第5羽 アイドル

 校舎の最上階にたどり着く。机や椅子のうずたかく積まれた踊り場のバリケードをくぐり抜けてから、扉を開けて屋上へ出た。

 午前中特有の澄んだ青空の下、ハアトはサングラスを外したのち解放感たっぷりに言った。


「お天道様が笑っとるねぇ」

「現実にそんなこという人を僕は初めて見たよ」

「ほんなこて?」

「うん。たぶんハアトはドラマ出すぎ」

「いちおう女優やけんね」


 ハアトは自慢げに未熟な胸を張った。


「そのうち日本の全部のドラマに出るけん」

「へえ。それはきっと幽霊役だろうね」

「過労死しとっとばってん!? 心霊写真みたいにひょっこり映るとかいややよ!」


 そういうことではないらしい。

 隠れ要素として逆に話題になりそうだけど。

 ゴーストハアトを探せ。

 みたいな。

 するとハアトは唐突に言う。


「ねえトウタ、久しぶりに会ったっちゃけん、放課後いっしょに遊ばん?」


 もしこんなところをクラスメイトに見られたら盛大に勘違いされるんだろうな。

 ついでに刺し殺されるかもしれない。

 ハアトは有名女優になっても僕とこうして変わらない態度で接してくれる。

 本当にやさしい子だ。

 でも。


「ごめん。今日は新年度礼拝だから」

「あっ、そうね。新年度とか関係あっとやね」

「まあ現代の生活様式に合わせて教会行事もどんどん変わっていくもんだからね」

「宗教は生き物やね」

「急に深そうなこと言わないでよ」


 リアクションに困る。

 とそこで突如スマホのコール音が鳴った。

 校内では聞き慣れない音だ。

 授業中に鳴ったときのあの空気が凍る感覚が蘇る。

 当然僕のスマホが鳴ったわけではない。

 なぜ当然かといえば僕はスマホを持っていないからだ。 

 スマホというかインターネットは悪魔の情報の坩堝なので天の川教会では原則禁止なのである。


「ちょっくらタイム」


 そう断ってハアトは5コール目でスマホの通話ボタンをタップした。


「もしもし。うん。どこでんよかろうもん」


 おそらくはマネージャーと話しているのだろう。


「そんなんじゃなかぁ」


 この友達が通話中の手持ち無沙汰な時間を僕は耐え忍ぶ。


「え? マジね。あーはいはい。うんわかったけん。ママ、もう切るばってん、よかね。はーい」


 通話を終えてからハアトは手を合わせて謝る。


「ごめん。急遽、仕事の入ったけん、遊ぶのはまた今度ね」

「そもそも遊ぶ約束は断ったはずなんだけど……」


 まあいいや。彼女の中では断られたことを忘れてしまったのだろう。

 僕は尋ねる。


「たしかハアトのお母さんが事務所の社長兼マネージャーなんだっけ?」

「そそ。なに、詳しかやん?」


 それは偶然テレビで聞きかじった知識だった。


「もしかしてあたしのファンやなかね?」

「うぜ」

「嘘嘘嘘! トウタは親友やけん! 調子乗ったっちゃん! ツインテールのことは嫌いになってもあたしのことは嫌いにならんとって!」

「ツインテールに罪を着せるなよ」


 ハアトは涙目で僕に接近する。近い近い近い。

 僕はソーシャルディスタンスを保ちながら言う。


「売れっ子は大変だね」

「んにゃ、そうでもなかよ」


 そう謙遜したのち、ハアトは切なげに問う。


「ダイアはどがん? 今日来とっと?」


 これが本命の目的なのだろう。


「今日は来てないよ」


 今日も、というべきか。

 ダイアは僕の隣にはいない。

 去年の暮れ、ダイアの母親が病死して亡くなって以来ダイアは学校に登校していない。

 いわゆる不登校だった。

 天の川教会式のお葬式である再星さいせい式にも出席しなかった。

 親友不在のなか親友の母親の亡骸と対面したときの僕の気持ちは目がダイアに似ているな――だった。正しくはダイアが似ているのだけど。

 天の川教会ではお墓を建てることもご遺体に手を合わせることも教義で禁止されている。なので遺体は火葬されたあと教会敷地内の鏡川かがみがわに散骨された。その鏡川の川面には無数の星が映り、亡くなって星となった人の魂を天の川に送り流すとされる。


「どっかでダイアの見てるやろうけんね、きっと」


 ハアトは心機一転言った。


「がんばらんば」

「テレビでは方言じゃなくて標準語だからハアトってわからないかもしれないけどね」

「トウタ、それ言わんとってよぉ~。意地悪やね」

「まあダイアの友達だからね」

「それなら納得たい」


 するとそこで、バラバラバラ! と、ガトリング砲のような音が屋上へ近付いてきた。

 僕は思わず身を屈めていると校舎の影からヌッとヘリコプターが現れた。屋上というのも相まって強風が吹き荒れるなか、ヘリはヘリポート代わりに屋上に着陸した。

 法律的にアウトだと思うのだが僕の知るところではない。

 ハアトはスチャッと悪趣味なサングラスをかけながら颯爽と歩き出した。

 去り際、こんなことを言う。


「もう漫画は描いとらんと?」

「なんだって!」


 そのハアトの言葉はヘリのプロペラ音にかき消されてよく聞こえなかった。


「なんでんなか! トウタ、またRAINすっけん!」


 ちなみにRAINとは無料スマホ通話メッセージアプリである。

 ハアトは飛べそうなほどツインテールを振り乱しながら映画のワンシーンのようにヘリに乗り込んでいった。僕は久しぶりに会ったハアトのお母さんに向かって会釈した。するとハアトのお母さんは僕に投げキッスをくれたのち、ハアトにツインテールビンタされていた。

 微笑ましい親子だ。

 そんな感じでハアトはヘリで仕事場にとんぼ返りした。


「役者が板に付いてきてたな」


 こうして僕だけが学校に取り残された。

 親友は二人とも遠くへ行ってしまって、僕だけが地獄において行かれている気がした。

 僕の聞き間違いでないとすれば、先ほどハアトは漫画と言っていた気がする。


「漫画ってなんだ?」


 ともあれ。

 七年という歳月は環境や関係性が変わるには申し分ない月日だった。

 それでもひとつだけ変わらないことがあるとすれば。


「……僕はスマホ持ってないんだけどね」


 ハアトが僕と一緒にいたということはもう全校集会は再開されていること請け合いだろう。

 騒ぎを起こして全校集会を中断させた張本人である道長ハアトと会ってました、なんて言えるわけもないので、僕は途中退席の言い訳を考えながらえっちらおっちら重い足取りのまま体育館に帰還した。

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