第6羽 恋愛禁忌
帰りのホームルームが終わる。沈みゆく太陽とともに下校した。
他の生徒たちは盛り場で遊んだのちに温かな家に帰るのだろう。
あるいは宿題のあと試験勉強でもするのかもしれない。
一方の僕は両親に連れられて学ランのまま天の川教会にいた。
夏鬼山の麓に居を構える天の川教会の
まるでプラネタリウム会場のような礼拝堂だ。
教祖の
そのなか長女である
しかし実際は眉唾でどこまで事実かは相当怪しい。
教祖の娘ともなれば尚更だ。
杏奈は高いヒールをカツカツと礼拝堂内に鳴り響かせながら控えバッターの位置まで移動すると、マイクを手に取り司会進行を務める。
「みなさん、お
「「お天気様です!」」
礼拝堂内が揺れるほどのどよめきが響き渡った。
ちなみにこれは天の川教会特有の挨拶である。
「天の川の流れる空の下、今宵はおめでたい新年度礼拝を始めたいと思います。私は司会進行を務めさせていただきます。長女の銀杏ノ宮杏奈です。担当星座は獅子座、主星はレグルスです。知らない人はぜひ憶えてから帰ってくださいね」
次の瞬間、ドッと礼拝堂内に笑いが起こった。
この天の川教会の信者に杏奈を知らない人はいないという
担当星座とは黄道十二宮のなかから教祖の直系に与えられたもので、理由は特にないので愛はないけどここでは割愛する。
「では始めに聖歌に移りたいと思います。みなさんも神様に届くように大きな声で元気よく歌いましょう。お差し支えのないおかたは起立してください」
杏奈は歌のお姉さんのようにパイプオルガンの席に座った。三段あるうちの一段目の鍵盤に手を置いた。一画にはコンデンサーマイクが設置されており杏奈は風のように通る声音を発する。
「『
パイプオルガンの奏楽が礼拝堂内に反響して信徒たちの温度を内臓から高めた。僕の両親もまた聖歌の楽譜を開きながら合唱に参加している。
僕は胎児の頃から子守歌はいつも聖歌を聴いていた。
これは果たして美談だろうか?
聴く人によればそうかもしれない。
しかし、僕は怪談だと思う。
不思議なもので今でも聖歌を楽譜なしでは歌えないのが答えなのだろう。
「ご着席ください。続きまして僭越ながら、
こうして退屈な時間が幕を開けた。
「母さん、今日は何してたの?」
僕が質問を投げかけると母は眉根をひそめてから小声で答える。
「それが聞いてよ。伝道をしていたら警察の人に取り囲まれちゃったの」
伝道とは主に訪問の布教活動のことである。
「また?」
「そうよ。まああちらもそれが仕事というのはわかるけどね。この国はもうちょっと宗教に理解がないと駄目ね。本当のことを知らないと地獄に堕ちるわ」
まるで武勇伝を語るみたいに母は言った。
「ダイアくんはまだ学校に来れてないの? 最近教会にもぜんぜん顔出してないじゃない」
「まあいろいろあるんだと思うよ」
「昔からあの子はサタンぽかったもんね。まあしょうがないわ。信仰二世だもんね」
ダイアのお母さんはダイアが幼い頃に大病を患い、天の川教会に入信した。そのときの旦那とは離婚してシングルマザーとなった。
つまりここでいう信仰二世とは子供が生まれたあとに入信させられた子供のことで後天的二世とも言える。
そしてこれは僕の憶測だけど、おそらく後天的二世のほうがつらいことが多いかもしれない。
それはお金持ちだった家が事業の失敗により貧乏になることに似ている。
とかく一世はしょうもないというか実体の伴わない宗教マウントをとりたがる人が多い。
子供が生まれる前から信仰してようといまいと、それがそんな重要なこととは僕はどうしても思えないんだ。それでダイアのお母さんの立場が弱くなったりするのは、おかしいんじゃないのか?
そこに救いはあるんか?
「ダイアくんのお母さんも天国できっと悲しんでおられるわ。ただでさえ
「…………」
でも、どうだろう。
僕のことは何を言われてもいいんだけど、友達のましてや親友の悪口を言われるのは癪だ。
所詮、二世など偽物だ。
自分が信じていないものを信仰させられる精神的な苦痛はいかんともしがたい。
二十一世紀にもなってもっともひどい陵辱行為だ。
どうしようもないほどに救いようがないものを宗教と呼んでいいのか。
僕がこんなふうに心の中でのお喋りが多いのは本音を話せる場所がなかったからなのかもしれない。
「トウくんはね、へその緒が首に絡まって窒息しかけて産まれた子なのよ」
「もう何度も聞いたよ。その話は」
「きっと神様のご加護があったのね」
言い換えれば、僕は母親のおなかの中で死にながら生まれたのだ。
仮にそのときに僕が死んでいたら母は天の川教会を辞めただろうか?
いや、辞めるどころかもっとのめりこんだのかもしれない。
母にとっては良いことはぜんぶ神様のおかげで、悪いことはすべてサタンのせいらしい。
実にわかりやすい世界だ。
しかし現実はもっと複雑であり、そのしわ寄せを二世が被る場合が非常に多い。ただ生まれただけでどうしてこんなリスクを背負わなければならないのだろう?
両親はこれを試練だというのだろうが、試練など知らんと僕は言いたい。
そもそも神様が善でサタンが悪だと誰が決めたのだ?
神様か?
だとすればそんなの八百長の出来レースではないか。
それとも人間が決めたのか?
だとすれば神様の定義を人間が決めたことになる。
それもおかしな話だ。
「トウくんにも時が来たら運命の
教祖のギンナンと夫人のスズメはそれぞれ彦星と織姫の生まれ変わりとされている。
だったらとっとと星に帰れと僕は言いたい。
もっとかぐや姫を見倣ってほしい。
そして天の川教会は教祖によるマッチングのお見合い結婚しか認めず、その他の恋愛は禁忌とされる。
母は耳障りの良いように言っているが、要は適当に運営側がお見合い相手をあてがうだけじゃないか。運命もへったくれもあるもんか。恋愛マッチング教と名を改めてほしい。
僕にとって未来の話は絶望だった。
将来的に好きでもない二世の女性と結婚して自分の子供、つまり三世にも宗教を押しつける事になるかもしれないと思うと怖くて夜も眠れない。
母は続ける。
「それまではサタンの誘惑に負けては絶対に駄目よ。特にあの子、道長はあとちゃんだっけ? あの子はとてもサタン的だから気を付けなさい」
ハアトは有名人になってからさらに目の敵にされていた。
宗教的な理由プラス、女親として息子と仲良くする女生徒に対する嫉妬も含まれているのかもしれない。
それはわからない。
宗教というベールは厚すぎるから。
やはり人の心は複雑だ。
自由に人を好きになることがどうしてこんなにもむずかしい?
人を好きになることは悪いことですか?
なぜ人を好きになるのに罪悪感を抱かなければならないのでしょうか?
そういえば保育園の頃、同園の女の子と一緒に写真を撮ったことがあった。その女の子と一緒に写った写真を母に破られたこともあったっけ。
なんか相手の女の子に申し訳ない気持ちになった。
勘違いでなければその子は僕のことが好きだったと思うから。
「…………」
この間も母の隣に座る寡黙な父は何も言わなかった。
僕は父と話したことはあまりない。正直何を考えているのかもわからない。たしか父の母親、つまり僕から見て祖母がキリスト教系の人だったことは母から聞いた。
それならばなぜ父はこの天の川教会の門戸を叩いたんだろうか。
生前の祖母はそれをどう思っていたのだろうか。
しかし、親と違う宗教に入信することは宗教あるあるらしい。
信教の自由というか心境の変化なので好きにしたらいいと思うが、僕にはよくわからない感覚だ。僕はもう宗教的なことに振り回され、心をかき回されるのには辟易しているのだから。
でも、僕に変化は赦されないのだ。
だからもしも変わるとすれば、それは世界のほうなのだろう。
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