第6話 状況整理

 脱衣所を出た後、ウェルナークは執務室に向かった。もちろんブローチを握りしめながら。


 黒茶でまとめられた執務室は、ウェルナークを落ち着かせる。視界の端にある、溜まった郵便物は憂鬱だが。これら全て、ウェルナークへのラブレターだ。

 いらないといっても、見ない間に屋敷のポストにどんどん溜まっていく。とはいえ定期的にポストを確かめないわけにもいかない……。気が重い。


「相変わらずモテモテだね、ウェルナーク」

「お前が代わりに確認してくれないか? 最初を読み上げてくれるだけでいい」

「やだよ。頭が痛くなってくるから」


 ラーベがふにっと黒檀の机に寝そべった。


「それでフリージアをどうするんだい?」

「計画はある。だが、その前に――ラーベが聞いたフリージアのことを全部教えてくれ」


 ラーベは精霊であって人間ではない。だが、逆に言えば人間の家庭や制度について頓着もしないのだ。普通なら目を背けたり嫌悪するようなことでも、ラーベは受け止める。ウェルナークもずいぶんそれに助けられたと自覚している。


 一通りラーベから話を聞いて、ウェルナークは黒革の椅子に深く腰掛ける。


「どうだい、予想通りだった?」

「予想通りなところもあれば、違うところもある。フリージアはベルダ伯爵の庶子なのか……。どこからか誘拐したのかとも思ったが」

「そうじゃないみたいだね。フリージアの認識としては」


 フリージアの置かれた環境はしかし、実子に与えるものとしてはあまりに過酷だ。誘拐か他の奴隷商人から買った、というほうがまだ理解できる。


「でも数年はベルダ伯爵家で暮らしてたみたいだよ。その前はあまり覚えてないらしけれど」

「……記憶を消す魔法もなくはない」


 自分で言っていて、吐き気がしてきた。記憶を植え付ける魔法はないが、記憶を消してしまう忘却の魔法は実在する。


「誘拐した人間の記憶を消して、育てて売り飛ばす――野蛮な国ではまだあると聞く」

「うわぁ……人間の考えることって邪悪だね」

「だが、フリージアがそうなのか証拠はない。あくまでもこれは、推測だ」


 他人の記憶を操作するのは当然、重罪である。しかし証拠を得るのは難しい。

 アルティラの魔力はお粗末なものだった。彼女が記憶を操作した可能性はあり得ない。


 帝国の公安庁は貴族がどんな魔法を使えるのか、可能な限り把握している。ベルダ伯爵家と親戚に忘却の魔法を使う人間はいなかったはずだ。とはいえ本当の庶子であれ誘拐であれ、真相はベルダ伯爵とその側近しか知らないだろう。


「だけど、そうしたらフリージアはどうなるの?」

「本当の庶子なら、事件終了後にベルダ伯爵家へ戻るしかない。フリージアの親権、監督権はベルダ伯爵にある」

「そうだよね。じゃあ誘拐なら?」

「誘拐元に戻れるよう手配する。しかしベルダ伯爵が続けてフリージアに手を下す可能性は残る」

「それってどうなの。かなりまずいんじゃない」


 今回の件でベルダ伯爵家が取り潰しにでもなればいいが、それは希望的観測だ。現在の証拠では取り潰しには程遠い。罰金程度だろう。

 違法オークションを主催した証拠でもなければ、ベルダ伯爵家を追い詰めることはできない。だとすると、やはりフリージアを俺の屋敷に置けるのはせいぜい1週間が限界だろう。


「まずいはまずいが……手はある」

「へぇ、どんな?」

「フリージアが魔力を制御できるようになれば、彼女自身が生計を立てることは簡単だ」


 魔力制御の先には魔法があり、魔法を扱える人間は極めて希少だ。魔法まで使えれば、ベルダ伯爵家からの干渉を跳ね除ける相手に庇護を求めることもできる。

 ネックなのは時間だ。間に合うかどうかはフリージアの才能と努力次第である。


「ふぅん、もっと簡単で確実な手段があると思ったけどね」

「……言ってみろ」

「ウェルナークがフリージアと結婚するんだよ」

「却下だ」

「ああ、この場合は婚約でもいいんだっけ。そうすれば大手を振ってフリージアを守れるんじゃないの」

「……よく思い付いたな。賢い精霊だ」


 フリージアの諸々の状況を捨て置き、ベルダ伯爵家から引き離すだけなら――確かに結婚や婚約は有効な手段である。

 だが、彼女が結婚や婚約の意味を理解しているとは思えない。そうした相手に結婚をちらつかせるのは、端的に言って気に入らない。


 しかしこうした機微をラーベに説いても無駄だ。ラーベは効率を求める。とはいえ、ラーベ自身もこうした考えをウェルナークにしか言わない。精霊と人間に違いがある、ということをラーベも理解しているのだ。


「賛同しかねるって感じだね」

「お前が人間なら怒っているところだ」

「ウェルナークって結構面倒だよね。どんな女性も思い通りにできる瞳があるのに」

「俺はお前のほうが羨ましいよ」


 精霊には性別という概念がない。そうした煩わしさから解放されれば、どれほど気が楽だろうか。そのふもっとした身体で思う存分昼寝したいものだ。


「あ、ちょっと待って」

「どうかしたか?」

「侵入者だよ」

「なんだと、どこからだ!?」


 ウェルナークはばっと立ち上がる。


「もう僕が魔力で拘束したから安全だよ。ひとり、これは女性だね」

「……またか」


 重いため息をつくしかない。たまにウェルナークの屋敷には侵入者が来る。そのほとんどが行き過ぎた愛情を持つ女性だ。残りはウェルナークを恋敵と思い込んだ男である。いずれにしても迷惑極まりない。


「1週間振りの侵入者だね」

「無駄なことを……。精霊がいる屋敷で狼藉を働けるわけがない」

「本当にすごいよね。あ、でも……まずいかも」

「拘束したのだろう?」


 この屋敷内でラーベの力は絶対だ。俺でさえ拘束されれば逃れる手段はない。あとは近くの警察駐在所に行き、侵入者を引き取ってもらうだけのはずだ。警察も慣れたもので、そうすれば後は全部やってくれる。

 そうした嫌なルーチンワークのはずなのに、なぜかラーベがまだひげをぴくぴくと動かしている。


「侵入してきたのが、風呂場の近くだ。今、フリージアと接触しちゃった」

「くっ、なんとタイミングの悪い……!」


 ウェルナークはうめきながら、執務室を飛び出した。

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