第12羽 飛んで飛んで飛んで

 骸骨天使。

 まったくといっていいほど感情が読めない。どこから来たのか、目的もわからない。

 日傘を差す貴婦人のように骨だけの傘を差しており、どこか上品な印象があるのは白衣を着て眼鏡をかけているからだろうか。一方で奇抜な発明家のようにも見えなくもない。

 白衣の骸骨天使と僕は目が合う――といっていいのかすら、わからない。なぜなら白衣の骸骨天使のほうは目そのものがないのだから。そのくせ眼鏡はかけているんだからまったくもって、ちぐはぐだ。


 するとまさにそのとき、白衣の骸骨天使に動きがあった。僕は警戒を強めると白衣の骸骨天使は右手に持っていた骨傘を左手に持ちかえる。空いた右手で眼鏡のツルを押し上げた。その次の瞬間、眼鏡の右のレンズに奇妙な光が集光する。

 咄嗟に僕は構えをとった。

 すると驚くべきことに、僕の左右の脇腹の肋骨の間に縦一列に並んでいる9対の空いた気門から、


「テラッ!」


 と、音が鳴った。

 この体で人語を介することはできないが、どうやらくことはできるらしい。


 僕は透明刀ニジノシンキロウを左手で逆手に握りしめる。巨躯を駆動させてブレインウォッシュ光線を中断させようと、白衣の骸骨天使に距離を詰めた。

 とそこで、白衣の骸骨天使は左手に持った骨傘をやにわに僕に向けてシューッポキと差した。

 でも所詮、傘の骨だけだ。たいしたことはない。そう高をくくって構わず、僕は骨傘に斬りかかるとバイーン! と、透明なシールドに弾かれた。


「テッ……ラ!?」


 僕は何度も骨傘に向かって斬撃の雨を浴びせるもびくともしない。

 勢いが相殺されている?

 同じく透明とはいえ、百均のビニール傘とは比較にならないほどの防御力だった。それから白衣の骸骨天使と骨傘越しに僕は目が合った――気がした。いかんせん目がないので確信はないけど。

 しかし、それを裏付けるように白衣の骸骨天使は僕と間合いを測る。眼鏡の右レンズに集光したブレインウォッシュ光線をキュイーンピカッ! と、僕めがけて放射した。


「テララッ!」


 今の僕は目蓋のない複眼のため直に眼球に浴びてしまった。咄嗟に両手で目を覆い隠して手びさしをつくるも、竹から生まれたかぐや姫のように指の隙間から光が漏れる。僕の目の奥にチカチカと飛蚊ひぶん症のような、星の瞬きのような残像が結ばれた。

 しかし、ブレインウォッシュ光線を浴びたものの特に実害はなく目がくらんだ程度である。体にも何も異常はない。といってもこの白兜の巨躯に超完全変態、略して『超変』したことがそもそもとんでもない異常事態なので鈍感になっているだけなのかもしれなかった。


 そして僕の視界が戻った次の瞬間、真横から急にクレーン車で殴られたような衝撃がこめかみに走った。僕は何が起こったのかわからずに反射的に一歩引いて回避行動を取って顔を上げる。

 なんと白衣の骸骨天使は骨だけの傘を風の吹かない扇風機のように高速回転させていた。小指の骨のように丸っこい露先が僕の左前頭葉の触覚をかすめた。骸骨天使は皮膚がないぶん摩擦係数が少なく骨傘を回せているらしく、これには皿回しの曲芸師もびっくりだろう。しかし感心している場合ではない。


「テラッ!」


 僕は逆手に構えた透明刀ニジノシンキロウを噛ませるように下方から振り上げるかたちで骨傘に突っ込んだ。するとゴリゴリカラカラと骨が削れる音が星ヶ丘町の夜空に響き渡り、火花とともに骨粉が雪のように舞い散る。それから力尽くで僕は骨傘を弾きあげた。


「ステラァッ!」


 白衣の骸骨天使の背後には高層ビルが鎮座しており、立地的に退がることはできない。そこを見逃さず僕はがら空きとなった白衣の骸骨天使の懐に潜り込み、骸骨天使と相合い傘をする格好となる。ロマンチックのかけらもへったくれもなく、絵に描いたようなシュールレアリスムだった。

 そのまま僕はすれ違うカップルのように左手に逆手に構えたニジノシンキロウで白衣の骸骨天使の胴体を横一線にした。すれ違いざま、スパッという大根を切ったようにたしかな手応えを感じた。

 僕は振り返り白衣の骸骨天使に注視すると、どこか違和感があった。それからすぐさま骸骨天使の巨躯は霧のように霞んで雲散霧消うんさんむしょうしてしまった。


 ということは僕が斬った手応えを感じたのは……。


 僕がそう気づいたときには高層ビルの上層部が斜めにズレて滑り落ちそうになったので、僕は慌ててニジノシンキロウを水路に突き刺す。体を滑り込ませて高層ビルを体全体で支えた。

 しかも、ビル内には逃げ遅れた人々がいた。割れた窓からその人たちのひとりひとりの顔が僕の複眼を通してつぶさに観察できた。恐怖におののいている人もいれば、スマホで呑気に撮影しているものや家族に電話しているものもいる。


 why? どうしてこうなった?

 というか白衣の骸骨天使はどこに消えたんだ?


 僕はトイレの便器を抱く酔っ払いサラリーマンのように高層ビルを抱きかかえながら疑問を抱いていた。

 その次の瞬間、僕の周りに光が集まり出すとなんと驚くべきことに白衣の骸骨天使が出現したではないか。それも一体ではない。1、2、3、4、5……合計6体も複製されていた。そこでいくら勘の悪い僕でも思い至る。


 先ほど浴びてしまったブレインウォッシュ光線の影響で僕は幻覚が見えているのか。


 影分身のように大量発生した白衣の骸骨天使に四方八方を囲まれて僕は袋叩きに遭う。傘の骨ではたかれ露先で突っつかれた。しかし、見た目ほど攻撃はたいしたことはないが防戦一方であることに変わりはない。


「ッテラァ」


 僕が打開策を考えているとバラバラバラと耳の周りを飛ぶ蚊の羽音のような騒音が聞こえた。ややあって高層ビルの上空からヘリコプターが現れた。そこにはテレビ局の取材クルーが搭乗しており、男性アナウンサーが実況中継していた。


「こちら現場の鬼頭きとうです。ただいま星ヶ丘町上空、怪蟲かいちゅうシルクマンが倒壊寸前の高層ビルを支えております。相対するは傘の骨だけを差し、白衣を着て眼鏡をかけた珍妙としか言いようのないガシャドクロであります。事前情報によりますとガシャドクロが町を破壊していたところにシルクマンが乱入した模様。果たして彼らは何者なのでしょうか? そしてシルクマンは人類の味方なのでしょうか?」


 その実況の内容的にテレビマンには白衣の骸骨天使は一体に見えているらしい。しかし相変わらず僕の目には6体に映っている。そこに何か逆転の糸口があるかもしれない。

 僕がそんな考えを巡らせていると、白衣の骸骨天使は鏡像のように6体が6体とも三度みたび眼鏡を押し上げる仕草をした。そして右レンズからブレインウォッシュ光線を放射した。ブレインウォッシュ光線は高層ビルの磨き抜かれた窓に乱反射して取材ヘリまでもがまばゆい光に包まれた。

 夜景をかき消すフラッシュアウト。

 僕の視界が通常に戻ったときには戦慄する光景が目の前に広がっていた。

 それは高層ビルの割れた大きな窓から人々が飛び降りようとしていたのである。

 何よりもおそろしいのは飛び降りるための行列ができていたことだ。まるでラーメン屋にでも並ぶように行儀よく列を成している。始めはスーツを着たサラリーマンの中年男性だ。ふらふらとした足取りで窓辺に近付いていく。


 ……駄目だ、やめろ。


「テララ!」


 僕は気門を収縮させて叫んだが効果はない。男性は遠い目をしたまま高層ビルから真っ逆さまに飛び降りた。僕は高層ビルを体で抱えながら、精一杯手を伸ばしておじさんを掴まえた。と思ったが、僕はこの巨躯に慣れていなかった。白い指と指の間を男性はすり抜けてしまう。そのまま男性は頭から地面に激突してゴッパーン! と、弾ける音をビルの間に響かせた。それは頭蓋骨が割れる音だった。脳味噌をまき散らしながら蟻のように潰れる。

 立て続けに間断なく次から次へと人が飛び降りていった。

 そこへ取材ヘリコプターがホバリングして飛んできた。


「なんということでしょう。飛び降り自殺の行列ができています。いったいなぜなのでしょうか? 何が彼らの背中を押すのでしょうか? さっそくインタビューをしてみたいと思います」


 そう言って、今まさに飛び降りた会社員の女性に取材ヘリは急降下して追随する。鬼頭アナウンサーはマイクを向けた。


「率直に聞きます。今の心境は?」


 しかし、女性社員は光の乏しい目のまま何も答えない。そして自由落下して地球のシミとなった。

 取材ヘリのテレビクルーたちも完全にブレインウォッシュ光線に毒されてしまっていた。さらに懸念するべきは、テレビの向こうの人までブレインウォッシュ光線の効果があるのかどうかだ。あるのだとすれば日本中、いや世界中が大変なことになってしまう。

 僕がそんなことを思っている間にその場に留まっていた取材ヘリの上空のビルからまた人が飛び降りた。


 頼む。避けてくれ!


 僕の虫のいい願いは届かず、ヘリコプターの大鉈のようなプロペラに人が巻き込まれる。真っ二つに寸断され、ゴリュッと骨ごと切り刻まれ挽肉となった。

 まるで人間ミキサーだ。


「先ほどまでの飛び降りがピタリと嘘のようになくなりました。何があったのでしょうか。その代わりにヘリコプターのガラスが赤く染まっています。レッドアウトというのでしょうか」


 マイクや撮影機材が血を浴びながらも鬼頭アナは狂気の取材を続ける。


「この視界不良のなか、ヘリコプターが飛行を続けております。ありのままを伝えることがわたしの仕事であります。あの世があるのか無いのか。幽霊はいるのかいないのか。わたしは真実を知るためなら自分の命もいとわない所存であります!」


 そして血まみれのヘリは人を切り刻んだプロペラが故障してついに制御を失ってしまう。操縦者がレバーを操作して高度を上げた。


「高度がだんだんと上昇して参りました。高層ビルとの距離もぐんぐんと迫っております。鬼頭たかし一世一代の突撃取材であります!」


 バラバラバラ!

 と、風を切り急上昇したヘリはあろうことか飛び降りの行列に突撃取材した。ビルのがガラスがひしゃげてヘリコプターの胴体が潰れて大炎を巻き上げた。ヘリコプターは蛍のように爆散した。鬼頭アナは最後まで実況して散った。

 アナウンサーの鑑といえるのかもしれないが、死んでしまっては何にもならない。僕はそう思う。目を覆いたくなるような地獄というより目が醒めてほしい悪夢のような光景だった。


 畜生。

 こんなのってない。


 僕は落胆すると、飛び降りた人のぶんだけ軽くなったはずの高層ビルがずしんと、さらに重く感じた。

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