第4話 冷たい料理

「にゃーにゃーにゃー、ですか?」

「にゃにゃーにゃーだよ」

「にゃにゃーにゃー……合っていますか?」

「うんうん、これは猫語で『本日はご機嫌麗しゅう』だから。とりあえずこれを言っておけば失礼にならないよ」


 フリージアは布団の上でごろごろしているラーベと猫語について話していた。ラーベは猫語にとても詳しい。やはり猫ではないかと思う。


 にしてもラーベとのお喋りは楽しい。失礼のない猫仕草、猫の好きなもの嫌いなもの、基本的な猫語……そんなことだけど、こんなにも楽しいのは久しぶりだ。


 窓を見ると、すでに太陽が落ちかけてる。ウェルナークは夕方には帰ると言っていたが、そろそろだろうか。


「ウェルナークの帰りが気になる?」

「え、ええ……私、こんなによくしてもらって申し訳ありません」

「ふにゃ、気にしないでー」


(しかし気になります……)


 何かお返しはできないだろうか。売られそうなところを助けてもらい、こんなにも良くしてもらったのだ。胸が痛むほど苦しい。何かしなければ、という気持ちになる。そこでフリージアははっとした。


「そういえば、夜の食事はどうされるのです?」

「僕が作るよ」

「じゃ、じゃあ! 私もお手伝いします!」

「料理したことあるの?」

「ありません。でも、言われれば手は動かせます」


 フリージアの住んでいた離れには台所がなく、料理する機会はなかった。フリージアの食事は、離れの入口に冷めた料理が置かれることである。でもラーベのお手伝いならきっとできる……はずだった。


「なるほどねー。どうしたもんかな」

「普段、ウェルナーク様はどのような食事を好まれるのですか? 私、努力します」

「ウェルナークの好きな料理ねぇ。んー」


 ラーベがフリージアを見つめる。


「他の人に言っちゃダメだよ」

「は、はい……っ」

「ウェルナークは甘いものが大好きなんだ。お菓子ならなんでも。果物も大好き」

「は、はぁ……」

「ほら、さっきリンゴとハチミツのジュースを持ってきたでしょ? あれも自分で考えて作った飲み物だから」


 なるほどとフリージアは得心した。ウェルナークは自分で料理をされるのか。思えばラーベとふたり暮らしならそれくらいできなければ……なのだろう。


「……あんまり驚かないね」

「ウェルナーク様は何でもてきぱきとこなすような気がしますので……ごめんなさい、勝手なイメージですけれど」

「普通はあのウェルナークが! って思うところなんだよね」

「うーん、難しいですね……」


 どういう反応が正解だったのだろうか。しかし悩む間もなく、ラーベはふよふよと宙に浮き始めた。


「ま、ウェルナークは自分が甘い物好きなことをあまり知られたくない――ってことだけ覚えてもらえばいいや」

「わかりました……私は知ってよかったのですか?」

「一緒に暮らすんだから、知ってないとお互いにストレスだよ。僕が言うんだから間違いない!」


 ラーベはふにっと丸い腕を振り上げる。妙な説得力がある。というわけで、フリージアはラーベに連れられて台所へと向かった。


 ここまでびくびくとしない時間は、離れに住んでいた頃はほとんどなかった。せめて食事くらいはお手伝いしないと、大変申し訳ない。


 ウェルナークの屋敷はきちんと掃除され、窓も綺麗だ。建物自体もフリージアの住んでいた屋敷よりずっと広い。


 廊下も壁も黒茶で統一され、余計な物はない。すっきりまとまっている。


「なんだか落ち着きますね」

「ウェルナークは質素だからね。ごてごてと目が痛くなるような物は置かないんだ」

「何もかも綺麗ですよね。これもラーベが掃除を?」

「屋敷の掃除はたまーに人を雇って、集中的にやってもらってるよ。さて、ここだ」


 キッチンを見るのもどれくらい振りだろうか。流しに様々な棚、タンスがある。だがフリージアの知っているキッチンとはずいぶん様子が違う。使いこなせる気がしなかった。


「ここのキッチンは魔道具を入れて最新のものにしてあるからね。火も冷蔵も思いのままさ」

「うっ……扱い方も教えてくださいっ」

「君って素直だね。大丈夫、作るのはパフェっていう料理だから」

「パフェ……ごめんなさい、それはどういう料理なのですか?」

「色々な果物と冷たいお菓子を組み合わせた、完全料理だよ」


 ラーベがずいっと顔を近づける。可愛いひげがフリージアの顔に当たりそうである。


「ごくっ……」

「ウェルナークも日々、新しい組み合わせを試している料理さ。とはいえ、今日は作り置きの物から組み合わせるから難しくはないよ」

「は、はい! 頑張ります!」

「よし! じゃあ、まずその冷たいタンスから黄色い果物を取り出して――」


 そうしてフリージアはパフェ作りに取り組んだ。もちろんすんなりとは行かず、悪戦苦闘の連続である。果物が気持ちよく配置できないのだ。しかしとりあえず、なんとかガラスの容器に色々と入れていき――。


「…………」

「うにゃ、これで完成だね!」


 細長いガラスの容器に色々な果物と冷たいお菓子(アイスというらしい)がぐちゃぐちゃと入ったパフェが完成した。正直、あまり美味しそうには見えない。


(これが本当にウェルナーク様の求めるパフェなのでしょうか……??)


 喜んでもらおうと思ったのに、無理そうだ。いや、それどころかこれは――。


「ウェルナーク様も怒りますよね……」

「このパフェで? んにゃ、大丈夫だって」


 すでに窓の外は暗くなり始めている。作り直したい気持ちになってきたが、その時間はなさそうだった。


 ラーベがくむくむとひげを揺らす。


「あっ、ウェルナークが帰ってきたみたい」

「うっ……このパフェは……」

「とりあえず、そこのひんやりしたタンスに入れておけばいいよ」


 アルティラにあのパフェを出したら確実に床へ叩きつけられるだろう。怒らないというラーベを信用するしかなかった。


 にしてもこのパフェで大丈夫とは……。思ったけどウェルナークもラーベもかなり優しいとしか言えない。パフェをひんやりとしたタンスにしまい、フリージアはふよよーと空を飛ぶラーベについていった。

 さすがに出迎えは大切だとフリージアも知っていた。出迎えなければ、烈火のごとくアルティラが怒り出すから。


 ふたりは廊下を歩き、玄関に辿り着いた。この玄関も黒茶でまとめられ、落ち着いた雰囲気だ。すでにウェルナークは扉を開け、帰ってきていた。


「あっ……おかえりなさい、ウェルナーク様」

「ただいま、フリージア」


 ウェルナークは大きめのバッグと紙の袋を持っていた。

 なんだろう? 紙の袋から少しいい匂いがする。フリージアのお腹が鳴りそうになった。


「時間通りかな。食事にしよう」

「はい……では、私は部屋に戻ります」

「ん? どういうことかな?」

「えっと……ウェルナーク様とラーベは食事をされるのですよね。私は邪魔ではないですか。だから部屋に戻ります」


 すらすらとフリージアが答えると、ウェルナークがすっと目を細めた。あれ、まずいことを言ってしまったかもしれない。


「ごめんなさい……」

「いや、言葉が足りなかったのは私のほうだ。フリージアも一緒に食べよう」

「えっ……でも……」


 そんなことは今まで住んでいた離れではあり得なかった。フリージアにとって食事とは、ひとりで冷たい料理を食べることなのだから。


(どうしてウェルナーク様はここまで優しいのだろう?)


 だめだ。胸が苦しい。ひとりでいることに慣れ切ったはずなのに。

 ウェルナークの好意が痛いほど嬉しかった。目頭が熱くなる。


「遠慮しないでくれ。君は――大切な客人だ」

「あっ……」


 ウェルナークが優しく微笑む。それを見てしまった瞬間、フリージアの瞳から涙が出てしまった。止めないとウェルナークを困らせるとわかっているのに。

 でも止めようとすればするほど、涙が止まらない。腕で顔を隠しても、涙がこぼれてしまう。


「思いきり泣いていいよ」


 ラーベがフリージアの肩に乗り、ふわふわの顔を擦りつけてくれる。


「ああ、泣き止むまで待っているから」


 ウェルナークがそばにきて、フリージアの背中を大きな手で撫でる。それがこんなにも嬉しいだなんて。

 フリージアはそのまま、しばらく玄関で泣き続けるしかなかった。

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