第5話 温かい場所
やっとのことで泣き止んだフリージアは、恥ずかしくなりながらウェルナークとラーベに連れられ、紅茶の間へと向かった。この屋敷は大広間もあるそうだけれど、普段は使わないらしい。
日々の食事はキッチンの隣にある紅茶の間でするそうだ。とはいえ紅茶の間だけでもフリージアの離れより広く、高価そうな家具が置かれている。
「あの……私……」
そこでフリージアは椅子に座らされていた。目の前のテーブルにはウェルナークとラーベが手際よく料理を並べていく。ぴかぴかの食器、ほかほかと湯気の出る見たこともない料理の数々……。
「全部、温めるだけでいいんだね」
「そうしてくれと言ったからな。帰ってから時間がかかるのは良くない」
「私も手伝いのですけれど……っ」
「うにゃ。そこで座っていてよ」
「もう少しで終わるから。待っていてくれ」
「うぅ……」
その言葉が嘘のない優しさだと今は信じられる。だからこそ優しさが怖い。
もしこの優しさに慣れてしまったら、あの離れに戻れなくなってしまいそうだったから。
料理が並べ終わると三人で座り、そのまま食事を始める。他愛のないお喋りと温かい料理――これらの料理はウェルナークが仕事先からもらってきたらしい。
フリージアもフォークとナイフくらいは扱える……でもウェルナークの食事の優雅さには全然及ばない。器用に腕がダンスしているみたいにナイフとフォークが動く。ちなみにラーベはウェルナークの差し出すフォークからうにゃうにゃと食べていた。
その食べさせ方も絶妙なタイミングだ……。フリージアの腕はそこまで動かない。
「このぷりっとこってりとした料理は……」
食事しながら、フリージアは食べたことのなかった料理や食材を聞いていく。多少でも知っておくのが礼儀な気がしたからだ。あとは美味しい料理は自分でも作れるようになれたら――ウェルナークもラーベも喜ぶかもしれない。
「エビのチーズ包みだ。スパイスが少し効いているが大丈夫か?」
「平気です……むしろ味が濃くて、んっ、温かいとチーズもこんなに美味しいのですね」
次にフリージアは真っ赤で細長い何かをフォークで巻き取って食べた。んむ、酸味が美味しい! でも全然正体がわからない料理だった。
「にゃ、それはトマトソーススパゲッティだね」
「へぇ……この細長いの、少しパンみたいな風味がありますね」
「パンと同じ材料からできているからな」
「これがパンと同じ材料から……お料理って不思議です」
フリージアが正直な感想を言うたび、ウェルナークが少し動きを止める。ちょっとだけ困ったという感じだ――でもアルティラとの会話で、フリージアは正直なほうがいいと学んでいた。
こうして美味しい食事を終え、次に風呂へと案内された。ウェルナークが持ってきた料理に夢中で、フリージア作のパフェの出番はなかったけれど――これで良かった。あの料理に比べたらパフェは眠らせておいたほうがいい。
この屋敷は何もかもフリージアの住んでいた離れより大きいが、風呂もこちらのほうが数倍広い。しかもぴかぴかと白く輝く石が使われていて、なんだか身体の芯にまで熱が入りそうだ。
風呂の構造は離れにあるものとほとんど同じなので、扱うのに問題はなさそうだった。いつの間にか湯も張ってある。早く入りたくなってきた。
脱衣所も広々として開放的だ。ラーベがかごをすっとフリージアの足元に差し出す。
「先に入って、ゆっくりしなよ」
「はい、ありがとうございます……!」
ここは遠慮しないで入らせてもらおう!
離れでも風呂だけはゆったり過ごせる時間だった。アルティラも絶対に入って来なかったからだ。
と、そこでウェルナークが懐から腕輪とブローチを取り出す。ブローチはシンプルなデザインだけど、腕輪は小さな宝石が色々とくっついていて、かなり大きい。
「あと風呂の最中はこの腕輪をつけていてくれ。これは俺のブローチと対になっていて、魔力の異常を感知すると振動して知らせてくれる」
ウェルナークが紅い瞳を少しだけ輝かせる。すると腕輪が淡く光り、ブローチがぶぶぶーっと震えた。
「なるほど、これでお風呂でも安心ですね!」
「そういうことだ。少しサイズが合っていないが、肘の近くにでも……」
私はぎゅっぎゅっと腕輪を肘の近くまで押し込む。よし、これで動かない。
「これで大丈夫ですね!」
「ああ、じゃあゆっくりと――」
フリージアはさっと衣服に手をかけて、脱ごうとした。が、ウェルナークが素早くその腕を止める。
「待て! 脱ぐのは俺が脱衣所を出てからにしてくれ!」
「そ、そういうものなのですか?」
「そうだ……。そういうものだ」
初めて知った。元々、脱衣所に他の人がいることなどなかったのだけれど。
ウェルナークが急いで止めるほど、まずい行為だったらしい。
「ごめんなさい……」
「いや――怒っているわけじゃないんだ。悪かった、大きな声を出してしまって」
「そんな、ウェルナーク様は別に……」
「……謝らなくていいんだ」
ウェルナークがフリージアを見つめる。怒っているわけではない。なぜか悲しんでいるようだった。
「でも……私には、謝ることしか……」
「そうなるようにしたのは、君がいた環境のせいだ」
「………そう、かもしれません。私の知っている常識とウェルナーク様の知っている常識には、かなりの違いがあります。でも、だとしたら私は――どうすればいいのでしょう?」
答えはないとわかっていた。ウェルナークは行きがかりでフリージアを助けただけだ。ただお仕事中に出会っただけ。深い理由なんかあるわけがなかった。
幸せな時間を過ごしながら、フリージアは見ない振りをしていた。この生活は長く続くのだろうか。アルティラの元にまた帰ることになるのではないか、と。
アルティラとまた暮らすのも、あの『オークション』に逆戻りするのもフリージアは嫌だった。でも、だからと言ってどうすればいいのだろう?
だけど思ってもみなかったことに、ウェルナークは静かに断言した。
「それについては、少し考えがある」
「えっ……?」
「君自身の持つ大きな可能性に、君も気付いていない――俺には確信がある。とりあえずお風呂に入って、落ち着くといい」
「そだよー。まずはゆっくり温まってね」
フリージアが目を丸くしていると、ウェルナークとラーベは脱衣所から出ていった。
フリージアはずっと馬鹿、グズ、間抜けと言われてきた。多分、それは本当なのだろう。ウェルナークやラーベの知っていること、できることがフリージアにはできない。でも……ウェルナークはフリージアに可能性があると言った。
(本当に、そんな素晴らしいものが私にあるのでしょうか……?)
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