第33話

「今日は二人きりで帰ろう。どうせ、部活はサボるんだろ?」


 放課後、教室を出た束音を追いかけ、足並みを揃える。

 しかし束音の反応は思いのほか微妙なものだった。


「あー、偶には部活にも行った方がいいかもね」

「え?」


 そんなこと……普段の束音なら絶対に口にしない。

 何かがおかしい。

 まるで、俺と一緒に帰りたくないから、今日は部活に行こうとしているみたいだ。


「あんたは先に帰れば? 別に、見に来てもつまらないよ」

「いや、見に行くよ。この後は……暇だから」


 ――俺を焦らしたいのか? そ、そういうことか。

 告白の時もそうだったけど、束音の焦らし方は心臓に悪い。

 まさか束音が俺を避けるなんて……そんな訳ないのに。


「束音来るの?」


 そんな時、背後から俺の肩に何者かが手を置いた。

 俺達の会話が聞こえていたのか、千春が現れた。


「うん。流石に身体訛っちゃいそうで怖いからさー」


 最早二人きりで帰れるムードでもない為、いつもの四人で体育館へと向かう事にした。



 一応、女子しかいない部活に紛れるのはよろしくない。

 見学といった形で、俺と周太は館内の壇上に男子二人並んで座る。


 ストレッチが終わり、ボールが床に与える衝撃が反響し、幾つかのチームに分かれて練習が始まった。

 束音はあまり参加しない割には普通に動ける。

 今のところ足を引っ張ったりしている様子はなかった。


 ここには後輩達を含め千春に目をかけられている子しかいない。

 だから、目の敵にされるとか心配をしているわけではないのだが……。


 ただ、もしかしたら俺のことを意識して気合が入らない……とか、そういう事があってもいいのではないかと思ってしまった。

 ちょっと重いかな。意識しすぎかもしれない。


 今も束音は自身のポテンシャル発揮できているのに、俺は調子が悪くなっていてほしいなんて考えている。

 俺は彼女を慰める機会を欲しているのだ。

 ……最低で酷い話だ。


「朋瀬って、本当に束音のこと好きなんだな」

「……あぁ。だからさ、果乃とはあと腐れなく別れられればいいなって」

「…………」


 俺の言葉に驚いたのか、周太が目を見開く。

 変なこと言ったかな。


「……お前らの関係が偽物だっていうのはわかっているけど、朋瀬ってドライなんだな」

「ん、何が? 最初からこんなだぞ」


 ドライ?

 そんなわけないだろ……俺は一意的な感情で動いている訳じゃない。


 千春とここまで近くて進めない周太こそ、ドライって感じだ。

 ……周太がそう思ったのは、自分のことを棚上げしているんじゃないか。


「……はぁ」


 一旦、冷静になって頭を冷ます。

 俺にも周太の気持ちはわかる。

 ……自分がそうだと、他人はもっとそうであると思いたくなるものだ。


 自分が一番不幸ではないと信じたくて、他人がもっと不幸だと思いたいよな。


「いやさ、朋瀬が丹羽さんを名前呼びした時は、相性良かったのかなって思ってさ」

「……みんなを騙す為だよ」

「その割に、俺の前でだって名前で呼ぶ。みんなを騙すだけなのに?」


 積極的に交際をアピールしたのは、確かに俺の方だったかもしれない。

 けど、そこに意味が必要なのだろうか。


「俺は……そんな器用じゃないんだよ。いいだろ別に、気にすんなよ」

「――本当かよ」


 それでも疑うような眼差しを送ってくる周太。

 どういえば気が済むんだ。


「もし、束音が他の男を好きになっていたら……本気で果乃の彼氏になろうとしていた自分もいた。名前呼びは、その名残に過ぎない」

「へぇ……」


 確かに意味があった。

 あれは俺の覚悟だったのだ。


 心の穴を埋めるための機会……それは蜘蛛の糸を掴むような厳しさでも登ろうと思える程の覚悟を俺に持たせた。それだけのこと。


「なあ朋瀬、それって……お前の都合なんだよな?」

「そうだよ。果乃は元から俺の事好きじゃないし、後は上手く丸め込めばいい」

「お前のことを好きじゃない……か。朋瀬、自分のこと過小評価しすぎじゃないか?」


 そんな訳ない。

 むしろ、ここで好かれているだなんて自信過剰もいいところだ。

 新手の嫌がらせか? 周太にそんなこと言われる心当たりはないんだが。


「……だったら何だよ」

「別に。だけど、丹羽さんは傷付きそうだ」

「果乃は本気じゃないし、本気にならないよ」


 丹羽さんに好かれるようなことなんて、殆どない。

 人は、数日で懸想するほど軽い生き物じゃないんだ。

 梶田の一件だって、丹羽さんなら一人で何とかできたかもしれない。


「…………」


 言い返してこない周太を横に、俺もまた黙って束音達のバスケを鑑賞することにした。


 あまり、深入りしても得られる事はないと悟ったのか、しつこくすると嫌われると思ったのか……どの道助かる判断だ。

 気付けば、部活動終了時刻のチャイムが鳴った。


「帰ったと思っていたけど、いたの……」

「いたよ。束音と一緒に帰りたかったから」

「彼氏でもないのに、ご苦労なことね」


 今日の束音は相変わらず俺に対して素っ気ない。

 でも、そういうところも可愛いと思えるのは、惚れた弱みなのだろうか。


 千春は周太と一緒に話しており、これから帰る予定のようだ。

 俺達も同じ……それがいつも通り。

 態々声をかけて一緒に帰るのは、いつぶりか。

 気付いた時には、それが当たり前になっていたから、初々しい気持ちになる。


「束音~、お疲れ!」

「うん、また明日」


 千春と束音は声を掛け合って別れた。

 対して俺と周太は何も言わずに自然と。


 日が沈み、暗くなっている空の下――俺と束音の二人きりの帰り道。

 俺が緊張している最中、束音の方から声をかけてくれる。


「それで? 何か私に話があるの?」

「ある……と言えば、そりゃあるだろ。梶田の件とか……」


 本当はそんな事どうだって良かった。

 何も話さなくたって、束音との時間は特別だから。

 しかし束音の方が違うらしい……理由を訊かれたなら、答えないといけない。


「言われた通りツイートは消した。これであんたも候補には入らないのよね」


 それは梶田との一件で束音に頼んでいたこと。

 実は……以前に周太が丹羽さんに告白をして、フラれたという情報はあまり広がっていなかった。

 そこを利用したのだ。


 発信されたSNSの呟きを見て、恐らく投稿主と束音だけは気付けただろう。

 けど、俺と周太の内どちらが告白した人物かははっきりしていなかった。


 知っていた束音だけがリプで答えを送っていたけど、そこまで他の人が興味を持っていなかったのか、無視され表示数も一桁とかだった。


 すなわち、束音のそのリプライさえ消えてしまえば、告白した人物が俺か周太かわからなくなるという算段。

 それは見事、梶田を騙す材料になってくれた。


「ああ、後はこの間違った推測を梶田に教えるだけだ」

「……そ」

「その時の理由にさ、俺が束音と付き合っている可能性が高いって書いていいかな?」


 紛れもない嘘。

 でも嘘を吐くわけにいかないのは丹羽さんだけだ。

 ――これは念のため。

 ――伝える相手なんて本当は誰でもいい。

 ――ただ俺は、誰かに束音との関係を認めてほしい。


「……いいけど。本当に、そんな事が訊きたかったの?」

「え、何だよ?」

「だから、違うでしょ。昼休みの時、私が途中逃げた理由を訊きたかったんじゃなかったの?」


 何だろう。

 それが、今日束音の不貞腐れている理由なのだろうか。


 ただ、確かにその理由は気になる。

 俺は束音のこと、辛い事も苦しい事も含めて何でも知りたいと思っているから。


「いや、それは知りたいけど……物事には順番があるからさ」

「……そうなの。早とちりして悪かったわね」


 俺が気付いてやれなかった所為で、どうにも束音の機嫌は良くない。

 謝っているようで、彼女のその目には全く悪気を感じられないのだから。


「じゃあ訊くけど――果乃ちゃんは私よりも優先順位が下だから、簡単に切り捨てるの?」

「は、はあ? 何言っているんだよ……そんなことないだろ。お前、変だぞ?」

「変なのはあんたでしょ。あんなに気にかけた表情していた癖に、行動に移さなかったじゃないの」


 それは、束音が今日の計画のことを知らなかったから。

 どころか、行動に移されたら計画が台無しどころじゃない。

 万が一にも、丹羽さんとの関係が判明してしまうじゃないか。


「無理だろ。それをするべきじゃないことくらい、束音だってわかるだろ?」

「私は言ったよ? 果乃ちゃんを気にかけてあげてって」

「それは――」


 確かに言われたけど……。

 いや、言われたから今朝だって図書室で話しあったりだってしたし――。


「できることをしないことに怒っているんだよ。放課後だって、果乃ちゃんのこと探す素振りすらなかった。あんた、今は彼氏なんじゃないの?」

「…………」


 全部、気付いていたのかよ。

 じゃあ、それが昼休みに逃げた答え?

 ……意味がわからねぇ。

 どうして――。


「どうして、そこまで丹羽さんを気に掛けるんだよ」


 束音には、俺だけを見てほしいのに――。


「そう……あんたは、自分の彼女を気にかけないんだね」

「――ッッ!!」


 本心は、それか。

 俺が馬鹿だった。

 確かに、束音に悪い彼氏像を見せて、好かれるわけないのに。


 けど、丹羽さんとの関係が上手くいっていたら、もしかしたら束音は身を引いてしまうんじゃないかって……そんな不安がつき纏って仕方なかった。


 ――どうすれば良かったんだろうな。

 偽装カップルだから、むしろ崩壊を束音が望むと思っていた。


 でも、でもさ――束音は純粋な女の子で、そんな黒い感情持つ筈がないじゃないか。

 これでは、理解者失格だ。幼馴染失格だ。


「し、信じてくれ……あれが果乃じゃなくて束音だったら、すぐにでも助けていたよ」


 それは本心。

 もぅ嘘なんて吐きたくなくて、残された俺の手段は真実を口にすることだけだ。


「彼女を大切にできないのに? ……それで他人を大切にできるなんて信じられないよ」

「お、幼馴染だろ? 他人じゃない。ほら、彼女よりも固い絆がある」


 お互いに、誰よりも深い関係。

 絶対にこれ以上はない繋がりを持っていると確信している。

 だから信じてほしいのに――。


「朋瀬は、壊れかけちゃっているよ。多分だけど、私がここで見放したら本当に壊れてしまう」


 まるで、束音は諦めた顔で独り言のように呟いた。

 やめてほしい。

 無視されたことに、俺は我慢できない。


「俺はまともだよ。大丈夫だから、そんな心配いらないって……」

「……じゃあ、約束してくれる?」

「ああ、何を約束すればいい。なんだって、応えるから……」


 見捨てないでほしい。

 どうか赦してほしい。

 そんな気持ちばかりで、頭が痛くなる。

 やがて、束音は約束の内容を口にした。


「果乃ちゃんをちゃんと愛して。それができるなら、私は朋瀬を信じるよ」


 ――そこにどんな意味があるのだろう。

 でも、そんなことを考える余裕はもう無くて。

 それが如何に残酷なことに気付くことができなくて。

 だから了承してしまう。


「わかった。果乃を愛するよ」


 それが、束音の頼みなら仕方ない。

 きっとお前に相応しい彼氏像を望んでいるのだろう?


 そのための予行練習をしてくれと言っているのだろう?

 辛うじて正常に働いた脳みそが都合よく解釈する。


 太陽は完全に沈み暗くなった帰り道は、電柱の灯りが照らすことで明るさを取り戻した。

 俺の心も上塗りして、大切な君に認められたい。

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