第34話

 梶田へ纏めたデータを送った。

 恐らく脅威は去ったと見ていいだろう。

 まだやるべき事が残っているが、ひと段落だ。


 丁度、休日を迎えたので、俺は丹羽さんをデートに誘った。

 束音との約束を果たすためだ。

 丹羽さんを好きになること。

 それは決して難しいことじゃない。

 これまで彼女と接してきた経験からも、俺は彼女に惹かれてきている。


 人を愛する一番の方法は、相手を知ることだ。

 元を辿れば俺が束音を好きになったのは、彼女が俺の理解者になってくれたからだ。

 故に、時間を使って一緒に過ごせばいい。

 思い立ったらすぐに行動すべし。


 という訳で、前日に誘った結果、二つ返事で丹羽さんが了承してくれた事で、それはすぐに叶った。

 言葉にはしなかったが、所謂デートだ。


「おはよう、朋瀬くん」

「ああ、お互い時間通りだな」


 ある程度のデートプランを練り上げている。

 今日は少し遠くの水族館へと一緒に行く。


 ただ一緒にいる時間が欲しかっただけで、何かをしたかった訳じゃない。

 そんな手持ち無沙汰のどうしようもない俺にとっては、都合の良いデート場所。

 しかし丹羽さんは意外にも嬉しそうにしていた。

 丹羽さんと一緒にいる事で彼女を知ろうとしたけど、知ろうとするほどわからない。


「小さな水槽に泳ぐ熱帯魚は綺麗ですね。かわいいと思いませんか?」

「……かわいいよな、わかるよ」


 多分、丹羽さんは今日も仮面を被っている。

 だからわからないのだ。

 そして丹羽さんに対する俺の感情も……偽物だ。

 熱帯魚を見ながら交わした言葉だって……束音を思い浮かべて発した偽物だった。


 こんな時でさえ、束音の事しか頭にない。

 水槽の中で遊泳する魚が羨ましくなる。

 俺も、少し前までは世渡り上手に生きていた。

 それが過去の栄光が眩しく思えてしまう。

 今でも、クラスメイトからしたら……そんな風に見られているのかな。


 ――いや、単純に恋愛が不得手だったのかもな。

 他の人間と比較して自信を取り戻しても虚しいだけか……。


「次は、イルカを見に行きましょう!」

「ああ」


 俺の腕を取った丹羽さんの歩くスピードは、少しずつ上がっていく。

 なんだか、本当に楽しそうだ。

 俺も、自分がリードされるのはとても楽で、余計な事が脳裏に浮かぶ。


 イルカのショーは、空の下で行われていた。

 少し暗かった館内と比べて丹羽さんの顔が見えやすい。


「今の、凄いですね。やっぱりイルカって頭が良いんですね。感動です」


 満面の笑みは――どう考えても偽物じゃない。

 これは俺の見る目が間違っているのだろうか。

 それとも俺と同じように、誰かを想って完璧な演技ができているのだろうか。


 自分で演じていると……わかるよ。

 丹羽さんの楽しそうな表情が、仕草が、言葉が、誰かに対する本物である事実が。

 その想いは一体、誰に向けられているんだろう。


 ――水族館を満喫した後。

 駅内のレストランでランチを食べながら俺は丹羽さんに訊いてしまった。


「果乃は、好きな男子がいるのか?」

「え?」


 瞬間、丹羽さんは手に持っていたフォークを皿の上に落とし、カランと音が立った。


「雰囲気を壊して申し訳ないけど、ちょっと知りたくなってさ……」

「時々浮かない顔をしていたのって、それですか?」

「……顔に出てたか。まあな。否定しない」


 俺は疑いが顔に出ていたのに、丹羽さんは何も思わなかったのだろうか。

 ずっと楽しそうだった顔の裏で、何を考えていたんだろう。


「そう、そうですね。一応彼氏ですし、教えていなかった私の落ち度ですね。いますよ、好きな人」

「――ッ」


 その瞬間、俺の何かが壊れた音がした。

 自分で訊いておいてショックを受けるなんて……なんとも情けない。

 こんな事実を知って、どうやって丹羽さんを好きになればいいんだろう。

 束音の願いとはいっても、こんなのは苦行だ。


 これは……束音の復讐だったのか?

 あの時、束音自身が感じた苦しみを俺に味合わせたかったのかな。

 こんな焼き回しみたいな展開に、俺の心まで焼き付くされそうだ。


 ――そんなの、辛いじゃないか……あれ?


 どうして俺が辛くなるんだよ。

 晴れて、束音と付き合えれば、丹羽さんなんてどうでも……良かったはずなのに。


 愛することを要求されているから?

 束音を裏切ることになって、だから辛いのかな。


 でも、好きな相手のいる女子を愛することができるなんて、束音以外ではできそうにない。

 それなら、絶対に敵わない恋をしろって?


 ――またかよ。

 一度経た苦い展開に、一度経た苦い記憶が蘇る。


そんな時、俺の動きがピタリと止まったことに気付いた丹羽さんが、言葉を加えた。


「でも、勘違いしないでください」

「勘違い……? 何が?」

「今、誤解をしていると思います」

「いやいや、別に何も誤解なんてしてないぞ」


 すると、目を細める丹羽さん。

 何が可笑しいんだろう。


「ほら、俺の心が読める訳でもないだろ」

「いいえ、絶対に勘違いしています。朋瀬くんは、過去に後悔しないんですか?」


 必死に違うと言う俺に対して、丹羽さんはいつまでも冷静だった。

 誤解だって……?

 なんだ、それは――。

 それはまるで――。

 この展開は、紛れもなくあの時と同じじゃないか。


「何だよ、その質問。後悔なんてしてばかりだよ。今この時だって反芻するような後悔がある」


 丹羽さんの介入さえなければ――俺は束音と結ばれる筈だったのだ。

 丹羽さんにその事で恨みはない。

 けれど、俺にとっては後悔せざるを得ない。

 あの日が全ての始まり、分岐点。

 ――ターニングポイントだった。


 後悔しない日なんて、無かった。

 ――そうだ。間違いはあそこだった。

 丹羽さんと関係を始めたその一点に尽きる。

 あれさえなければ、俺は幸せになれたのだから、丹羽さんを恨まなければいけない。


 それができないなら、自己欺瞞でいい。

 どうにかその芽生えそうな感情を断ち切りたい。

 人を愛するのは、簡単じゃないんだ。

 簡単であっていいはずがないんだ。


 簡単だと、真実が何かわからなくなってしまう。

 大切な真実を守るために、他を切り捨てなければいけない。


「でも、やり直したいとは思わないんですね」


 ――そんな訳ないだろ、俺には未練しかない。

 あれは、叶えなければいけないシーンだった。


「何が言いたいんだ……これが、何のやり直しだって――――っ」


 気付いてしまった。

 何故気付かなかった。


 ……そうだ。誤解だ。誤解があったんだ。


 ターニングポイントは、丹羽さんと偽装交際をするよりもっと前。

 俺が――束音を誤解してしまったから。


「は、ははっ…….」


 でも、今度は泣かせる前に気付けて良かった。

 いいや、丹羽さんが気付かせてくれたのか。

 これは、本当にあの日の焼き回しだと……!?

 ――やり直しだと、言うのか?


「果乃の好きな相手って、俺?」

「気付くのが、遅いです。束音さんが苦労する訳ですね」


 そこにある柔和な笑顔は、とても演技には思えなかった。

 だからこそ演技かどうか言葉で教えてほしい。


「演技……ではなく?」

「はい、私は気付けばあなたに惹かれていましたよ」


 丹羽さんの言うことは間違っていなかった。

 確かに誤解だったけど、信じがたい事実。

 ここ数日で、恋が芽生えるなんて認めていいのか……?

 俺は何にもしていないじゃないか。

 何も成していない。

 そんな俺に惹かれる理由なんてない。

 それさえも演技ではないかと、まだ疑ってしまう。


「どうして……?」

「どうして私が、あなたを好きなのか、ですか?」

「そう、そうだよ。何か理由があるんだろ?」


 俺の疑問に、丹羽さんは目を瞑って、話すべきか迷った顔をした。


「私は――朋瀬くんのことを、高校入学前から知っていました」

「……え?」


 どういうことだろう。

 俺は、丹羽さんと関わったことなんて……欠片も記憶にない。


「驚くのも無理ありませんね。私が一方的に知っていたのですから」

「……どういうことだ?」

「丹羽奏……私の妹が、あなたのことを教えてくれたんです」


 奏――その名前を俺は知っている。

 小学生の頃、仲良くしていた一つ年下の女の子。

 つい最近、辻本と似ていると感じた……昔の後輩の名前だ。

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