第16羽 絶対洗脳

 救急車やパトカーや消防車の災害時の三重奏テーマが星ヶ丘町に流れていた。

 しかし、交通網が麻痺しているために緊急車両の三種の神器が僕の下に到着するまでまだまだかかりそうだ。

 するとダイアは声の雰囲気をがらりと一変させて言う。


「トウタ、じゃあな。先にくぜ」

「待って、ダイア!」


 僕は呼びかけてでたらめに当てずっぽうに手を伸ばしたが、ダイアの手を繋ぎ止めることはできなかった。

 僕は眼鏡を持ったまま、親友を探すように白い繭の山を掘ると、地盤が崩れて転げ落ちた。


「ダイア、話はまだ終わってない」


 追いすがろうとする僕を置いて、ダイアの足音が遠ざかっていく。

 するとそこへエンジン付きの四輪が停車する音が地面を伝って聞こえた。


「ちょっときみ! 無事か!」


 車の扉の開く音が聞こえて降車する音が聞こえる。

 おそらくはパトカーから警察官だろう。

 二人分の足音だ。

 ダイアに事情聴取しようとしているのかもしれない。


「俺に指一本でも触れてみろ。死ぬぞ」


 ダイアは長年の付き合いの中でも聞いたことのないような声を発した。

 それは身も凍るような冷たい成分を含んでおり、まるで別人のようだった。


「何を訳のわからないことを言ってんだ。きみ未成年だろ?」


 それに構わずに、ベテラン警察官と思しき足音は警戒しながらもダイアに接近した。

 たしか僕のかすかな記憶では、ゼノウの右手の影に触れたものはなんぴともその命令には逆らえない。


 もしゼノウの命令に背けば脳味噌が弾けて飛び散っちゃうんだ。


 しかしそんなことはありえない。

 起こりっこない。

 だってこれは漫画じゃない。

 現実なんだ。


「ちょっときみ、聞いてるのか?」


 ガッとベテラン警察官がダイアの肩口を掴んだ――その次の瞬間、ベテラン警察官は獣のように低い呻き声を上げた。


「うっが、頭が……! ア、タ、マ、ガ、割れえええええええええェェェ……る」


 パンッ! 

 グポシャッ! 


 と、ゴムボールが弾けるような音が響いた。その後バタンとアスファルトの地面に倒伏する音が聞こえた。

 絶対洗脳による強制力。

 人は思い込みによって死ねる。

 愧死や憤死など感情の昂ぶりによって人は死ぬ。

 もうひとりの若い警察官は悲鳴を上げながら腰を抜かしたようでビチャッと赤い水たまりが跳ねた。


「ひ、ひいい……か、加藤さんの頭が吹っ飛んじまった!」


 尻餅をついた若い警察官にダイアは悪魔のように囁く。


「このことは他言無用だ」


 すると今しがたの錯乱状態が嘘のように若い警察官は感情を失った声で答えた。


「御意。仰せのままに。零寺院ぜろじいん様」


 ダイアが今どんな顔をしているのか僕にはわからない。

 もう二度とダイアの顔を見ることもないのだろう。


 そしてダイアは夜の星ヶ丘町に消えていった。


 一夜にして視力と親友を失った僕は暗闇に取り残された。

 ひとり俯いていると、ポタポタと鼻頭から人肌の生あたたかい液体が伝っていた。

 興奮して気づいていなかったが、どうやら鼻血が出ていたようだ。

 どうせいつものようにすぐ止まるだろうと僕は高をくくっていた。

 しかし鼻を摘まんでも、逆立ちをしても、鼻血は一向に止まらない。

 付近の大量の繭のうちの一個を当てて押さえるもタンポンのように繭に染みるだけだった。

 そうこうしているうちに頭がぼーっとしてきて僕は繭のベッドに横たわった。

 突如ブゥーンというエンジン音が聞こえた。かと思えば、続いてキィーというブレーキ音がタイヤを止めた。

 バタンと自動車の扉を開閉する音が聞こえたのち、カツンカツンという甲高い足音が僕の耳朶をノックする。


「意識はあるかしら?」

「ええ、まあ……たぶん」

「自分の名前と年齢はわかる?」

「鏡透太です。今年14歳です」

「トウタくんね。ちょっと脈測るわね」


 妙に慣れた手つきだった。

 そしてどこか聞き覚えのある女性の声だった。


 えっとどこで聞いたんだっけ?


 女性が脈を測るために僕の左手に触れてから、思わず声を漏らす。


「ひどいアザ。青くなってるわ」


 僕は思い当たる節はあるにはあった。


「そのアザってどんな形してますか?」

「え?」


 ロールシャッハテストのような不自然な僕の問いに女性は呆気にとられたあと、一瞬遅れて気づいたように言う。


「トウタくん、もしかしてきみ、目が……」

「いいから教えてください」


 なおも真剣な僕の声に気圧されたように妙齢みょうれいの女性は訥々と答える。


「えっとね……迷路みたいな顔に耳が生えてるとでもいうのかな」

「迷路の顔に耳……」


 やはりセクトのアザだ。

 正確には脳味噌に翼の生えたデザインのはずだけど。

 いかんせん七年前のことで僕の記憶も曖昧だし目で見て確認もできないのでどうしようもない。


 もしかしたらみんなで目の見えなくなった僕を騙してからかっているんじゃなかろうか?

 きっとそうだ。

 そうに決まってる。


 僕が静かに確信した――その次の瞬間、ブハッと僕の鼻血の勢いがさらに増した。

 まるでこれは現実だと告げるように。


「だ、だいじょうぶ!? トウタくん!」

「ずみまぜん。他人に触られると鼻血が出る体質でして」


 平謝りしながらも結構危ういのは火を見るよりも明らかだった。

 重度の貧血である。


「早急に輸血が必要ね」

「輸血?」


 輸血ってなんだっけ? 

 駄目だ。

 頭が働いてない。


「トウタくん、きみの血液型は?」

「知りません」

「今どきの血液型を知らない子供たちね。まあどうせ自己申告の血液型なんてあてにしないけどね」


 ならどうして聞いた?

 ややあって、その女性は嬉々とする。


「きみ、ツイてるわ。近くに献血車がある。血まみれで横転してるけど」


 そう言って、医療従事者と思われる女性はハイヒールを鳴らしながら遠ざかった。

 何かしらの医療器具一式を入手しにいったのだろう。

 これで医療関係者じゃなかったらだいぶ恐怖だけど。

 信じるしかない。

 今のところは。

 そんなことを分析しながらも僕は飢餓状態の吸血鬼よりも血が足りない。

 意識が朦朧とする。


 とそこで何やら聞きなじみのある声がした。

 それはおなかの中にいたときから聞いていた声だ。



『輸血なんて悪魔の子のすることよ。ねえ、どうしてお母さんの言うことが聞けないの? サタンの囁きに耳を傾けてはダメなのよ』


「母さん……生きてたの?」


『当たり前じゃない。母さんはトウくんとずっと一緒よ。だから心を強く持ちなさい。トウくんは神の子なんだから。ダメなものはダメなの。いい子だから。ね?』


 母さんは子供に言い聞かせるように言うのだった。

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