第36話

 朝、起きれば突然と電話がかかってきた。

 着信相手を確認すると――束音。

 即座に飛び上がるように電話を耳にかざした。


『おはよう、束音』

『おはよう。果乃ちゃんと、昨日どうだったかなって……』

『それは、昨日訊くべきことじゃないのか?』


 朝から束音の声を聞くことができて嬉しい。

 けど、嬉しいのが声音に乗らないようにしながら質問してみた。


 最後に束音に見せてしまった顔は、惨めだった。

 少しでも頼りない部分を払拭したい。

 立ち直ったことを示すように平静を装う。

 未だに心配されるような俺じゃない。


『デートするのは聞いていたけど、夜遅くまで一緒だったら嫌だと思って……翌日の朝になるかもって、千春が言っていたもん』

『あいつをあてにするなよ。俺と果乃が夜遅くまですることなんてないだろ』


 ――多分な。


『そっ、そうよね。それで、どんな感じになった?』

『……悪くはないんじゃないか。――まぁそれで、束音は果乃が俺の事好きって知っていたのか?』

『そう……そこまで進んだんだね。うん、知っていたよ。それに加えてあんたが渋っていることもわかって、その原因が私だと思ったからお節介した』


 そうだよな。

 束音は俺を突き離そうとした訳じゃなかった。

 ただ果乃に対して清算したかったんだろう。

 今更文句を言うつもりはない。

 責任の一端は束音ではなく俺にあった。


 俺は二人とも好きだ。

 それでも、このまま二人はお互いにどうするつもりなんだろう。

 まあいいか。上手くいっているのだから。


『俺の気持ちまで知られていたのかよ……』

『幼馴染を舐めすぎ。ずっと、あんただけを見てきたんだから。人を愛するのに、素直になってほしかった』


 舐めてないよ。

 それでも束音が想像を超えてきただけ。

 だから、束音のことが頭から離れないんだ。


 存在が、もう俺の一部みたいなもので。

 気持ちが離れているのなら引き止めたい。

 これは自然なんだ。


『お前は、まだ俺のことを好きでいてくれているのか? どうしても、お前の口から聴きたいんだ』

『好きだよ。あんたが私を見ていなくても、私はあんたのこと好きだから、不安にならないで』


 無理だよ……不安にならない訳がない。

 束音の思い描く理想が、まったくわからないから。


『今日、果乃の父親に会いに行くんだ』

『そうなの? 急だね』

『ああ。でも、俺はお前を忘れたりなんてしないから、不安にならないでくれ』


 冷静を装う束音に今度は俺の方から言い聞かせた。

 本当は急でもない。

 だが束音の反応からして、俺の知らないところで果乃と通じている可能性が消え失せた。


『何それ、無理してカッコつけなくてもいいよ。でも、ちょっと面白かった。行ってらっしゃい』

『行ってきます』


 俺はそう言って通話を切った。

 結局、束音に勇気分けられてしまった。

 でも、束音のことを心配しないでいいなら――もう俺には何も怖いものはない。


 朝ご飯を済ませ、外出の準備をした。

 俺の家は放任主義だ。

 基本予定を伝えていれば親からとやかく言われることはない。


 待ち合わせは最寄り駅で。

 果乃の父親と会食するのはディナーにて。

 だが、俺達は午前から会う予定だ。


 夜までは、先日のデートの続き。

 一緒にいたいという果乃の要望に応えた形だ。

 行先は果乃が案内してくれるらしいのだが――。


「というか、遅いな……」


 待ち合わせ場所に着いて10分。

 未だに果乃が来ない。

 ……それくらいなら遅れても悪くないと思うけど、果乃は時間に厳しい気がする。


 朝の図書室に来た時にも、彼女はちゃんと時間より前に集合したのだ。

 気になった俺は果乃に電話しながら、歩き始める。


 家の場所は流石に知らないけど、方角程度ならわかるから、通り道を見渡すようにした。

 すると……大人っぽい二人の男性と話している果乃の姿を見つけた。

 電話を切り、その場まで急いで向かう。


「果乃!」

「……朋瀬くん」

「遅いから探したぞ。……そちらは知り合いか?」

「い、いえ」


 男性二人にガラは悪いわけじゃない。

 が、妙なきな臭さを覚える。

 しかし果乃の知り合いという風にも見えない。

 すると片方の男性が話しかけてきた。


「あーいや、違うんだけど……ごめん、もしかしてその子の彼氏くん?」

「そうです。何か御用ですか?」

「僕たち、スカウトマンなんだ、高校生モデルのね。本当は別件があったんだけど、その子に目を惹かれてしまってね」


 あ、ナンパとかではないのか。

 年の差あるし、まあそりゃないか。

 二人でも、その可能性はあったから警戒してしまったけど、俺も敵意がないように振舞った。


「それで、果乃はどうしたいんだ?」

「私は、あまり興味ないんですけど、あなたの意見を訊きたくて……」

「名刺だけ、貰ってもいいですか? 俺達、これからデートなんで」


 カッコつけようと思ったわけではない。

 が、気付けば果乃の前に割り込む形になり、相手の反応を伺う。

 話しかけてきた男性に名刺を求めると、ニコッと笑って男はポケットに手を突っ込んだ。


「お、良い反応だね。僕らも、そんなに時間に余裕があるわけじゃなかったから、助かるよ」

「先輩、良いんですか? 絶対、捕まえるって言っていましたよね」


 男がポケットからケースを取り出して名刺を取り出していると、もう片方の男が話しかけていた。

 そのことに、男は少し苦い顔をしたあとため息を吐く。


「てめぇ、何ペラペラ喋ってんだよ。いいか、見た目良い女の子は大抵彼氏持ちだから、身持ちが固いんだよ。粘っても、大抵断られる。少年、断ってくれてもいいからな。あと、彼女大切にな」

「あ、はい……」


 愛想よく俺に名刺を渡して、もう片方の男を連れて行ってしまった。

 最後に腕時計を注視していたことから、本当に時間的余裕がなかったことがわかる。

 時間に余裕があったら、逃げられなかったかもしれない。


「多分、スカウトマンっていうのは本当だろうな。言葉が上手かった。気付いたか?」

「はい。矛盾していましたね」


 彼らの言い分を演繹法で論理展開してみれば、『見た目の良い女の子には大抵断られる』だった。

 だが……そんな事を言っていたら、モデルのスカウトはできなくなってしまう。


 最初の一言で反発した感情が生まれると、最後の一言に肯定されるように感じて気分が良くなる、という交渉術……というか処世術といったところか。


 考えればすぐに矛盾に気付くことができるが、気分が良くなって疑う事をしなくなるのが人間だ。

 特に若者相手の商売だから、恐ろしいものだ。


 人を操るような術を持つ者は世の中に沢山いる。

 が、あの手のプロはやっぱりやり口が特化しているとわかる。


「話をすんなり切ったのも、この場で考えさせないためだろうな」

「聞き手には、スカウトされたという事実だけが残るからですよね」


 あの場面でも、駆け引きは上手かった。

 頭の良さは見た目じゃわからないから、スカウトマンも難儀なものだ。


「ああ、やっぱり果乃は賢いよな。侮っていたわけじゃないけど、俺がいなくても果乃は上手く切り抜けたんだと思うよ」


 相手に時間がなかったとはいえ、だ。

 果乃にはそれだけの能力がある。


「駆け付けてくれたこと、すごく嬉しかったのでそういう事言わないでください。それと、遅れてごめんなさい」

「仕方ないさ。それと、名刺捨てていいよな?」

「はい。怪しいですし、その方が良いと思います」


 そうは言いつつも、なんだかソワソワする果乃。


「もしかして、少し興味あったか?」

「ちょっとだけですよ。実際にやるとしても、あんなスカウトには乗りたくないので、名刺は破っていいです」


 俺は捨てるって言ったのに……破るっていうあたり動揺している。

 それはまだ見たこともない果乃の一面。

 思わず俺も笑ってしまった。


「じゃあ、連れていってくれよ」

「はい。と言っても、本当にぶらつくだけですよ」


 電車で移動した先での事を考えていたこと。

 果乃はプランを立てていなかったらしい。

 まあ……時間的に無理もあったのだろう。


「それも、果乃と一緒なら飽きなさそうだ」

「あんまりハードル上げないでください、もう」

「ははっ、気付かれたか……でも、本当に果乃と一緒にいれば楽しいと思っているよ。そうだ、あんな事があって言えなかったけど、服似合っているよ」


 束音と出かける時に毎度言わされている。

 俺にとって義務のようなものだ。

 もちろん、言葉は本心からのものだ。

 嘘があると、すぐに見抜かれるのは経験済み。

 昔は適当言って怒られたこともあるからな。


「ふふっ、忘れないで言えたんですね。褒めていただけると嬉しいです。あなたも今日は少しいつもと違いますね」

「具体的にどこが違うのか当ててみてくれよ」


 目を合わせて見せると、果乃は一分も経たずに人差し指を俺の顔に向ける。


「うーん、あっ、目元ですか?」

「正解、二重にしたんだ。道具は束音が置いていったもので、返さなくて良いって言われたから、使ってみたんだ」

「もっと、ちゃんとお洒落してください」

「次はそうするよ」


 果乃への気持ちに気付いたのだって昨日だ。

 即興で限界はここまでだろう。

 果乃だってプラン考えてこなかったし、お互い様にしよう。

 今回の事を反省して、次に生かせばいいさ。

 経験は積めば積むだけ自分を磨かせるからな。


 俺達は、何気ない会話をしながら電車に揺られ、目的の町に向かった。

 降りる駅を知らないので、なるべく手を握りあって果乃に連れられた。

 そこは俺も何度か来たことのある町だったが、ぶらつくのは初めて。


 その後は、食べたいものを食べたり、ちょっとゲームセンターに入ってホッケーしたり、買いたいものを買ったりと、中々充実したデートができていた。


 楽しいと……時間の経過は本当にあっという間で、気付けば茜色の空を見上げていた。


「さて、それでは行きましょうか」


 果乃はその場所を知っているらしい。

 町から少し離れたところまで歩いた。

 数分で、薄暮れでも目立つ料亭が目前に。

 その店前に……一人の男性が待っていた。

 果乃はその男性の元へ駆け寄って向かっていく。


「お父さん、待っていたんですか?」

「丁度、私も来たところだよ。早速入ろうか、そこの君も」


 その佇まいは……普通。

 仕事帰りなのか服装はスーツで、シンプルでありつつもヴィンテージ感のある眼鏡を付けている。

 他人の親をとやかく言おうとは思わないが、果乃とあまり似ていない。

 どちらかというと、奏には似ていたかもしれない。

 ……まあ、その瞳の色は紛れもなく父親か。


 眼鏡の奥から、俺は紫色に見つめられる。

 その眼には何も感じないけど、表情筋が豊かなようで一瞬緩んだ。

 成る程、隠しているのは警戒心らしい。

 普通に見せかけているが、本来を見せない演技。

 流石に俺も慣れてきた。


 ……娘の彼氏に警戒するのは当たり前だと思うから気にするだけ無駄だろうしな。

 世の親なら、自らの子供に近づく輩がどんなものか警戒するに決まっている。

 特に、家族になる可能性を感じられる俺の立場なら尚更だろう。


 料亭の中を案内され、畳の部屋に丁度3人の用意された椅子に持て成されて座った。

 食卓には懐石料理が既に並べられ、各々の前にお重が用意される。


 普通、お重の蓋を開けてくれるものだけど、果乃の父親が合図を送り案内人を下がらせていた。

 つまり、早速料理に手を付けてはいけないという事か……ふとした油断が怖いなぁ。

 3人だけになった瞬間、果乃の父親が口を開いた。


「私は丹羽敦、果乃の父だ。君の名前は?」

「神田朋瀬と申します。果乃さんの彼氏をやらせていただいています」

「ああ、それは知っている。果乃とはあまり会えないのだが、昨日電話である程度の話を聞いている」


 会えない……とは?

 仕事が忙しくて家へと帰ることが叶わないのか。

 少なくとも毎日は会っていないのは知っていた。


「ちょっと、お父さん。そういう内容は今いいですから……」

「そうか。なら、早速婚約者の朋瀬くんに問いかけようか」

「はい、なんでしょう」


 嫌な予感がした。

 果乃にすんなり従って話を切るというよりも、早くその話を出したかった様な感じがする。

 つまり、本題という事か。

 婚約者と強調する部分が特に俺を揺さぶった。

 婚約者……だから?

 それで、どんな覚悟をすることになるのだろう。


「丹羽家は、近いうちに酷い惨状になる。簡潔に言えば、多額の負債……借金を負う嵌めになるだろう。君は、果乃のためにそれを背負う覚悟があるかい?」


 それは、あまりにも唐突で想像とは大きく離れた問題だった。

 借金……?

 ――は?


 突然のことに、意味がわからねぇ。

 こんな慣れたように高級料理が並べられているのに、突飛な話だ。

 どう答えようと、これはこの人にとって最後の晩餐になるのだろうか。


 でも、俺はその問いに答えざるを得ないのだろう。

 料理が冷める前に、即断しなければならない。

 回答なんて、決まっている。

 しかし、ただ回答するのが正解とは思えない。

 その問いに隠された真意を暴こうじゃないか。

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