第22話 対決
アルティラ――は尻もちをついたまま、黒い鞭を構えなおした。しかしフリージアはもはや怖くなかった。身体の中に流れている魔力がフリージアを突き動かし、勇気を与えている。泥まみれだった顔から、ちりちりと泥が空中に消えていく。すっきりとした気分だった。
「調子に乗らないで!」
アルティラがフリージア目掛けて黒い鞭を振る。火花を散らしながら迫ってくる鞭に対して、フリージアは手をかざした。たったそれだけで青い魔力が全身を包み、守ってくれる。黒い鞭は弾かれ、鞭の先がぱっと火花になって散った。
「嘘でしょ!? 私の魔法が……」
アルティラが思わず叫んでから口をつぐむ。フリージアが魔力を操れることを認めたくないようだった。アルティラがもう一度、黒い鞭に魔力を注ぎ込む。
これまでよりずっと大きく、危険な熱を持っていた。確実にフリージアを殺すための魔法だ。だがフリージアの心に恐れはもうない。
「こんなのまぐれよ! 消えろ!」
アルティラの強い怒りが伝わってくる。それはもう鞭というよりも穂先鋭い黒の槍になっていた。暴れて人を傷つけるためだけの魔力だ。
フリージアの身体の熱が暴れる。怒りのままにフリージアは叫んだ。
「いい加減にしてください!」
「誰に向かって口をきいてるのよ! 汚れた血の、あんたなんかに――!!」
アルティラの黒い槍を構え、フリージアに向かってきた。地面に生えていた雑草が焼かれて灰になる。フリージアも両手をかざして青い魔力を放った。黒の魔力のほうが大きく、激しい――だがフリージアの魔力に当たると次々と黒い魔力は消えていく。アルティラが髪を逆立てて、わめき散らしてくる。
「ぐっ、消えろ、消えろーー! 伯爵家だって、ウェルナーク様だって、全部私のものなんだからーー!」
「ウェルナーク様は……あんたのものなんかじゃない!」
そのまま両手に力を込めて、フリージアは進む。これまでの彼女ではなかった。
(もう怖がったりしない。戦うんだ。ラーベのために。ウェルナーク様のために……!)
フリージアが足を前に出す。一歩、また一歩、フリージアはアルティラの黒い魔力をかき分ける。
「うっ、どうしてよ! あんたがどうして、こんな力を――」
「そんなの、私も知りませんよ! でも……私を怒らせたのは、私を戦うように仕向けたのはあなた自身です!」
こんな力があの離れのときにあっても、フリージアはきっとアルティラには使えなかっただろう。怖かったのだ。今は違う。今のフリージアは戦えた。フリージアは前に進み、魔力を解き放つ。黒い魔力が粉々に砕け、アルティラが吹っ飛ばされる。
「うっ、あああああっ!!」
そのままアルティラはべちゃりと泥に突っ込んだ。そのまま数歩先のアルティラは動かない。黒い魔力も完全に消えた。
気が付くと、身体が重い。アルティラの魔力を跳ね返したからだろうか。息が苦しい。心臓があり得ないほど速く動いている。こんなに魔力を使ったことなんてなかったからだ。
でもこれで終わりじゃない。ラーベは今、フリージアの後ろで博士の魔力に捕まっているはずだ。
「ラーベ……!」
フリージアは首を動かして後ろに振り向く。一瞬、アルティラを視界から外して。でもそれは間違いだった。アルティラが猛烈な勢いで立ち上がる。魔力も何もないまま。そのせいで、フリージアの反応が遅れてしまった。
「……あ」
アルティラの手にはナイフがあった。間違いなくフリージアに向けられている。フリージアを刺そうとしている。魔力で身を守らなくちゃ。でも魔力でナイフを防げるのだろうか。
「死ねぇぇぇっ!!」
まっすぐな殺意がフリージアの考えよりも早い。せめて腕で防がないと。だめだ。もう、何も間に合わない。
しかしナイフがフリージアに当たるよりも、ほんの一瞬だけ早く――紅い魔力がアルティラの全身に巻きついていた。そして静かな、怒りの声が響き渡る。
「そこまでだ」
見ないでもわかった。ウェルナークが来てくれたんだ。助かった。そう思った瞬間、フリージアの視界が暗くなる。魔力を使い過ぎた――。
そのまま、フリージアは気を失った。
♢
どれくらい時間が経っただろうか。フリージアは唸りながらベッドで目を覚ます。最初に見たのは、嬉しそうにしているミーナとラーベの顔だった。
「あっ……うぅ……」
「ああ、よかった! 目が覚めたのね!」
「ラーベ、ミーナ……ここはウェルナーク様のお屋敷?」
「んにゃ。そーだよ」
ふかふかのベッドともう見慣れた部屋の中。ああ、帰ってこれたんだと心の底からほっとした。身体がだるいけれど、気を失ったときよりはかなりマシだった。
「私は……あ、ウェルナーク様は!?」
「待って待って。慌てないで、順番に説明するから」
「そうそう、ハチミツジュースでも飲んで」
ラーベがフリージアのそばを離れ、テーブルの上にある木のコップを持ってくる。ゆったりと揺れる黄色の飲み物を口に含むと、フリージアの心が落ち着いてきた。
「まずあなたは丸一日寝ていたの。それで今、ウェルナーク様はお仕事中よ」
丸一日も……!?
そんなに寝たことなどなかったので、驚いてしまった。
「魔力を使いすぎて、身体が耐えきれなくなったのよ。はぁ……でもラーベを助けるためだものね。この程度で済んで良かったと思うしかありませんわ」
「うにゃ、実験のときとは魔力の出方が違ったからね」
「は、はぁ……魔法というのも便利なばかりじゃないんですね」
「でも、あなたを助けたのも結局は魔法よ。ウェルナーク様が倒れたあなたをつきっきりで看病したんだから。私は交代で来ただけで、特に何もしてないし」
「いえ――ミーナを見て、すごく安心できました。ありがとうございます。」
「そう? なら良かったわ」
「ちなみに僕も無事だよ。君のおかげでね」
ラーベが顔をこちらに向けたまま、すいーとフリージアのベッドの上を飛ぶ。
「お礼に僕のしっぽを撫でる権利をあげよう」
「おお……ついに触らせてくれるんですね」
ラーベのしっぽはこれまで触るのを拒否されていたところだったので、これはとても嬉しいことだった。ラーベが布団の上、撫でるのにちょうどいい場所へ着地する。
「アルティラ・ベルダとブレア公爵は逮捕されたわ。どういう罪状かは今後次第だけど……アルティラ・ベルダはかなり重い罪になるんじゃないかしら」
「殺人未遂だからね。これまでとは訳が違うよ」
「……私としては二度と会いたくないですね」
これまで言えなかったことがすんなりと口から出た。あの対決でフリージアは変わった。意志があり、それを貫く強さもあるとフリージアは確かに実感できていた。
そしてラーベを撫でようと布団の中から手を出してみて――フリージアは気付いた。左手にしていた指輪にいくつもひびが入り、石も透明に戻っている。
「ああ、これ! どうしてひびがっ……!」
フリージアが悲鳴を漏らすと、ミーナがふぅと息を吐いた。
「ん、それはね……あなたの身代わりになったのよ。悪くない指輪だったけどね」
「この指輪が……?」
「あなたにいくら才能があるっていっても、限界はある。指輪はそれを手助けしたけど、1回限りってことね」
「うぅ……とても残念です」
これはウェルナークと魔力を合わせた指輪だったのに。フリージアにとって他の人と繋がりがあると信じられる象徴だった。
「……これはもう直したりはできないのですか?」
「んんー、できなくもないけれど。でも、一度あなたとウェルナーク様の魔力に同調してるから、私じゃ直せないわ。あなたとウェルナーク様じゃないとね」
「でも直せるんですね……? なら、私は……直したいと思います」
「んにゃ。直すというか作り変えるレベルだけどね」
さわさわ……。ふわふわのラーベのしっぽをてのひらですくい上げる。とてもいい。少しの間そうしていると、ラーベが首をお屋敷の外に向ける。
「うに、ウェルナークが帰ってきた」
「じゃあ、お出迎えに……」
「まぁまぁ、まだ寝てなさいよ。自分の家だし、迎えがなくても大丈夫でしょ」
ベッドから出ようとするのをミーナに止められる。
話したいことがたくさんあるけれど、うまく言葉にできるだろうか。フリージアはベルダ伯爵家に戻るつもりは毛頭ない。とはいえ、博士は……どうしてあんなことをしたのだろうか? 全部、ベルダ伯爵家が関わっているのだろうか?
結局、ラーベにもウェルナークにもミーナにも迷惑をかけてしまった。今のままでいいはずもなく――本当に色々なことがフリージアの頭の中をぐるぐると駆け回っていた。
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