第7話 侵入者

 フリージアは風呂から気持ち良く出ると、着替えて執務室に向かった。風呂に入っている間も、そこでお仕事をしているらしい。フリージアは入浴後の良い気分で屋敷の廊下を軽快に歩いている。


「今日は色々とありましたが……ありすぎましたが……でもやはりお風呂は素晴らしいですね。ふんふん~♪」

「ちょっと! これはなんですかー!?」


 廊下の角から音がする。すっと覗き込むと、そこには床に転がっている女性がいた。黒みがかった濃い赤髪と細い身体――恐ろしいほど整って可愛らしい顔。動きやすいドレスに白い魔力が巻きついて、彼女の動きを封じていた。


 ウェルナークが屋敷では安全と言っていたのは、これのこと……?


「うぅっ……わたくし、ウェルナーク様に会いに来ただけなのに! それだけなのにー!」


(うーん、会いに来たということは私と同じウェルナーク様のお客様でしょうか……? でもこの状況は一体、どういう……?)


 フリージアはどうしたものかなと悩む。女性はうるうると目に涙を溜めていた。


 ウェルナークを呼びに行く前に、ちょっと彼女の様子を確認したほうがいいかもしれない。フリージアは角から出て、彼女に声をかけた。


「あの……大丈夫ですか?」

「あっ、えっ……?」


 そこで女性は固まった。信じられないものを見るような目で、フリージアを見上げている。


「ど、どうして……」

「……はい?」

「どうしてウェルナーク様のお屋敷に女性が!? それもこんなに可愛らしい女性が!? なぜ、どうしてー!」

「えっ? ええっ??」

「わたくしには一向に会ってくださらないのに! 手紙をどれだけ出しても! 正面玄関に来ても、無視ばっかりなのに!」

「あの……」


 さすがのフリージアもうっすらと予感した。もしかして、この女性はウェルナークの客人ではない……? そういえば女性のすぐ近くの窓が開いている。まさか、ここから侵入してきたのだろうか。


 にしても女性は、キンキン声でかなりうるさい。耳をふさぎたくなるくらいだ。


「もうちょっと静かに……」

「うわーん! ダメならダメで、一言ちゃんと欲しいだけなのに! わたくし、来月お見合いがあるんですよ! その前に、答えが欲しいだけでー!」


 女性はなおも騒いでいる。フリージアの身体が熱くなってきた。

 こんな感覚は初めてだ。


「ウェルナーク様を呼んできますから、そこでおとなしく……」

「ああー! やっぱり、あなたはウェルナーク様のアレなんですね! わたくしなんかどうでもいいんだー!」

「…………」


 せっかくお風呂でいい気分だったのに、台無しだ。

 フリージアの胸の中に、これまで沸き上がったことのない感情があふれてきた。相手が動けないようなので、なおさら強くそう感じる。


「あの、静かにしてください」

「うう、なんというピエロ! こんなことなら、家で泣いていれば良かった! そうすれば夢の中にいられたのにー!」

「静かにしてください!!」

「えっ、あっ……」


 フリージアの中の、何かがぷちんと切れた。同時に身体からぶわっと熱が出る。


「あなたがウェルナーク様の何なのかは知りませんが、もう夜ですよ!? 大声は迷惑です!」

「で、でも……」


 フリージアは転がっている女性のそばまで行き、しっかりと見据えながら言い放つ。


「ウェルナーク様を呼んできますから、ここで静かに待っていてください!」

「ええ……あ、あなた……」

「なんですか!?」

「す、すごい魔力ね……大丈夫なの、それ?」


 言われて、フリージアは両腕を見た。本当だ。腕全体から青い魔力が出ている。いや、それだけじゃない――身体全体から青い魔力が出ていた。


 しかも身体がおかしいほど熱い。くらくらしてきた。

 なんだか目の前がぼやけてくる。


「うっ、これって……!」

「私に触って!」


 転がっている女性が叫ぶ。わけがわからないまま、フリージアは女性の頭に手を乗せた。すると一気に熱が引いてくる。身体から出ている青い魔力も弱まっていった。


「よかった。暴走というほどじゃないのね」

「あ、あの……」

 

 心臓はどくどくと鼓動しているが、もう大丈夫そうだ。

 女性の頭に手を乗せたまま、フリージアは大きく息を吸って吐く。


「助けてくれたんですか?」

「放っておいても、落ち着いたと思うわ。わたくしは、それをちょっと早めただけ」


 女性の瞳から涙が消えていた。話し方も落ち着いて、さっきまでとは大違いだ。まるで別人だった。


「それより、ごめんなさい。わたくし、完全にどうかしているわ……。ウェルナーク様のお屋敷に忍び込んだりなんかして」

「……やっぱりそうだったんですね」

「ウェルナーク様のことを考えると止まらなくなって……。でも、そうね……あなたの魔力に当たって、なんだかすっきり目が覚めたわ」

「それなら良かったです……」


 フリージアは思ったことをそのまま叫んだだけだ。でも、多分それで魔力が出てしまった――ということなのだろうか。アルティラはほとんど怒った時にしか魔法を使わなかった。もしかするとも感情の高ぶりが魔力のトリガーになっているのかもしれない。


「……いえ、でもやっぱりこれは普通のことじゃないわ。他人の魔力を追い払うなんて、簡単じゃない。まして帝国最強のウェルナーク様の魔力よ? 今まで女性で抗えた人なんていないはずで」

「は、はぁ……」


 女性は早口で言葉を続ける。


「あなたの魔力はすごいけれど、単純な魔力量でこんな現象が起こるはずが……。やっぱり魔力の質そのものが、ウェルナーク様の魔力を弾いていると考えるほうが自然かしら。反魔法の魔力なんて伝説上の存在でしかないけれど、でもこれは――」

「怖い……」


 この人はもしかして、ずっとこんな感じなのだろうか。喋り出すと止まらない。こんな人がいるなんて、世間はフリージアが思うよりもずっと広そうだ。


 そこにウェルナークとラーベが廊下の角から現れた。ウェルナークはなんだか疲れており、ラーベは彼の腕に抱えられている。


「……そこまでにしておけ。フリージアが困っている」

「うにゃー。やっほー」

「ウェルナーク様、ラーベ!」


(助かりました……!)


 フリージアは転がっている女性からぴょんと飛びのき、ウェルナークのそばに駆け寄る。これで安全安心だった。


「ええと、この人は侵入者です!」

「ああ……わかっている。彼女は見知った顔だ」

「ううぅ……ごめんなさいぃ……」


 転がった女性も、ウェルナーク様を見た途端に口を閉じていた。さすがにこの状況で喋り続けることはできなかったようだ。


「彼女はミーナ・フェブレル――俺の従妹だ」

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