第11羽 超完全変態

「オーム・サンサーガ・ケセラ・パセラ・マユボダラマニ・ウカ・ソワカ」


 僕が真言マントラを口ずさんだ。

 その次の瞬間、7年前ダイアがどれだけ力を込めても開かなかった開かずの扉の拝殿がスーッパン! と、ひとりでに開いた。その中から現れたのは大人が眠れそうなほど大きな純白の繭だった。その繭の周囲には極太の注連縄がぐるりと巻かれて一周している。


「そんな馬鹿な」


 ダイアは狐につままれたような声を発している横で僕は目を閉じたまま、両手を合わせて死んだふりのように動かない。すると突如、純白の繭から白い糸がいくつも伸びてきた。


 目を閉じていてもわかる。自分の身に何が起こっているのか。


 キラキラと拝殿の奥から生糸が独立したひとつの生き物のように僕の体に纏わりついてきた。

 しかし、僕は身動ぎひとつしない。

 瞑目したままサナギのように祈り続けた。そして僕は大きな繭に引き寄せられたのち、抱かれるように同化した。


「おい、トウタ!」


 ダイアがギョッとした叫び声を上げたが拝殿はスーッスパン! と、無慈悲に閉まった。

 繭に飲み込まれてからどれだけ時間が経ったのはわからない。一瞬とも永遠ともとれ、もしかすればここには時間という概念すらまだ生まれていないのかもしれない。

 まるで母親の子宮の中のようにあたたかく曖昧模糊とした世界。


 そういえばこんな話を聞いたことがある。

 蝶のような完全変態の幼虫はまったく姿形の違う成虫になるためにサナギになるわけだが、そのサナギの中の様子をご存じだろうか?

 実は完全変態の昆虫のサナギの中身はマグマに飛び込んだゾンビのようにドロドロなのだ。

 サナギの中で何が起こっているのかというと、遺伝子に組み込まれた一時的なアポトーシスが働く。幼虫は分解され、新しく成虫用のできたてほやほやの内臓器官からはねまでが再構成されるためだ。

 でも、よく考えてみて欲しい。


 幼虫から翅の生えた成虫になり飛行能力を獲得するのだ。


 その過程には血の滲むような変革があってしかるべきである。外見的にはサナギは物静かだがその中ではビッグバンのように目まぐるしい進化が一世代の間に起こっている。サナギの中の幼虫が果たして何を思い、何を感じるのか疑問は尽きないが、今まさに僕の皮膚、内臓、血液、骨、神経、髪の毛、五感、経験、思い出、記憶が世界に溶けだして、変成する。

 ついには僕という概念がドロドロにおどろしく分解される。また新たな存在へと生まれ変わろうとしていた。


 名前も忘れかけた人間から別の成体へのメタモルフォーゼ。


 力が全身にみなぎってこの暗闇を突き破らんと、天に向けて拳を突き出す。僕を包み込むせかいがドンドンと膨張して巨大化した。ドンガラガッシャンと太蚕神社が倒壊する音が聞こえる。

 しかし、お構いなしに僕は内側から突き上げていると、外側から蛇のような何かに縛り付けられるように膨張は止まった。おそらくは注連縄だ。

 僕は世界からとあるものを握ると、それを勢いよく上から下まで振り下ろした。

 刹那――ザクッ! ビキビキビキ! と、卵のように亀裂が入り割れる。その外には今まで見ていたものとは違う世界が広がっていた。足下には僕を縛り付けていた極太の注連縄の綺麗な切断面がのぞいていた。

 そして豆粒のように小さくなった親友のダイアが見える。


 なんだこれ?

 ダイア、どうしてそんなちっちゃくなっちゃったの?


 しかし、その他にもバイク、山、極太の注連縄の下敷きになった太蚕神社、昔遊んだ公園、星ヶ丘中学校、燃える教会、全部が全部ミニチュアサイズになっている。

 まるでジオラマだ。

 いや、違う。

 世界が小さくなったんじゃない。


 僕が大きくなったんだ。


 僕の手は死人のように白く僕の左手には抜き身の白鞘しろさやニジノシンキロウが逆手に握られていた。といっても、その刀身は蜃気楼のように茫洋としており、視認できない。

 そんな僕の身を包んでいるのは死に装束だった。白い袴を着たような出で立ちで、前頭部には櫛のような黒い触角が生えており、純白の足袋と雪駄を履いている。首元には一反木綿のような長く白い帯をマフラー代わりに巻いていた。そして特筆すべきは背にミルク色の翅が二対生えて垂れ下がっていることだった。


 僕は超完全変態した。

 僕が羽化を果たした白い繭は巨大化している。中身は樹液の滴る洞のようにキラキラと瞬いていた。しかし、すぐさま接合されて白幕は閉じた。

 視線を地上に落とすと、僕が羽化する際の斬撃が地上のダイアの真横を紙一重でかすめた跡がある。ダイアは奇跡的に極太の注連縄の下敷きにならずに済んだようである。あわや大惨事だった。

 僕は地上のダイアに呼びかけようとしたが言葉が出ない。僕は自身の口許をまさぐってみるがつるっとしたものだった。今の僕は図体は大きいくせに口がなく声帯器官もないためにしゃべることができないらしい。

 僕は目を丸める地上のダイアと目が合った。


「トウタ……おまえなのか」


 その問いかけに僕はゆっくりと頷いた。

 次の瞬間、太蚕神社に敷き詰められた大量の繭から蚕蛾が一斉に羽化する。蕾が開花するように、あっという間に境内にカイコがあふれかえった。カイコの波はダイアの黒いバイクを包み込み、白いバイクへとカラーチェンジさせてしまうほどだ。


「虫けらどもが異常発生してやがる」


 いつもどおり歯に衣着せぬダイアである。

 するとどこからともなく現れた県鳥でもあるカチガラスの群れがカイコを激しく啄む。それでも食べきれないほどの圧倒的な蚕量だった。

 棚田を喰らい尽くして有明海を飲み干さんばかりの白い怪物となってしまった僕。

 大地を踏みしめて、飛ぶように一歩を踏み出した。

 蝶よ花よと向かう先はもちろん星ヶ丘町だ。


「ヒーローはいつもバカみてえに遅れてやってくる」


 ダイアは一番星を指差すようにして僕にささやかなエールを送った。


「どこまでも飛んでいけ。心のままに」


 ありがとう、ダイア。

 僕をここまで連れてきてくれて。

 でも、僕はヒーローなんかじゃないよ。

 僕はただのトウタだ。


 それからできるだけ人気のない道路や田んぼや畑を踏みしめる。ここが田舎でよかった。くっきりと大きな雪駄の足跡が付いた。

 つい癖で信号を守りつつ、僕は星ヶ丘町へと向むかう。その道中、事故って乗り捨てられた車やへし折れた電信柱から漏電して、あらたな火災が発生していた。


 はやく何とかしなければ。


 そして星ヶ丘町に到着すると、雑居ビルの磨き抜かれた窓ガラスに映る自分の変わり果てた姿を僕は初めて見た。自分でも驚くほかない。そこにはおしろいを塗ったような顔が映っていた。つぶらな黒い複眼が昆虫感を強めており、前頭部からは漆塗りの櫛のような触覚が2本生えている。

 この白兜が自分の顔なのだということを認識するのに5秒、その事実を受け入れるのに8秒かかった。

 まるで人間と鱗翅りんし類の遺伝子を掛け合わせたように奇妙な生物だった。


 ともあれ。

 僕は視線を真正面のもうひとりの巨大怪物に向ける。

 この生まれ育った町で僕は白衣の骸骨天使と対峙した。

 その姿はまるで火葬された後の巨人のようだった。

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