第3羽 UFO襲来

 僕はその穢れを知らない真っ白なノートを拾い上げる。


「この白いノート……」

「あーそれも捨ててあったとよ。こんなかじゃいっちゃんハズレばってんね」


 ハアトはあっけらかんと言ったが、僕は妙にこの白いノートが気になった。


「そがん欲しかないトウタにあぐっけど?」

「そもそもきみの物じゃないでしょ」

「拾ったけん、もうあたしのばってんね」


 この白いノートを拾ったとき、僕の願い事は決まった。

 僕はさっそく天の川教会の白い短冊に願い事を書き連ねた。

 そして全員が願い事を書き終わったところでダイアが勝手に拝殿の扉を開けようとしたことの謝罪も兼ねて三人で参拝することになった。僕とダイアとハアトは本坪鈴に結ばれた鈴緒を一緒に握る。ジャラジャラと振り鳴らした。

 神社の鳥居をくぐるどころか参拝までしてしまうとは我ながら邪教的なことをしている。


「本当はこんなことやっちゃいけないんだけどね」

「なして?」


 ハアトの当然の疑問に僕は一拍間を置いて答えた。


「えっと……宗教上の理由かな」

「ふたりとも天の川教会やったっけ?」

「……知ってたんだね、ハアト」

「まんねーん」


 まあここは天の川教会のお膝元だしね。

 ハアトが知っていても不思議ではない。

 するとハアトは予想だにしないようなことを口走る。


「あたしも天の川教会入っちゃろうかな……なぁんて」


 途端、僕とダイアの間の空気が固まり、本坪鈴の音が虚しく鳴り止んだ。

 僕はダイアと顔を見合わせた。

 僕たち二人は答えをひとつしか持ち合わせていなかった。


「悪いことは言わないから」

「やめとけ」


 僕とダイアは諦観を含んだ微笑みを浮かべた。


「なんばまた二人して通じあっとっと?」


 なぜか僕たちの真っ当な忠告にハアトは不服そうだった。


「そもそもなんでキョーカイなんかに入りたがるんだよ。おまえ、いかれてるぜ」

「だって……」

「なんだよ?」


 ダイアに問われてハアトは口ごもりながら頬を紅潮させて答えた。


「ひみつたい」

「意味わかんねえ。これだから女はよ」

「女は関係なかろうもん!」


 ハアトは怒髪天を衝く。


「つうか言っとくがキョーカイに入信したら半自動的におまえとは絶交だわ」

「なして?」

「なんででもだよ」

「でも……じゃあなんで、ダイアは天の川教会におっとよ?」


 ハアトの核心を突く質問にダイアは鬱陶しそうに答えた。


「……母ちゃんがまだいるからだ。といっても当の本人は病院のベッドの上だけどな。教会に行かないとそのせいで病気が治らないとか言い出しかねないからな」

「なんか……ごめんくさ」

「別にいい」


 ダイアは本当に気にしていないふうに言った。


「そもそもおまえとは友達じゃねえしな」

「ガーン」


 ハアトの心の割れる音だった。


「それからキョーカイのことは学校では言うなよ。言ったらおまえ殺すからな」

「わ、わかっとるばってん」


 ダイアに釘を刺されて息を呑むハアト。

 そして僕はポケットから願い事を書いた短冊を取り出す。それを横からのぞき込んだハアトが僕の願い事をサラサラと勝手に読み上げた。


「『ダイアと一緒に漫画家になれますように』」

「……ハアト」

「あっ、めんごめんご。声に出とった?」


 きみの願い事も読み上げてやろうか?

 こっちだって爆弾は持っているんだ。


「かはは」


 僕の願い事をダイアは弱冠七歳にして懐かしむように笑った。


「保育園の時に約束したな。そういえば」

「そうだよ。僕たちもう小学生だよ?」

「そんな昔の約束をよく憶えてんな」


 昔といっても二年前の話だ。

 どこか生き急いでいるダイアにとっては昔かもしれないが、僕にとっては昨日のことのように思える。


「僕が原作でダイアが画を描くんだ。ダイア、絵を書くの得意じゃん」


 ダイアは自由帳によく絵を描いており、審美眼もある。

 絵心のまったくない僕よりは適任だろう。

 ちょうど白いノートも手に入れたところだし。


「ちょっと待て。俺のほうが作業量的に大変じゃねえか?」

「それは言いっこなしじゃない?」

「まさか原稿料とか印税は折半じゃねえよな?」

「もちろん折半だよ」

「ったく、クソ生意気な小童だ」


 ダイアは嘆息した。

 それから諦めたように了承した。


「まあいいか。ちょうど手頃な自由帳も手に入れたところだしな」


 僕が契約を取り付けたところでハアトが割って入る。


「ねえ、あたしは?」

「あ? 誰だおまえ?」

「ハアト」

「ハトポッポか」

「ハアトばってんね!」


 ひとりのけ者にされてハアトはご立腹だった。

 僕は折衷案としてハアトに一応急ごしらえの役職を与える。


「そうだ。じゃあハアトはアシスタントに雇うよ」

「さすがトウタ、見る目あんね」


 ウィンクするハアトをダイアは腐す。


「こんなやつ、消しゴムかけもまともにできねえぜ」

「そいぐらいできるとばってん!」


 閑話休題。

 僕たち三人はダイアを中心にそれぞれ僕が左、ハアトが右に陣取りオンボロのお賽銭箱に願い事を書いた短冊を投入した。本来はお金を入れる箱なのでよい子のみんなは真似してはいけない。そして各人神妙な面持ちで二礼二拍手一礼。

 たまにはこんな異宗コラボの七夕も悪くはない。

 祈り終わってからダイアは朴訥と語り出した。


「短冊の願い事を彦星と織姫が叶えると仮定して、アルタイルとベガに願い事が伝わるまでそれぞれ16光年と25光年だ。往復の計算を入れれば倍の時間がかかる」

「気の長い話やね」


 ハアトの言うとおり、まだ七年しか生きていない僕たちにとっては果てしない時間だった。

 しかし僕はこう思う。


「でも光の速さを想いの強さが上回れば距離なんて関係ないんじゃないのかな」

「ばかいえ」


 ダイアは鼻で笑った。

 まだ何者でもない僕たちはいつも一緒にいた。

 無神論者の彼はいったい何を願って何に祈ったのだろうか。

 僕はこの世に生まれてからずっと考えてきた疑問をぶつけた。


「ふたりは神様っていると思う?」

「おらんとやなかぁ? 知らんばってん」


 ばってん遣いのハアトは答えた。


「んにゃ、この願い事が叶ったら信じてもよかかもしれんね」

「いねえよ、バカタレ。仮にいるならブッ飛ばしてやるから今すぐ俺の目の前に連れてこい」

「一休さんみたいなこと言わないでよ、ダイア」

「ここは寺じゃなくて神社だけどな」


 細かい男である。

 寺と神社の違いを考えていたところで辺りも薄暗くなってきた。

 するとそこで突如、何の前触れもなく本殿の向こうの空がピカッと光った。


「――な、何事!?」


 僕は目を細めながら恐る恐る手びさしの隙間からのぞき込む。

 なんとその空には――薄っぺらい光る円盤が浮遊していた。その円盤はペラペラの絵画のような平面だった。絵から飛び出したと言うよりは切り取られたとでもいおうか。エンジンジェットの光源ではない。太陽が赤く染まり沈みつつあるなか円盤全体が横回転しながら光っている。そのシルバーのボディーからサイケデリックかつ気味の悪い光を放っている。

 僕はダイアに身を寄せつつ一言漏らす。


「まさか……カミ様?」

「いや、あれはどう見ても未確認飛行物体――UFOだ!」


 ダイアは珍しく興奮したように言った――まさにそのとき、賽銭箱に佇んでいた僕が救ってしまったカイコが翅を羽ばたかせ始めた。

 そして、その次の瞬間、カイコが飛んだ。

 完全家畜化されたカイコは体に対して翅が小さく飛べるわけがないのだ。誇張ではなく鶏のように数秒間さえも飛べない。しかしそのカイコは飛んだ。いや、飛んだというより僕の目の前で浮かび上がったというほうが正確な表現だった。

 呆気に取られる僕にダイアは鬼気迫る形相で叫んだ。


「走れ! おまえらキャトルミューティレーションされるぞ!」

「キャ、キャトル、ミューティレーション……?」


 僕はその言葉の意味はわからなかったが、おそろしいことだということは伝わった。ちなみに後日、インターネットで調べてみたらキャトルミューティレーションとは牛などの動物が内臓や血液を抜かれた状態で見つかる怪現象のことを指す。

 なのでダイアが言いたかったのはおそらくアブダクションのほうだろう。こちらは宇宙人に誘拐されることを指す。アブダクションはしばしばキャトルミューティレーションと混同されがちなのだとか。

 僕とダイアが駆け出そうとしたところでハアトは顔面蒼白の顔を歪める。


「ダイア、待たんね! お宝本が!」

「ばかいえ! エロ本なんざほっとけ!」


 ダイアに怒鳴られてハアトは断腸の思いでエロ本を諦めた。

 そんなに大切なもんじゃないだろう。どう考えても。

 そう思いつつ、僕は白いノートをランドセルに詰め込んだ。中身がこぼれないようにしっかりと錠を閉める。

 僕とハアトはダイアに続いて参道を走り抜けて来た道を戻る。境内の階段を駆け下り、鳥居をくぐった。太蚕神社を脱出して展望台というか高台に戻ってくるも、まだ安心はできない。

 その間もUFOの放つ光はさらに強くなっており、太蚕神社を包み込んでいた。そして光に触れたものは吸い上げられるようにUFOに吸い込まれていった。太蚕神社の境内から拝殿から鈴から石灯籠から蜘蛛の巣からエロ本から何もかもが浮かび上がっていく。


「あたしの掘り出し物が」

「まあ、どうせ拾ったものだしいいじゃない……」

「よくなかよ」


 僕がハアトを慰めていた。

 しかし、このままで僕らまでUFOに吸い込まれてしまいかねない勢いだった。

 するとダイアは高台の大木にくくりつけられた注連縄を発見した。


「あれだ!」


 その注連縄は夏鬼山の麓のほうまで続いている。

 そりゃそうだ。

 この注連縄を頼りに僕たちは山を登ってきたのだから。


「ダイア、どうする気なの?」


 僕が嫌な予感をしつつ問いかけると、UFOの灯りに照らされたダイアの顔は悪い顔だった。それからおもむろにダイアは片方の肩にかけていたランドセルを脱ぐと注連縄に乗せた。そしてショルダーハーネス部分の持ち手を左右それぞれ掴んでから高台の手すりに立った。


「こうするんだよ!」


 ダイアは手すりを蹴ったのちランドセルを使って注連縄を即席のロープウェイ代わりに滑空する。なんという度胸だろう。しかし一歩間違えば、暗闇の山岳に真っ逆さまである。

 まるで恐怖のアトラクション・ランドセル注連縄ロープウェイだった。


「ばり面白そうやん。あたしもあたしも!」


 そう言ってハアトもダイアに倣ってランドセルを注連縄に乗せるとまるで羽でも生えたかのように滑空していった。ひとり取り残された僕は二の足を踏んでいたが、しかし背後の太蚕神社にUFOが迫っている以上、悠長に迷っている場合ではない。

 そして僕も注連縄にランドセルを引っかけてからいつもは背負っているショルダーハーネスをそれぞれ両手で掴んだ。手すりに立ってから目を閉じながら、なけなしの勇気を振り絞って夜空に飛び立った。


 グググゥーッと注連縄に全体重がかかりしなる感触が手のひらを伝った。しかし注連縄は苔で湿っていたおかげで意外と滑りはよかった。頬を撫でる風が心地よくて本当に飛んでいるようだった。

 僕はおっかなびっくり目を開けると、いつの間にか太陽と選手交代して満月が顔を出していた。注連縄ロープウェイを滑る僕たち三人の月影が山の木々を駆けている。僕が太蚕神社を振り向くとUFOは急旋回してから、この世のものとは思えない速度で月に向かった。

 僕はまるで夢でも見ているようだった。


 この日、僕たち三人はUFOを目撃するという奇跡体験をした。

 これは三人だけの秘密だった。

 というよりは他の誰に言ってもどうせ信じてもらえないだろう。

 信じてもらえないのなら言わないほうがいい。

 宗教もこれくらい慎ましかったらよかったのにと僕は思った。

 神様はいるのかいないのか、未だ答えは出ないがどうやら宇宙人はいるらしかった。


 しかしこのとき以来この太蚕神社は僕らにとってはいわくつきの場所になった。

 その後何度か参拝に向かおうとしたのだが、どういうわけか一度もたどり着けなかった。ロープウェイに使用した注連縄も撤去されたのかわからないが消えていた。

 しかしながら、こんな幼少期の思い出を忘れさせるには七年の歳月というのは十分な効果を発揮するのだった。

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