


「でもね。もしさっき、あなたを式神から助けたのが、呪歌リートの力だとしたら?」

「なに?」


 顔を上げる。確かに先ほどの戦い、式神の最後の動きは不自然だった。


「さっきは薬品をかけたって言ったけど、実は私が式神に呪歌リートをかけたのよ。そのとき望んだ事が逆しまの結果を生むように。その結果、かなでは逆転できた」

「式神は言霊ことだまでプログラムされた使つかだ。願いなんて感情めいた念があるのか?」

「あら。教会連中が言うには、人の感情自体、神が創った二重螺旋らせん呪文じゅもんプログラムだって話でしょ。だったら人の願いも所詮しょせんはプログラムの結果だし、言霊ことだまのプログラムに通用しても不思議はないよ」


(心ではなく、プログラムに働く力ということか)


 もし、その理屈りくつが正しければ、呪歌リートの能力が影響えいきょうする範囲はんいおそろしく広い。

 あらゆるプログラムが対象なら、この世の物理法則すらプログラムの一種。

 そんな物理法則にすら通じるというなら、もはや神の次元の力なのでは――?


「それじゃ、まるで――」


 黙考もっこうしたおれが反論しかけたところで、顔を上げたマハが不満げに口をとがらせる。


「それはそうと、操作に集中したいんだけど。さっきみたいに式神におそわれたくないから、終わるまで周りを見張っててよ」

「……はいはい。分かったから、さっさとしろ」


 おれ苦笑くしょうしながら返事すると、マハに言われたように辺りを見回す。

 と言っても、ゆかから怪物かいぶつが生えるわけでもなかろう――そう高をくくっていると。


「見つけたぞ、いま呪歌リートを使ったのは貴様らだな!」


 乱暴にとびらを開ける音とともに、男の声がして。

 次いで乱入してきた兵士たちがおれたちにじゅうを向け、一斉いっせいち放ってきた。

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