第12話

 束音がハンカチで涙を拭き取ると、ほほるいこんが見えた。

 真剣な顔をしていても、そのあとが感情の大きさを物語る。


 伝わってきているよ……束音のショックは、俺にとって同情できるものだ。

 だからこそ、その想いのきっかけや成り立ちを教えてほしかった。


 ――心の底から、同情したいのかもしれない。

 俺も同じく味わった苦しみだから。

 そんな感情の正体は、はっきりわからない。


「朋瀬は、言ったことがあるの。もし、自分が恋をするのなら……てね。覚えているかな? 何処かで、言ってたよね」

「ああ、覚えているよ」


 昔、束音と一緒に行った演劇の……とあるあいぞうげきえんもくを見た後の感想と共に、伝えたことがある。

 その物語が幕を開けたきっかけは、恋情だった。


『優しい心だって、他人の幸せを奪えるだけの魔力を秘めている』


 母親が与えた優しさにうんざりしていた男は、家出して一人の女性と出会う。

 自分に純粋な理解を示してくれた女性に恋をしてしまうのだ。


 母親とは違う温もりにおぼれ、そこから男は自らの幸せをつかむためその女性と逃避行することになる。

 女性は、男の熱烈な想いを受け止めて、同じ気持ちを通わせた。


 そんなシンプルであり、感情の渦巻く物語だったが、確かなロマンスがあった。

 見終わった後、俺は束音にこう言った。


「あんなに綺麗な恋の始まりは、嫌だな」


 否定したのだ。

 もちろん否定したのは恋をするぼうとうのみ。

 素晴らしい物語にも関わらず、あんなに意外性も何もない恋の始まりは、不釣り合いに思えた。


 俺がもし恋をするなら、もっとしっかりとしたばんがほしかった。

 好きになったから、はい告白……という展開が受け付けなかったのである。


 それは、俺が男だからそう思ってしまうのかもしれない。

 女性であれば、熱烈な想いにこそロマンスを感じたのかもしれない。


 でも、俺が思った気持ちに嘘はない……それは、今だってそうだ。

 そう……丹羽さんの告白だって、偽物だから受け入れたのだ。


 地盤が作れれば、俺だって恋愛をする事ができるというような淡い期待もしていた。


「だから、こんなまわりくどいやり方で告白しようとしたと?」

「私らしい……とても合ったやり方だって、周太や千春も言ってくれたからね」


 束音はロマンチストだ。

 というか、あの二人は知っていたのかよ。

 周太のやつ、わざと隠していたな。

 いつものあいつなら、俺に対してだってき付けるはずだ。


 えて何もしないということが、予想を裏切ることになった。

 周太が、一言でも思い込みに気付かせてくれる事を言ってくれれば、こんな事にはならなかったのに……。


「そっか、納得したよ……信じられないけど、そういうことなら理解してやりたい」

「それは、雪村さんとの縒りが戻るということですか? それなら、私も仲良くしたいものです。ね? 雪村さん」

「果乃、見え透いた演技はやめてくれ」


 俺が悩んだ末に認めようとしたら、丹羽さんがりずに煽ろうとしたので、冷たい目で見つめながらそう言った。


 束音の告白を制止するために強引な行動に出たと思ったからだ。

 しかし、本人は困惑していた。


「待ってください、本心ですよ?」

「なら、間が悪い」

「……ごめんなさい」


 少し頭を傾けて本当に申し訳なさそうにする丹羽さん。

 演技…………には見えないな。


 廊下で会った時もそうだが、少しずぼらな部分があるらしい。

 空気が読めるやつなのか、そうでないのかはっきりしないのは少々困るが。


「いや、謝ることじゃない。すまん、俺もカッとなった」


 ……そうだ。告白と呼べることは、丹羽さんの視点からは既に済んでいた。


 だって、束音の好きな人を明かすための勝負を丹羽さんは知らないのだから、客観的に見ればどう見ても告白でしかない束音の行動は終わっている。


 あるとすれば、俺の返事をさえぎるためにしたともとらえられるが、俺からしたら印象の悪くなりそうな行動を態々するとは思えない。


 丹羽さんの中で、俺の価値は手放してはいけない協力者の筈だから、ある程度俺のことも尊重してくれている気が、する。


 さっき煽ったのだって、束音に対してであり矛先が俺である以上余計なことでしかない。


「束音、お前に対してもごめん」


 ……お前は一切悪くない。

 全ての原因は俺にあった。

 でもさ、俺達が恋するにしても、今更と感じないのか?


 ――手遅れだよ。

 束音の心意なんて、知れるよしはなかった。

 だから俺は、もう既に束音を諦めている。


 ……本当に? なら、この締め付けられる心は何なんだろうな。

 そう伝えたら、諦めるのが簡単すぎると思うだろうか。

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