第16話

 爽やかな朝の目覚めは叶った。

 昨日の事を考えると多少頭が痛くなりそうだが、睡眠はある程度の悩みなどを軽減してくれるカンフル剤のようなものらしい。


「あら、偶然ですね。朋瀬くん」


 登校すると、昨日別れた通りで丹羽さんに声を掛けられる。


 俺が現れるまで待っていた……とは考えたくないが、今まで彼女と登校中会った事はない。

 失礼にも待ち伏せしているのではないかと疑ってしまった。


「どれくらい待ったんだ?」

「いえいえ、本当に偶然ですよ? あわよくば、朋瀬くんか雪村さんに会いたかったのは本音なので、通路は変更しましたけどね」


 束音でもいいという部分が、言葉の真実味を上げる。


 本当に仲良くなる気があるということかな。

 もしくは、元々俺に執着を見せたのも、真の狙いは束音との交友だったのかもしれない。


 並んで歩きながら、そっと周囲を警戒する。

 まだこの時間には同じ学校の生徒が一人も見えない。


 品行方正な俺は、いつもこの時間に余裕を持って登校しているのだ。

 丹羽さんはいつも朝早く教室にいるような気がするし、言っている事は本当だろう。


「丹羽さんは別に俺に興味がないはずなのに、妙に昨日は拘っていたな」

「はい? 興味はありますよ。朋瀬くんみたいに積極的な人は何人もいましたが、朋瀬くんほど本気じゃない人はいませんでした」


 興味くらいは……持ってくれていたのか。

 その事実に少し安心する。

 俺を彼氏候補にしてくれた時点で、わかってはいたことではあるが、言葉にされると嬉しくなるものだ。


「本気じゃないのは、気付かれていたのか」

「ええ、他の人は下心剥き出しでしたから」

「普通の男子はそんなものだと思う」

「だから、普通じゃない朋瀬くんは特別なんですよ」


 意味ありげに微笑まれた顔は可愛かった。

 俺は、丹羽さんの中で特別扱いされているのか。

 それは……少し照れ臭いように感じる。


「特別扱いは、果乃の問題を解決したヒーローにしてやってくれ」

「なんですか? それ。解決してくれないんですか?」

「場合による」

「そうですか。頼もしいですね」

「は? 俺は気持ち良くイエスと言ってないぞ」

「きっと、朋瀬くんなら解決してくれますよ。そういうのに、向いているじゃないですか」


 俺が勝負好きのクソガキだって、知っているからとでも?

 だからって、丹羽親子の事情を掻き回せというのか……無茶がある。


「俺の勝率の噂は知っているのか?」

「4割でしたっけ?」

「そう、通常対等なルールでの試合とは勝率が5割になるようバランスが整えられる。でも、俺は4割。弱いんだよ」


 丹羽さんは、実際に自分の目で確かめなければ信じなさそうな性格をしているが、打算でいいから優劣くらいは図るべきだ。


「朋瀬くんが不利な勝負をしているのでは?」

「対等にやって負けてきているんだ。仲間内じゃ、よく馬鹿にされてる」

「だから、自信が無いと?」


 負ける可能性がない勝負なんて、何の意味がある。

 小説の読みすぎか? メタな視点から勝つに決まっている……からの、勝ちましたが楽しいのか? 俺には理解できない。


 一歩間違えたらバッドエンドじゃなきゃ、緊張感が出てこない。


 そして、負けるから次は勝ちたいと思うのだ。

 知略を巡らしたり、罠を張ったりして工夫をする。

 完全でなくてもいい、ぎりぎりの接戦でもいい、その結果勝つことに意味がある。


 だから束音との勝負事は、俺の日常的な楽しみになった。


「いいや、あるよ。自信無しで負ける予定の勝負をする奴は馬鹿だ」

「それもそうですね。それなのに、場合によると?」

「ああ、あんまりハードルを上げたくないのは、期待を上げると返って失敗した時のダメージが大きくなるからだけどな」


 誰かのためにする勝負なら、それは尚更だ。

 全力は尽くすが、この世には不条理が存在する。

 法律や物理法則など、許されないものは覆せない。


 そして、連なるもので最も厄介なのは風潮だ。

 私的に生み出された暗黙の規則は、全員にこそ通じないけれど、その範囲では不条理に値するだろう。


「あとは……」

「私のためを想ってですか?」

「違う。次の勝負で自信を持つためだよ。その他は、想像に任せる」

「そうですか」


 適当に誤魔化すと、素っ気ない返事をされた。

 まあ、問題の中心にいる丹羽さんは、難しいと感じているのかもしれない。

 この学校におけるカーストだって似たようなものだ。


 学校内という括りがあるが、その生徒である以上強制的に組み込まれる上下関係。

 そういった風潮が蔓延しているのはどうかと思うが、重要なのはそれが事実であることだ。


 不条理は覆せないのだから、そこに異議を唱えても自分の首を絞めるだけだ。


「事情については、教えてくれないのか?」

「気になったんですか? 逃げられたくないので、直前で言いますよ」

「直前で逃げられた方が、説得する時間がないから良くないんじゃないか?」

「冗談です。朋瀬くんと話がしたいので、意地悪をしています」


 ああ、俺が素直に会話をしているのが、事情を早々に知りたいからと思われたらしい。


 いい気分はしないが、完全に違うとは言い切れないし、そのわざとらしい笑顔が可愛いので許した。

 会話をしているうちに、学校が見えるところまで来てしまった。


 二人で入るのは関係発覚の原因になる可能性があったので、俺は少し遅れて入るため別れる。


「それでは、また放課後にでもご一緒しませんか?」

「そうだな……少し会ったくらいで疑われないだろうし、そうしようか」


 数分経って校舎に入る時、昨日の出来事が頭に浮かんだけど、即座に考えないようにする。

 しかし、俺が向かった時点で丹羽さんは下駄箱で立ち尽くしていた。


 ――なんで、まだ下駄箱にいるんだよ。

 少し離れた距離が気まずく、昨日の情景と重ねてしまった。


 その手にあるのは、一眼でわかるラブレター。なるほど、それが理由か。

 じっと見続けないようにして、自分の下駄箱へ向かう。


 俺がガタっという音を立てて下駄箱を開けると、続いて学校の扉を開ける音が重なる。

 一瞥すると、そこには――茅原紫苑の姿があった。

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