第3話 騎士ウェルナーク
騎士であるウェルナークは、ラニエス帝国の公安庁審問局に戻ってきていた。魔法の乱用を取り締まる審問局は今日も忙しいとしか言いようがない。事件を捜査して片付けても、すぐに次の事件が舞い込んでくる。黒塗りの古風な部屋で、ウェルナークは上司で審問局長のエルド・ブレア公爵に今回の経緯を説明していた。
とはいえ、先にウェルナークの部下によって大筋はすでに報告されている。問題となるのは――人身売買のオークションに出品されていた少女のことであった。
フリージアの見た目は15歳ほど、痩せていて青い髪、身体の数か所にあざがある。落ち着いた話し方をして、ごめんなさいが口癖――そして異様な点を抱えている。
エルドは茶色の髪先を転がす。判断に迷うときにいつもしている癖だった。フリージアのことを話していると、ウェルナークは胸がずきりと痛んだ。
「なるほど、リンゴもハチミツも知らない少女とはな……」
「身体にはいくつもあざがあり、虐待が疑われます。言葉遣いは丁寧ですが、知識も非常に偏った状態です。普通の生活を送っていたとは思えません」
ウェルナークは懐から銀細工のペンダントを取り出した。先ほど、フリージアを助けた魔道具である。エルドが軽く身を乗り出す。
「オリーブの紋章――聖女を模したペンダントか、かなりの魔力だ。相当な値打ち物だな」
「いいえ、魔力が空になって役立たずの代物でした」
「なんだと? どう見ても一級の魔道具じゃないか。ドラゴンに踏まれても大丈夫そうなほど守護の魔力があるぞ」
エルドが訝しむ。それは当然だった。ウェルナークも知らなければ同じように答えただろう。
「フリージアが突然、魔力過多症を示しました。やむを得ず、俺の屋敷に急行してこのペンダントに魔力を流し込んだのです。その1回で、これだけの魔力が充填されました」
「本当か? ちょっと貸してくれ」
エルドにペンダントを渡す。聖女ラニエスを象徴したオリーブの刻印と銀細工のペンダントは、帝国では非常にありふれたペンダントだ。帝国で暮らしている人間なら、平民であってもお守り代わりに持ち歩く。
平民であってもこのペンダントにピンと来ないことなど、考えられない。
「ううむ……確かに魔力が……しかし、魔力過多症でそんなことができたのか? 聞いたことがない」
「……フリージアは普通の少女ではありません」
「君の真紅の瞳で見ても、か」
「オークションの黒幕も含め、謎が多すぎます」
ウェルナークの瞳には魔力が宿っている。真偽を見抜き、魔力の流れを捉える。騎士であるウェルナークの戦闘力よりも、その瞳のほうが重要と言えた。しかしウェルナークの持ちうる知識、魔力の全てにおいて彼女は尋常ではない。
「ふう……しかしそうなると少々厄介だぞ。オークションの黒幕に迫れん」
「やはり逮捕者や押収した物品からは無理そうですか」
「あいつらは使い捨ての駒だ。書類も暗号化され、品物も偽装されている――今のところ、あのアルティラ嬢とフリージア嬢が鍵になるな」
エルドが椅子に深く座り込み、窓の外の曇り空を見る。
「アルティラ嬢の拘束についても長期間は無理だ。伯爵家からすでに抗議も来ている」
「面の皮の厚い連中ですね……」
ウェルナークは毒づいた。フリージアとどういう関係であるのか、アルティラからも情報を得なければならないだろう。役に立つことを喋ってくれればいいが。だが、あの調子ではどこまで期待できるかわからない。
「まぁ、お前にはその瞳がある。あのアルティラ嬢もお前には口が滑らかになるのではないか?」
「……気は進みません」
ウェルナークの紅い瞳は女性に対して強烈なフェロモンのように作用する。瞳を意識して使った場合は、恐ろしいことになる。さきほどのアルティラのように――気分が激しく動く女性は特に魅了される。
厄介なのは、この紅の瞳の力が抑えきれないことだ。ウェルナークは女性に興味がない。それでも瞳の力を完全に抑えることはできず、無意識に女性を引き寄せてしまう。そのせいで家族でも社交界でも良い思い出が全くない。
今ではすっかり夜会にも顔を出さなくなったし、屋敷に人を招くこともなくなった。人間不信の騎士、それが今のウェルナークである。
「俺にとっては羨ましい限りだがな」
「この魅了の力だけは他人に譲りたいくらいですよ」
「ふっ……その魅了はフリージア嬢には効いたのか?」
「いえ、効きませんでした」
「なるほど、その点でもやはり特別だな」
フリージアも紅い瞳を見たが、影響はなさそうだった。普通ならウェルナークに対してある程度の恋愛感情や執着心を見せるのに。
経験上、思春期前の子どもや魔力が強いと効果が減るのは確かではある。アルティラは極端すぎるにしても、フリージアほど影響がないのは初めてだった。
これは彼女が『普通でない環境』で育ってきたせいかもしれない。あるいは体内の魔力が作用しているのか。
「いずれにしろアルティラ嬢とフリージア嬢からきちんと情報を引き出すように」
「承知しました。フリージアについては……」
「審問局で引き取っても構わん。お前の屋敷に置いておく必要はない」
「…………」
それはその通り、審問局であれば安全だ。
だが、理屈ではそうでもウェルナークの心の中がざわめいた。あの少女をこの審問局に送って、本当にいいものだろうか。とても普通の取り調べができるとは思えない。
それにこの件が終わったら、フリージアはどうなるのだろうか?
帰る家、フリージアの状態、これからの未来――明るい結末が待っているとはとても言い難い。
「どうした? 何も問題はないだろう」
「ええ、確かに……」
「いつも即断即決のお前が珍しいな。何がひっかかっている?」
ここに来るまで少し考えていたこと。
普段の自分ではあり得ない選択だとわかっていたが、ウェルナークはエルドに答えた。
「俺が預かるのではダメでしょうか?」
「……なんだと?」
「俺の屋敷には精霊がいて、手出しはできません」
屋敷にいるのはウェルナークとラーベだけ。精霊は純粋な魔力の生き物で、結び付いた土地や物の近くでは強大な力を発揮できる。屋敷にフリージアを置いたのも、まさしく安全だからだ。
ラーベならフリージアともうまく付き合えるだろう。
かつて、最悪の少年時代を送っていたウェルナークを救ってくれたのがラーベだから。ウェルナークにとってラーベは友であり、家族だ。
「フリージアの今の状態では、すぐに情報を得るのは難しいでしょう」
「人から距離を取っているお前が、そんなことを言うとはな」
「……職務上ではこれがベストなはずです」
「ふむ……まぁ、特殊な案件ではある。わかった、お前に任せよう。アルティラ嬢を拘束できるのは1週間くらいだ。その間に必要な情報を得ること――黒幕へ迫るためのな」
「ありがとうございます」
エルドはたまにいらないことを言うが、仕事には忠実だ。
「そして聖女ラニエス――建国の聖女の末裔か」
「あながち、でたらめではないかもしれません」
1000年前、聖女ラニエスは突如現れて戦乱をまとめ、魔獣を打ち倒して強大な王国を打ち立てた。今のラニエス帝国皇帝は聖女の末裔ではないものの、その王国の後継を名乗っている。理念的、精神的には後継ということだ。
聖女ラニエスは4人の子どもを産んだ。そのうち1人が王国を継ぎ、残りの3人は母のように人々を救うため旅立ったとされる。そのため、今でも聖女ラニエスの末裔については伝説や嘘が多い。
「聖女関連は騒ぐ貴族がいるかもしれん。深入りしなくていい。まずはこの闇のオークション――帝国を蝕む毒を片付けねば」
「必ずや」
少なくとも違法な人身売買を計画していたのは確かだ。こうした悪の経済圏は帝国の秩序を揺るがし、他にも良からぬことの資金源になる。
フリージアは間違いなく、その犠牲者だ。
悪の根をひとつずつ地道に断ち切り、正義と秩序を守る――それがウェルナークの騎士としての役割であり、使命であった。
「そういえば、今夜はどうするんだ? 祝宴会があるぞ」
「……俺はやめておきます」
事件は終わっていないが、あれだけの逮捕劇だった。組織として人員を労う必要がある。そのための祝宴会だろう。しかしウェルナークはすっと立ち上がった。エルドはやれやれ、というように肩をすくめる。
「なら祝宴会の料理を少し持って帰れ。お前がそういうかもと思って、用意はしてある」
「いいですね、そのほうがずっといい」
この辺り、エルドは組織人として気が利く。遠慮なくそうしてもらおう。
時計を見るとすでに夕方近い。帰るにはちょうどいい時間だ。
フリージアとの約束は問題なく守れるだろう。
フリージアのことを考えると、胸が苦しくなる。その理由はわかっていた。
――ごめんなさい。
それはこの紅い魔眼が目覚めるまで、家族から疎まれていたウェルナークの口癖でもあったからだ。
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