【1-02】先手必勝に挑む道化

 どうやら野次馬やじうまがざわめいた理由は、席を外していた男がもどったからのようだ。

 おれは男の姿を一瞥いちべつすると、軽口を返す。


「まったくだ。待ちくたびれて、昼寝ひるねするほどさ。勝負をげたのかと思ったぞ」


 それを聞いた男がくちをつり上げて笑い、テーブル向かいの席に乱暴にすわる。

 男がすわった衝撃しょうげきで、テーブル上の碁盤ごばんれた。


「そんなわけあるか。必ず勝てる勝負からげるバカが、どこにいる」


 おれれた碁盤ごばんながめながら、冷ややかに応じる。


「さて? 勝負事はやってみないと分からないと思うが?」


 すると男は愉快ゆかいさをこらえられないように、大声で哄笑こうしょうした。


「ガハハッ! 禁じ手なしの五目並べは、先手必勝だと知らないのか?」


 そう。この男の言うように、いまおれは五目並べの勝負にいどもうとしていた。


 ここは、かつては京都と呼ばれ栄えた市街地の東大路ひがしおおじ。今は『棄京ききょう』と呼ばれ、いわくつきの露店ろてんが日々並ぶやみ市場街の一角。そして、この男が出していたのは、いわゆる賭博とばく露店ろてん


 そこまでは良い。問題は賭博とばくの内容だった。

 店の看板では『後手で五目並べに勝てば、きんを十倍返し』とうたっている。


(――確かに、五目並べは先手必勝)


 五目並べは仕様上、勝ち筋を知っていれば先手側が必ず勝つゲーム。

 つまりこの露店ろてんは、仕様を知らない客をつかまえてかせぐ、イカサマ露店ろてんなのだ。

 気に食わない。

 だからすべて承知の上で、おれは店主に一泡ひとあわかせようと勝負をいどんだのだが――。


(勝てないゲームを勝つとなると、さて至難のわざだな)


 そう思いながら、おれは素知らぬフリで男に答えた。


千慮せんりょの一失とも言うし、先手が負ける可能性がゼロとは限らないだろう?」

「言ってくれるねえ。だが、どんなにわめこうときんは返さないぞ。うらむなら、ひと月は豪遊ごうゆうできる大金をけた、テメェのバカさ加減をうらみな」


 対戦相手の大男は、余裕よゆうを失わない。

 おれきんとしてわたした銀貨ぶくろを見せつけ、こちらを嘲笑あざわらうだけだ。

 この余裕よゆうぶり、ヤツは本当に勝ち筋をすべて暗記していると見て間違まちがいない。


 そして今になって、野次馬やじうまあつまる目の前で『先手必勝』を明かした理由は――。


「そうやってタネを明かすところを見るに、ここでの商売は今日で打ち切りだな?」


 おれためしにたずねてみると、男は喜色をかべながら鼻を鳴らした。


「んん? そりゃこれだけかせげればな。欲張って長居すると、ここをシノギにするギルドににらまれちまう。なあに別の場所に行って、またバカどもを相手にするだけさ」

「商売の極意ごくいは、自分よりバカな相手からカネを巻き上げること――と?」

「分かってるじゃねぇか。つまりテメェはオレ様よりバカってことだよ、道化師ジェストゥール


 どうやら男は大金をけた今の勝負を、最後の一稼ひとかせぎにする気らしい。

 逆に言えば、おれが出しゃばったおかげで、これ以上の被害者ひがいしゃは出なくなったと。


 周りの野次馬やじうまたちを見回す。

 まだ年端としはもいかない子供が多い。あとは、さわぎを聞きつけて集まった大人たち。

 かれらの大半が、先ほどまで男のカモにされていた連中だ。


 かしこい大人なら、こんないたワナのバクチには手を出さない。

 しかしゲームにうとい者、まだカラクリを知らない子供たちは絶好の獲物えもの

 かれらをほふるため、男はいわゆるサクラ――仲間まで用意して勝ち目を偽装ぎそうし、勘違かんちがいして挑戦ちょうせんした連中を、今まで食い物にしていた。


 そこに割って入ったおれも、男からすればカモの一人に見えるのだろう。

 しかも桁違けたちがいのカネをけたし、ネギを背負って来たと思われているはずだ。


(だが――負ける気は無い)


 おれうすく笑うと男に向き直り、勝負のルールを確認かくにんすることにした。


「……最後にもう一度、ルールを整理したい」

「おう、いいぞ」

碁盤ごばん碁石ごいしを使って対戦する。先攻せんこうは黒石、後攻こうこうは白石のみを使う。お前が先攻せんこうおれ後攻こうこう。交代で碁盤ごばん上のいずれかの目に、一つずつ自分の持ち石を置いていく。盤上ばんじょうに置かれた石には、干渉かんしょうしてはいけない。縦・横・ななめどれかの方向で、先に自分の使う石を五目、連ねて置けば勝ち」


 そこで一息すると、男の反応をうかがう。

 男はこちらの言葉をしばらく咀嚼そしゃくしていたが、やがてうなずいた。


「……続けろ」


 男にうながされ、おれは先を続ける。


「禁じ手は無し。ただしおれが提案した追加ルールとして、この砂時計が落ちきるまでという制限時間を設ける。自分の手番が終われば、砂時計を逆さにして制限時間をリセットできる。時間切れは即座そくざに負け」


 そう言うとおれは、碁盤ごばんの横に置かれた、砂時計とユズの実に視線を投げた。

 男も同じように砂時計に視線を送り、うなずきながら応じる。


「テメェが持ってきた、その砂時計は確認かくにんした。10秒で落ちきるが、いいか?」

「構わない。あとはきんについて。おれが勝てば十倍返しの代わりに、お前は今日ここの連中から巻き上げたカネをすべて返す。それでいいよな?」

「ああ。テメェが勝てれば――な」

「こちらからはルールの確認かくにんは以上だ。そっちは何かあるか?」


 男がだまる。追加されたルールのみちを、頭の中で吟味ぎんみしている様子だ。

 やがて男は人差し指を立て、一つの要求を出した。


「……じゃあオレ様からもルールの追加だ。『対局者は、碁盤ごばん碁石ごいしそして対局者に対し、直接間接を問わず、五目並べルールに関連しない行為こういを禁じる』。どうだ?」


 その提案を聞いて、おれまゆをひそめた。

 外見より慎重しんちょうなヤツだ。文字通り碁盤ごばんをひっくり返されると勝負がご破算になるから、あらかじめふうじておくつもりだな。しかし――。


(――しかし、そのルールなら構わない。むしろ後で好都合だ)


 おれはすぐに対応を決めると、ためらいなく首を縦に振るふる


「構わない。証人は周りの観衆で、いいか?」


 おれたずねると男が「おうよ」と応じ、チラリとおれの背後を見やった。

 すぐさまおれもアーテイ氏に手で合図して、背後を調べるよう伝える。

 他人に認識にんしきされない言霊ことだまおれの意図を察して、背後の様子を教えてくれた。


(男のサクラ仲間が、後ろに来てるよ)


 アーテイ氏のささやきを聞いて、おれは小さくうなずく。


(――なるほど。おれが何かしら仕掛しかけるとは予想しているか)


 こちらがあやしい動きをすれば、本人ではなくサクラに阻止そしさせる、と。

 対局者ではないから、手出ししても男の追加ルールにも引っかからない。

 男が長く席を外したのは、この打ち合わせのためだったか。


 なるほど。確かに強面こわもての外見からは読めないほど頭が切れる。

 おれは頭の中で相手の力量を見直しつつ、表では素知らぬ顔で話を進める。

 相手の対策が分かれば、それで充分じゅうぶん。なら、こちらは対策の上を行けばいい。


「……では最後に、このルールの遵守じゅんしゅをおたが竜神りゅうじんちかおう」


 民間に広く浸透しんとうしている神の名を挙げ、おれと男は片手を挙げて宣誓せんせいした。


「「偉大いだいなる、二重螺旋の竜神カドゥケウスちかって」」


 ちかいと言っても礼儀れいぎ的なもので、おれは神なんて信じちゃいない。かつて、この地に栄えた国では無宗教の者が多かったと聞くし、きっとおれはその末流なのだろう。


 すべての確認かくにんが終わり、いよいよ対局が始まる。

 おれ覚悟かくごを決めると、白の碁石ごいしが入った碁笥ごけを取り寄せた。


 ――――…………。

 ――――…………。


 一手10秒以内だから、手が進むのは早い。

 そして、こちらの劣勢れっせいが明らかになるのも、やはり早かった。


 予想通り、かなり男は五目並べに手慣れていた。こちらが追加させた時間制限に不慣れなせいかゆるい手も指すが、先手の優位を失う気配はない。


 やがて、男が笑い出した。指す手は止めず、饒舌じょうぜつに話し出す。


「何か裏があるかと思ったが、考えすぎだったな。オレ様の勝ちだ。最近は何やっても裏目裏目でムカついてたが、今日は久々に大勝ちできそうだ」


(――今日こそ? これまで裏目?)


 砂時計を返しながら少し疑問に思うが、すぐに頭からはらう。

 今は勝負に集中したい。勝ち筋に導くため、少しでも長くねばりたい。

 ただでさえ後手は不利。雑念が思考に混ざれば、万に一つの勝機すらがす。


「油断は大敵、と。ほら、まだまだ戦えるぞ?」


 ときおり男が緩手かんしゅを指すので、思ったよりは延命できていた。

 とはいえ逆転には至らない。長引くだけで先手有利の盤面ばんめんるがない。

 しばらくして、男が制限時間に慣れてきた。本人も自分が勝勢だと気付いたのか、徐々じょじょに強気な挑発ちょうはつが増えていく。


「ふん。早指しとポーカーフェイスで、オレ様のミスを期待したか? あまあまい。そらそら、先が見えてきたぞ? そんな調子で大丈夫だいじょうぶか、仮面の道化師ジェストゥールさんよ?」  


 やはり先手必勝の現実はくつがえせない。このままでは、遠からずおれは負ける。

 いま男が勝ち筋を読み切っているかは不明だが、間違まちがいなく、いずれそうなる。


(――なぜ、おれはこんな無用の勝負をしている?)


 つい自問する。余計なことを考えるひまなど無いのに、それでも。


 この挑戦ちょうせんは、本来なら必敗の勝負。

 どんなに人々が食い物にされようと、それは知らない者の無知が悪いだけだ。

 自業自得じごうじとく。弱肉強食。自分は部外者として、関わらなければ良かったのに。

 いったい、なぜ。どうしておれは、こんな勝負にいどんでいるのか?


 自分をあやうくする正義感なんて、偽善ぎぜんだと思う。

 リスクが高い戦いにいどむのも、無謀むぼうだと思う。

 まったく理屈りくつに合わない、おろかな行動だと思う。


(なのに、なぜ? なぜ、おれはこんなことをしている?)


 められていく盤上ばんじょうに手を走らせるうち、やがて一つの解答に辿たどく。


 答えは――あった。「」からだ。

 気に入らない現実をたたつぶす『こたえ』が、今の自分には無かったからだ。




  不器用で、まじめな、正直者が。


             器用で、ずるがしこい、うそつきにうばわれていく。




 これは当然の法則ルールで、きっと必然の因果で、最も気に入らない現実。

 だけど、この気に入らない現実を変えるこたえが、おれには無かった。

 こたえも無いのに現実を変えようといどんだ結果が、この窮地きゅうちなのだ。


 こたえがあれば他の方法で、この男の商売を止めさせられた。

 権力があれば、詐欺師さぎしとして逮捕たいほできた。武力があれば、男を威嚇いかく排除はいじょできた。

 知力があれば円満に解決し、権力者の人脈があれば、その威光いこうを利用できた。


 力を持たないのが悪い。答えを持たないのが悪い。

 いどんだ自分に腹が立つ。

 ヒーローぶったバカがバカ正直に戦って勝てるほど、この世界はあまくはないのに。

 そんなこと百も承知なくせに、勝てない戦いにいどむから始末が悪い。

 

「あと四手だな、笑えないバカの道化師ジェストゥールサンよ」


 黒石を置いた男が、砂時計を返して余裕よゆうたっぷりに告げる。おれもすぐに反応するが、既にすでに確信した男は、身を乗り出して次の石を置こうとしていた。もう、完全に読み切られていた。


「ああ、そうだな! 笑えん話だ!」


 おれ歯軋はぎしりしながら碁石ごいしを手にした、その直後――――。

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