第18話

 教室に入り席に座ろうとした時、予想外の方向から声をかけられた。


「と~も~せっ!」


 教室の扉からした声の方向を向いた瞬間、額に目掛けて何かが投擲された。

 俺はそれを見た瞬間、反射的に腕が動き手に掴む。

 手の中身を確認する前に、近づいてくる声の主を確認して呆れる。


「ナイスキャッチ! 訛ってないねぇ」


 いや、声がした瞬間に何かしてくる予感はしていた。


 老沼千春――俺達のグループのリーダーみたいなやつだ。

 でも、やる事はいつもアクロバティックで……少々困る。

 御覧の通り、小学生男子みたいな悪戯が好きな女子だ。


「いきなり危ないだろ、千春。ん……? これ何のつもりだ?」


 手に掴んだ物を見ると、100円硬貨だった。

 クソあぶねぇ。

 目に入らなくても、頭部に当たれば脳細胞が幾つか死ぬのは避けられないだろう。


「この前のジュース代。借りたじゃん?」

「そうだったっけ。忘れていた」

「そっか、じゃあ損しちゃったね」


 ケロっとこう言う千春。

 彼女はそれなりに義理難いから、どうしたって返してくれただろう。


 返し方に問題はさておきな。

 それに、彼女は俺が昔野球をやっていたことを知っている。


 信頼されていると捉えれば気持ちが良いものの、そういう過度な期待が他人を傷つけることもある。いや、彼女の場合は一回くらい痛い目には合うべきなのかもしれないな。


「しかし、千春こそ良い精度じゃないか」


 ダーツとかも上手そうだ。


「そりゃもちろん。女子バスの主将ですし? ああでも、束音はいつも額にコツンって当たっているよ」


 バスケが上手くても、球の大きさが違うし理由にはならないのだが。

 千春の投擲精度がいいのは、元々ハンドボールをやっていたからである。

 衰えていないのは、お互い様という事だ。


「って、束音にそれは酷だろ」


 ……やり返されるという意味でな。

俺がやったら、間違いなく痛烈な蹴りが入る。


「部活内の虐めは問題だぞ」

「やだなぁ。バスケットボール投げたら大怪我するでしょ?」

「そういう話はしてない」

「個人的なお金の貸し借りだから、部活関係ないよーだっ」


 そう言いながら顔を逸らす千春に、俺は溜息を吐く。


 束音と千春は、同じ女子バスケットボール部に所属している。

 まあ束音の方は滅多に顔を出さないらしいが。

 主将である千春の温情で籍があるだけの、幽霊部員に近いだろう。


 そういう暗黙の了解を利用して、穴を突いたことをするのは、知恵の間違った使い方だ。しかも彼女の場合、大胆が過ぎるからな。


「細かい事を気にしたら、人生お終いだよ?」

「千春こそ、油断していると気付かない間に何かが迫っているかもしれないぜ?」

「あはは、そんなわけ……おっとぉ?」


 静かに近づいていた束音が、背後から千春の肩を掴み、振り返ろうとした彼女の頬に指を突きさす。

 束音は足音を消すのが昔から得意なのだ。

 俺も何度かされたことがあるが、いつも驚かされる。


「ふふん、束音に捕まっちゃった~」

「意味わからないんだけど……何の話していたわけ?」

「部活で後輩いびりはやめろ、って注意していたところだ」

「最近行ってなかった間に一体何が……?」

「束音が来ないから、代わりを探していたんだ〜」


 首をかしげる束音。

 千春の言う代わり、というのは弄る対象のことか……過激な事をしていないといいけど、どうだろう。


「そういうのは、周太にすればいいのにな」

「……むっ、そうだね。最近、周太と話していない気がする」


 ハッと顔色を変える千春。上手く装っている様子だが、彼女の方から避けていたことに、俺は気付いている。


 何がきっかけになったのかはわからないが、だからこそ距離を置いている二人の関係は見ていて……早くくっついちゃえよ、と思わなくもない。


「それで、束音は上手くいったの?」

「それ……訊いちゃうんだ」


 俺と束音にだけ聴こえる程度に声量を落とし、千春は本題に入った。

 千春にとっては、丁度いい話題転換だろう。


 しかしなんて、間の悪い。千春は顛末を知らないのだから興味も湧くだろうけど、俺達は若干ぎこちない顔を浮かべるしかなかった。

 束音が続けて呟く。


「ノーコメントで……」


 情けなくも、それが正解なのかもしれない。俺も束音の返答に同調して頷く。


「えっ、何? 朋瀬、どういうこと?」


 しかし千春は納得してくれない様子。


「その話題、俺に振るのか……。俺が何も知らなかったら墓穴を掘っていたぞ」


 束音にはしつこく質問せず、今度は俺に尋ねてきた。

 デリケートな話題なのでもう少し丁寧に状況確認をしてもらいたいところだが、千春にそれを望むのは酷な話か……主に性格的な理由で。


「えー! 束音の反応からして、絶対ワケアリでしょ。朋瀬も普通にしているし、悪い方向にいったとは思ってないけど……」

「話が複雑だから、良し悪しを問うのは違うな。結論からいえば、束音に対して返事を保留した。以上だ」

「は? 何それ。いや、えっ? 意味わかんない。束音はそれで納得したってこと?」


 次に、千春は束音へと顔を向けて、少し怒った表情を見せる。

 千春は相談されていた訳だし、成功に確信を持っていたのだろう。


 煮え切らない回答に不満を思うのは、当然だよな。でも俺だって迷い続けて得た回答だ。

 とやかくは言われたくない、な。


「千春にも話せない事情があるの。納得は……どうなのかな。でも、諦めた訳じゃないから」

「そう。束音がそれでいいなら、私がいう事はないよ。でもね、こっちもちょっと自信無くなっちゃうな〜」


 束音が申し訳なさそうにすると、千春は追求をやめ、わざとらしく笑った顔を見せる。

 何も言ってくれないのは非常に助かるが、後ろ向きにそう言われると申し訳なくなった。


「何の自信なんだ?」

「束音が秘密にしたこと。結構長い付き合いなのに、信頼されてないのかなーって」


 何か、誤魔化した気がした。

 確かに信頼を無碍にするような台詞。しかし自信という言葉が、千春自身に向けられたように感じた。


「千春、違うの。これは朋瀬との勝負で絶対条件みたいなもので……」

「冗談だよ。勝負なら仕方ないじゃんね。じゃあ、勝負が終わったら教えてね?」

「うん」


 予鈴が鳴る前に、千春は自分の席へと戻った。

 最後にはすっきりした顔を見せてきたが、納得は……本当のところしているのかわからない。

 その後、周太が平然と来たが、こいつは何も訊いてこなかった。


 むくれた顔はしていたけれど、話しかけてこないということは面倒に顔を突っ込みたくないといった心境なのかもしれない。

 千春が関係ない立場にいるのなら、周太も静観を決め込んだのだろう。

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