第9話 添い寝

 風のようにミーナは現れ、去っていった。

 今日起こったことを考えると頭がぐるぐるする。


 それからフリージアはウェルナークの執務室で質問を受けた。今日の確認――フリージアに起きたことを書いておきたいのだという。しかしウェルナークはすでに手際よくまとめており、これもすんなり進んだ。


 ひとつだけ言っていなかったのは『博士』のことだ。

 たまにフリージアの住んでいる離れに来ては、様子を確認して帰っていく。いつも顔をすっぽりと隠す仮面をつけていて、一度も素顔を見たことはなかった。


 フリージアは博士のことも説明していく。


「……博士、全員にそう呼ばれていたのか?」

「アルティラ様もそうでした。なので、他の名前は知りません」

「ふにゃ。明らかに怪しいやつだね」

「身長は俺より少し低いくらい、男性……体格は俺と同じくらい、他には?」

「……多分、茶色の髪なのではないかと」

「顔を完全に覆っていたのだろう? 髪の色がわかったのか?」


 ウェルナークの疑問は当然だ。普段の博士の仮面は、髪も目もわからないようになっていた。でも少しだけ、フリージアは博士の秘密を知ってしまっている。


「博士が来ると、私はよく眠るように言われるんです。それで一度だけ、起きた時に小さな茶色の髪の毛が落ちていて……」

「君が寝ている間に、仮面を外して落としたのか」

「多分、そうだと思います。でもあの髪の毛は……怖くなってすぐ捨てました」

「なぜ、怖いと?」

「アルティラ様も博士の言うことには逆らいませんでした。博士が帰った後、怒ることはよくありましたけれど……。博士はアルティラ様より偉いのだと、私は思っていましたので」

「ふむ……」


 ウェルナークは紙に書く手を止め、考え込んだ。


「間違いないね。その博士が色々と手引きした人間だ」

「俺が知る限りベルダ伯爵家に茶髪の人間はいない。外部の協力者か……」


 もうかなり長い間、フリージアは起きていた。なんだか眠くなってきて……身体がふらふらしてしまう。しっかりと話をしなきゃいけないのに。


 そこに突然、ウェルナークの優しい声が降ってきた。


「ふむ……今日はこれくらいにしておこう」

「あっ、私もしかして……」

「だいぶ眠そうだったよ。でも僕も眠いかも。むにゃむにゃ……」

「ご、ごめんなさい……」

「こんなに色々と起きた日なんだ。気にしなくていい。むしろ遅くまで付き合わせて悪かった」

「そんな……」


 フリージアが申し訳なく思っていると、ラーベが腕を枕にして身体中から力を抜いていた。


「んにゃ。それじゃそろそろ寝ないとね……」

「そうですね……。私が寝るのは、あのお部屋ですか?」

「そのつもりだ。枕やベッドは身体に合っているかい?」

「はい、とってもふわふわで素晴らしいです!」


 離れよりも断然、フリージアはこちらの枕とベッドのほうが好きだ。身体全体が気持ちよく沈み込む。このベッドで見る夢はきっといい夢に違いない。


 しかしウェルナークはやや難しい顔をしていた。


「それでだが……寝ている間にも、魔力過多症は起きる可能性がある。ラーベは一度寝ると中々起きない」

「んにゃ。腕輪とブローチも、振動に気付かなかったら大変だ。なのでフリージアのためにいい方法を考えたんだ」

「どんな方法でしょう?」

「妙な想像はしないでほしい。これは純粋に安全のためだ」

「そ、そんなに覚悟がいる方法なのですか……」


 ウェルナークが迷った末に、やっと言葉を続ける。


「……しばらく俺が一緒に寝る。そうすれば魔力過多症が起きても、すぐにわかって対処できる」

「なるほど、いい案ですね! ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いしますっ」

「やっぱりな……」

「えっ、ええっ?」

「んもう、ウェルナークは何が嫌なのさ。フリージアは別に嫌じゃないよね?」

「は、はい……他の人と寝たことがないので、うっかり起こしてしまうかも以外には……」


 ウェルナークがラーベにごにょごにょ話しかける。フリージアの耳と目はかなり良い。かすかにふたりの会話が聞こえてくる。


「ラーベ、全然わかってないぞ」

「知ってるよ。だから構わないんでしょ」

「しかしさすがに……これが公になると、マズイだろうな……」

「人間不信の称号に鬼畜とロリコンがプラスかな」

「否定できん」


 そしてウェルナークが咳払いして、フリージアに向き直る。


「……君の不安はわかった。そこは気にしなくていい。私も少し、風呂に入ってくる。先に部屋に行っていてくれ」


 ♢


 部屋に着いてベッドで横になると、一気に眠気が来た。ウェルナークが来るまでは起きていようかと思ったのに……。


 ラーベも同じ部屋にいて、ふかふかの布に覆われたかごにすっぽりと入っている。ラーベのみっちりとした身体で、かごが拡がっているような。


「ベッドでなくていいのですか?」

「こっちのほうが落ち着くの」

「なんだか窮屈そうですけれど……」

「このぎゅむぎゅむなのがいいんだよ」


 ラーベは精霊だから、このほうがいいのかもしれない。眠気を振り払うため、フリージアは気になっていたことを質問した。


「ウェルナーク様がラーベとふたり暮らしなのは、やはり瞳が原因ですか?」

「そうだよ。ミーナはまだおとなしいほうで、すごいのになると他の女の人と喧嘩し始めちゃうんだから」

「怖いですね……」

「ナイフやフォークを持って喧嘩するんだ。危ないんだよ」


 絶句してしまう。よく切れるナイフや尖ったフォークで喧嘩なんて。人に向けようとも思わないのに。


「それにね、女の人と仲良しになりすぎるのも良くないんだ。男の人もウェルナークが嫌いになる」

「そう、なのですか?」

「全部が全部、じゃないけどね。そのせいでウェルナークは苦労している。いっぱい色々な人に嫌われて、ウェルナークも嫌いになっているから」

「……あんなに優しい人なのに」

「そう――僕にも優しくしてくれるのにね」


 ラーベがごろごろと喉を鳴らす。


「ラーベは、ウェルナークといつ出会ったのですか?」

「子どもの頃さ。今のフリージアより、もうちょっと子どものとき。ああ、でも――この話はしちゃだめだった」

「……ウェルナーク様が苦労されたからですか?」

「そうだよ。フリージアは賢いね」


 まぶたが重い。本格的に眠くなってきた。と、そこにかすかだけど部屋の扉が開く音が聞こえた。フリージアがゆっくりと身体を起こす。


 そこにはしっとりとした黒髪のウェルナークがいた。すでにパジャマへ着替えている。黒色でふわふわ、触り心地が良さそうなパジャマだ。


「そのまま……寝ていてくれ」

「はい……」


 なぜだろうか、ウェルナークの声が少し震えている。フリージアがベッドの片側に寄ると、ウェルナークがベッドに入ってきた。


「後ろ向きになってくれ」


 フリージアは言われるがまま、ウェルナークに背を向ける。するとゆっくりとウェルナークの腕と身体が、フリージアをぎゅっと包んだ。とても温かくて、大きい。


「嫌じゃないか?」

「そんな……温かくて、気持ちいいです」


 ウェルナークの声と体温が、フリージアを深い眠りに誘う。きっと今日はいい夢を見れそうだ。フリージアの目は半分閉じかけていた。そこでフリージアはあと一歩、ウェルナークに甘えることにした。


「もうちょっとだけ……」

「うん?」

「ぎゅってしてくださいませんか?」

「……いいとも」


 ウェルナークの腕が、少しきつくなる。でもそれでフリージアはさらに安心した。背中にだけど、確かにウェルナークを感じる。


 ――他の人と一緒に寝るのは、こんなに違うんだ。


 ウェルナークの息づかい、かすかな身体の動きも全部わかる。

 そう思うと、なんだか身体が熱くなってきたような……。ずっとウェルナークと一緒にいれたらいいのに、と思う。


 でも今の自分では、それは絶対に無理だ。もっと色々と勉強して、迷惑をかけないようにしないと。フリージアはそう思いながら、すやすやと眠りに落ちた。

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