第32話

 ――昼休み。

 茅原が席を外している間を見計らって梶田が教室に入ってきた。

 予定通りだ。


 以前のことがあったからか、教室の生徒達は黙々と梶田を中心に距離を取った。

 茅原抜きのクラスで、首を突っ込もうとするのは千春くらいだが、彼女はギャルグループのことにだけは関わらない。


 だから、何かが起きそうになったら、本当に俺が口を挟むべきだろう。

 千春はいい顔をしないかもしれないけど、茅原グループへの牽制という大義名分はあるのだから。


「なぁ丹羽さん、話聞いてくれないか?」

「わざわざ、紫苑がいない時に来たの? ……クラスのみんなに迷惑かけちゃうから、手短にどうぞ」


 減らず口で対応する丹羽さん。

 しかし梶田は一歩も引かず、どころかその顔に不気味な笑みを浮かべる。


「丹羽の彼氏、実は見つけちゃったかもしれないんだ」


 彼氏を見つけた? どうやって……?

 梶田の言葉に、血の気が引いたのは俺の方だった。

 ……は、ハッタリだろ。


 動揺を見せる訳にはいかない。

 俺は静かに深呼吸して心を落ち着けた。


「それでさ、決定打が欲しくて訊きたいんだけど

「何の……?」

「そんなの今の彼氏について……丹羽から告白したのかなってさぁ?」

「そう……ですよ。それが何か?」


 少し敬語になってしまったのは……気を許したからではなく余裕の無さの現れだろう。

 動揺しているのは俺だけじゃない。

 むしろ、計画が狂っている丹羽さんの方が精神的にキツイかもしれない。


 気付けば彼女の手は自身の髪へ触れようとして……ギリギリ触れなかった。


「それってさ、丹羽さんが告白に折れた訳じゃないんだよね?」

「私が……そんなに安く見えますか?」

「ははっ、肯定と受け取っていいのかよぉ? それ」


 なんだ、この違和感は……。

 梶田の回りくどい言い方がとても怪しい。

 俺の知らない何か、目的があるのだろうか。


「もちろん。私に告白してきた人の中に彼氏はいません。誓いましょう」

「もし、嘘だったら俺と付き合ってくれる?」


 この野郎。

 強気でいたのは、主導権を奪うためか。

 梶田は鼻から、強欲に丹羽さんと付き合う事を望んでいたと……。

 望まぬ交際に意味なんてないのに、盲目的だ。


「そ、そんな事――」

「誓うんだよね? なら、はっきり答えろよ!」

「……嘘だったら、梶田くんと付き合います」

「クラスの皆さん聞きました? お前らが証人だ!」


 脅迫にも聞こえる怒涛の言葉攻め。

 今の駆け引きは、丹羽さんの負けと言っていいだろう。

 だけど、予定とは違ったけど、これは……。


 ――上出来だ。


 ここまで上手くいくとは思わなかった。

 梶田はほんの少し詰めが甘かったのだ。

 アンチの言葉を多少なりとも信じたからこそ、引っかかった。


 彼氏を見つけたという台詞は間違いなく梶田のハッタリ。

 丹羽さんに反論させず、あの提案を受け入れてもらうための手段に過ぎなかった。

 そもそも知っていたら、脅迫紛いな今の提案をしないだろうからな。


 結果として、梶田の提案は全く俺の計画に支障をきたす事ではなかった。

 むしろ、彼が自分から沼にハマってくれた。

 あれだけ欲深いなら、アンチと疑うことはまずないだろう。

 完璧。計画はこれ以上ないくらい、上手くいっ――。


「果乃!?」


 戻って来た茅原が、駆け付けた。

 何事かと丹羽さんの顔を見れば、真っ青になっていた。


「果乃、大丈夫? 何言われたの? ねえ」

「大丈夫だよ……何もされていないから。ちょっと、気迫に驚いちゃっただけで……」


 ――演技だよな?

 恐ろしかっただろう。

 怖かっただろう。

 そんな同情的な視線が彼女に集まる。

 でも、そんな丹羽さんの働きで計画は上手くいった。


 俺は……可哀想だとか、慰めてあげようだとか、そんな感情は湧いてこなかった。

 ――その顔は、演技でないと判っている癖に。


 俺は酷い奴だな。彼氏の癖に、何も感じない。

 きっと本気じゃないからだろう。

 束音に対して感じるソレとの間には、絶対的な境界線があるのだ。

 たとえ、丹羽さんが本気で俺を好きになっても、俺は本気にならない。


 ふと、隣にいた束音の方へ顔を向ければ丁度目が合った。

 俺の顔をずっと見ていたようだ。

 ……別に面白くもないだろうに、なんだろう。


「ねえ、何その顔……」

「何だよ。はっきりしないな。俺の顔がなんて?」

「ううん、何でもない。忘れて」


 そう言い残して、午後の授業を知らせる予鈴の前に自分の席へと逃げた。

 あと二人、周太と千春も信じられないものを見る目で俺を見てくる。


「何だよ、お前らも」

「いや、何って……丹羽さんをじっと見ている朋瀬の顔が不気味だったんだよ」

「あ? 不気味って……気のせいだろ」


 何が可笑しいんだろう。

 全部、気のせいだ。

 ――悟られるな。


「で、でも――」

「なんで俺が丹羽さんを気にするんだよ」

「…………」


 周太ならわかるはずだ。

 俺の秘密に勘付いているだろう。

 故に、そこに踏み込むことは、絶交すらあり得る道だということだ。

 それも千春の前で――そんな勇気、周太にあるはずがない。


「で、でも、じゃあなんでそんな焦った顔して見ていたの?」

「焦ったって、何の話だ?」

「わからないけど……朋瀬、さっきすぐにでも丹羽さんのところに行きたそうだった」

「全然そんなことねぇよ。千春……お前は、知っているだろ?」


 あくまでに千春に察してもらうことで、触れてほしくないという意思を示す。

 しかし、意味が分からないな……妙な解釈違いだ。

 ……そんな訳ないのに。


「なあ、朋瀬。俺はさ……お前の味方だから。何かあるなら、相談してくれていいんだぞ?」

「俺が、何かおかしいのか?」

「おかしいだろ。悪知恵ばかり回すのは、過敏に反応しているからじゃないのか?」

「っ、さあな」


 図星を突かれるような感覚。

 まだ心の整理ができていないのに、勘弁してもらいたい。

 そんな俺の反応が気に障ったらしく周太の顔が一瞬怖くなったが、すぐに元に戻った。


 周太の優しさを素直に受け取ってやれるほど、俺には余裕がないのだ。

 対して千春は俺のはっきりしない気持ちに何か燻ぶっているようだ。


「いや、俺が悪かったよ。つい、八つ当たりをしてしまったな。梶田に復讐しようとか妙な事は考えてないよ。だから、安心してくれ」


 適当だが、違う推測を及ぼす御託を並べた。

 単純に、俺が善意で丹羽さんの身を案じていたように思われたなら、それでいい。

 周太は本当の関係まで知っているが、そういう解釈も出来るだろう。


「……平気なら、いいんだ」

「でも、本当に抱えている事があるなら、やらかす前に教えてね?」

「わかってる」

「なんなら協力してあげるから」


 二人は、本当に優しい。

 たとえ演技だとしても、とても飲み込みやすい優しさだ。


 ストレートに伝わってくる心配が、仲間意識を感じさせてくれる。

 やはり今のグループは大事にしたい。


「協力って千春……それはダメだろ」

「周太だって、そう言いながらいつも協力してくれるじゃん」

「当たり前だろ。爆発しそうになったら、相談に乗ってくれ。またキャッチボールでもいい」

「次はバスケって決めているから」

「周太とやれよ」


 千春があまり俺に構っていると、周太が怖くなってくる。

 だから、ちょっと遊ぶにしても、程々にしてもらいたいところだ。


 ――他に気がかりなことがあるとすれば、束音のこと。

 俺が丹羽さんに入れ込んでいると思っているのなら、そうではないと正しておかないといけない、よな……?

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