第9話

 追ってこないで話を続ける束音。


「そう……朋瀬には、がっかりだよ。惚れた弱み……そうね、あんたに惚れた人も、可哀想だね!」


 その言葉には、きびすを返さざるをえなかった。

 丹羽さんをじょくされたことは、正直どうでもいい。

 彼女は本当に惚れたわけではないのだから。


 それこそ考えるだけ不毛だろう。

 俺は束音に近づき壁まで追い詰める。


 自分が可哀想であることを肯定するなよ。

 これから幸せになる筈の奴が言う台詞じゃない。

 どうしてそこまで俺の気を引きたいのか。


 俺のけんまくに、束音は怯まない。

 どころか少し冷静さを取り戻していた。


「で、あんたが付き合うことになったのって誰?」

「……言うかよ。今日、負けたお前が何の対価もなしに訊けると思ったのか?」


 束音が以前、俺に好きな人の存在を明かした時、俺はしつこく訊いたりしなかった。

 故に束音も最初から訊いてこなかったのだろう。

 でも、それが正解だったのだ。


 俺は、丹羽さんとの約束で隠すよう言われている。

 それもあって、簡単に言いたくない。

 すると、俺の言葉が予想以上に効いたのか、束音の方が息苦しそうな顔をして呟く。


「最低、私馬鹿みたい……なんで、あんな勝負受け入れちゃったんだろ」


 どうして、束音は納得してくれないんだろう。

 これから寄りう相手がいるのに。

 俺なんかに構って何がしたいのかわからない。

 さっさと――俺に束音を諦めさせてほしい。


 そこで、彼女の瞳がうるんでいることに気が付いた。


「あんたなんか、クラスのビッチがお似合いよ。そうね……丁度見てくれが良いだけのいやらしい丹羽さんみたいな人なんでしょう? 私と同じで、あんただって見る目無いんだから……そうに、決まっているの……」


 なんだよ。

 直球で当たっているじゃないか。


 そうだよ。

 見る目の是非はさておき、俺の交際相手はそんなどうしようもない奴だ。

 でもさ……束音に関係ねぇだろ。


「なあ、これ以上は俺も怒るぞ。しつこいのが苦手なくせに、しつこいことするなよ」


 冷たい声でそう言った。

 丹羽さんを悪いように言われたからかな。

 判断つかない程に俺も感情的になり始めている。

 束音はちょうするように顔を下に向けた。


「どんだけ、鈍いの? ううん、私の言い方が悪かったのはわかっているよ……でも、なんで私はいつもこう――ここぞという時に不運なのかなぁ」


 不意に、おかしな考えが頭の中でふくらみ始めた。

 おかしなことをいつも提案しだすのは束音だった。


 だから、よくよく考えてみるべきだった。

 束音なら、おかしな考えを持っているかもしれないから……俺なら気付けたかもしれない。


「わからないなら教えてあげる。すべてが遅すぎて愛想かしそうだけど、これはまぎれもない本物の気持ちだから、知ってほしい」


 束音は俺を指差した。

 ああ、どうして気が付かなかったのだろう。

 俺の独りよがりが、シナリオをじ曲げていた。

 これは、きっと喜劇になるお話だったのだ。


 ――黙れ。やめろ。


 記憶をさかのぼれば、何となく察せられる部分があった。

 滑稽な俺達のこじれた関係。

 神様があざ笑っているようだ。

 酷くおかしな……喜劇だ。


 俺と束音の末路は一体何だ?

 何もかもが、もう遅い。

 ああ本当に、これは紛れもない悲劇だろ。


「私の好きな人は朋瀬なんだよ……」


 洪水するように束音の目から涙が流れ落ちる。


 そして、本当に束音はここぞという時に運が悪い。

 束音の後ろから、目撃している者がいた。

 その者から見れば、この光景は告白に違いない。


 でも、そうじゃない……問題は、その者の正体。

 目撃者が手に持った荷物を落とし、音を立てたことで、即座に気付いた束音は振り向き呟いた。


「……丹羽さん」

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