第23話

 出て行く祐希たちに視線すら向けず、中道はコップの中身を煽るようにして飲み干した。


 少し乱暴にコップをテーブルに置いたが、金属製なので壊れる心配は無用だ。


(一体、何がどうなってやがる……)


 先ほどの一幕――中道は、仲直りの握手と称して手を握り、多少力を込めて祐希に「痛い」と言わせ(あるいはそういう仕草でも構わなかった)、彼に恥をかかせるつもりだった。


 女の前で情けない姿を晒すことが、男にとって一番の屈辱になるからだ。


 だが、そんな中道の悪意に満ちた企みは失敗に終わった。


 本来なら、ありえないことだった。


 中道は最も希少とされる四つのジョブのうちの一つ、”剣聖”を所持している。


 それだけでなく、既にハンターとして活動していて、Bランクパーティーに所属している。


 当然ステータスもそれに見合った数値であり、その筋力は常人を遥かに上回っていた。


 その気になれば手を握り潰すことすらできる。ジョブを持っていない祐希に、負けることなどありえないはずなのだ。


(そうだ。ありえねえ。俺があんなゴミに負けることなんて、ありえねえんだ……)


 ――あくまでも常識的に考えれば。


 だが、あのとき中道は手を抜いてなどいなかった。


 最初こそあからさまな怪我をさせないよう手加減していていたが、最後の方は完全に本気だった。


 にもかかわらず、祐希の手は潰れるどころか痛がる素振りすら見せなかった。


 逆に痛かったのは中道の方だ。信じられない力で手を握り潰されそうになって、反射的に手を引っ込めてしまった。


 あれは決して、自分の勘違いなどではなかった。紛れもない現実だった。


 中道は目の前にある金属製のコップに手を伸ばした。そしてそれを強く握りしめる。


(やっぱり、俺が弱くなったわけじゃねえ)


 何かの間違いで自分が弱くなってしまったのではないか。


 そんな考えが頭をよぎったが、やはりそんなことはありえなかった。


 中道の手の中にあるコップは、金属製であるにもかかわらずひしゃげている。


 ということは、やはり――。


(あいつは、ジョブなしじゃないのか……?)


 中学一年生の頃、祐希はジョブなしだと判定されたはずだった。


 それは間違いない。


 ジョブを持っているという鑑定結果が出たなら、隠すことはできないからだ。


 ジョブの鑑定は国や有力ギルドが協力して行っており、ジョブを持つ者の情報は国家や有力ギルドの間で共有される。


 その理由は、素質を持つ少年少女をハンターにするためだ。


 ほとんどのジョブ持ちは自らギルドの門を叩くが、稀にそうでない者がいる。

 

 ハンターは危険な職業だ。いくら収入が高かろうと、自分の命を危険に晒したくないと考える者がいてもおかしくはない。


 ただ、国としてはそれでは困るのだ。


 優秀なハンターの数は国力に直結する。


 ゆえに、素質があるとわかる者に関してはできるだけ多くをハンターにしたかった。


 そういった理由から、有力ギルドには素質のある少年少女のデータが提供されている。ギルドに勧誘させるために。


 そして、ギルドからの勧誘はかなりしつこい(まあ最終的には本人の意思が優先されるので、絶対に嫌だと言えば無理矢理ハンターにされることはない)。


 中道の学校でも、ジョブに目覚めながらハンターになろうとしない生徒がいた。


 その生徒は何度も何度も呼び出されて、説得を受けていた。そして最終的にギルドに入りハンターになることを選んだ。


 だからもし祐希が中一の時点でジョブに目覚めていたなら、絶対に気づいていたはずだ。


(だとすると、二次覚醒か……?)


 あの力は決して常人に出せるものではなかった。


 今の祐希は間違いなくジョブ持ちだ(ジョブがなくてもステータスは伸ばせるが、ジョブなしがBランク以上のハンターまで上り詰めた例は過去にない)。


 そして、13歳のときの鑑定でジョブなしと判断されたのなら、残る可能性はもう二次覚醒しかなかった。


(この国で――いや、情報が表に出ててる限りじゃ二次覚醒したハンターは、世界でたった二人だけ。そして、そいつらはどっちもSランク……ってことは、あいつも――)


 そんな考えが頭に浮かぶが、慌てて打ち消す。


(いや、そうと決めつけるのはまだ早い。なんせ、二次覚醒したのはまだ二人だけだからな。サンプルが少なすぎる)


 それに、仮に祐希がSランクになったとしても問題はない。


 自分もSランクになればいいのだし、その上で相手よりもさらに強くなればいいだけだからだ。


 そして、中道にはその自信があった。


 特に根拠があるわけではないが、希少なジョブに目覚め、ハンターとしては順風満帆に駆け上がってちやほやされてきた経験が、努力すれば叶わない望みはないと、無意識のうちに中道にそう思い込ませていた。


(卒業したら、そっからはハンター稼業に専念できる。そうなりゃ、あんなカスすぐに抜いてやる)


 日ノ本では、中学生までは義務教育だ。


 そのためギルドに所属していても、平日は学校に通って授業を受けなければならず、ダンジョンに入る時間は大きく制限されてしまう。


 だが、中学校を卒業すればその枷から解放されるため、いつでも好きな時間にダンジョンに潜れるようになるのだ。


 もっともそれは祐希も同じなのだが、そのことは中道の頭から完全に抜け落ちていた。


(……ん?)


 そんなふうに考えていたところで、中道は自分の取り巻きたちがずっと立ち尽くしているということに気づいた。


「何してるんだ、お前ら。さっさと席に座れよ」


「あ、ああ……」


 躊躇いがちに、取り巻きたちが席に座っていく。


 ただし全員、中道の近くは避けていた。


 気遣いか、あるいは自分を恐れてのことか。どちらにせよ、その行動は中道の癪に障った。


 考えごとをしてたせいで忘れかけていたが、自分が取り巻きたちの前で醜態を晒したことを、改めて強く認識させられたからだ。


(くそが……!!)


 今すぐにでも暴れ出したい衝動を、中道は必死に抑え込む。


(あの野郎……!! この俺に、恥をかかせやがって……!!)


 こんな屈辱を受けたのは、久しぶりだった。


 小学生のとき以来だ。


 中道と祐希の因縁は(もっともそう思っているのは中道だけだ)、小学生の頃に始まった。


 初めて会ったのは、所属している野球チームどうしの練習試合。


 学校が違ったので会ったことはなかったが、近くに凄いピッチャーがいると聞いて、中道は対戦を楽しみにしていた。


 結果は、三打数無安打三三振。しかもそのすべてが三球三振であり、一度もボールにバットが当たらなかった。


 怪物打者として恐れられていた中道としては、これ以上ない屈辱。


 だがそれ以上に中道が気に入らなかったのは、祐希の女子生徒からの人気である。


 初めて対戦したときからずっと、祐希には試合のたびに女の子たちが応援に来ていた。


 そして祐希が活躍するたびに、きゃあきゃあと黄色い声援を送っていた。


 不公平だと思った。


 これまで中道はどんなに活躍しても、女子からあんなに熱心に応援されたことはなかった。それどころか、女子が応援に来てくれた記憶さえない。


 なのになぜあいつだけ。


 一体、何が違うというのか。


 ……いや、本当はわかっていた。


 顔だ。中道はゴリラ顔で、お世辞にもカッコいいとは言えない。


 それに対して祐希は、こんなに顔に生まれたかったと思えるほどに整った顔立ちをしていた。


 悔しかった。


 勉強もスポーツも誰にも負けないぐらいできるのに、顔がよくないというだけで女子にモテないことが(実は中道が女子生徒から人気がなかったのは、外見だけでなくその自己中心的な性格も影響していたが、本人はそれに気づいていなかった)。


 だったらせめて、野球だけは勝ってやろう。そう思った中道は、必死に努力した。


 しかし何度対戦しても、祐希から一本のヒットすら打つことはできなかった。


 中学に入ると、中道は野球をやめた。


 どうせ野球で食べていくことはできないのだし(そもそもプロがない)、競技に対する情熱もなくなっていたからである。


 中道は勉強を頑張って、将来はいい仕事に就きたいと考えていた。


 だがここでも中道の前に祐希が立ちはだかった。


 中学に上がって初めての中間テスト。


 同じ中学に進学していた祐希に、中道は負けたのである。


 おまけに、祐希は学年一可愛いと評判の女子生徒と付き合っていた。その女子生徒は中道が入学式で一目惚れし、自分には高嶺の花だと諦めた相手だった。


 許せないと思った。


 中道は一人っ子だったため、両親からは甘やかされて育った。


 また昔から体が大きく勉強でもスポーツでも常に一番だったため、学校では王様のように振舞っていた。


 だから余計に、祐希の存在が許せなかった。


 どうしてお前は俺をそこまで虚仮こけにするのか。祐希のことが憎くて憎くて仕方がなかった。


 殺してやろうかと考えたことも、一度や二度ではなかった。


 だが自分の将来を考えてそれは思い留まった。その代わり、いつかどんな形でもいいから祐希に復讐をしよう。それだけを考えて毎日を過ごした。


 祐希に対する復讐の機会は、想像していたよりも遥かに早く巡ってきた。


 13歳になって鑑定を受けたら、自分が”剣聖”のジョブを持っていることがわかったのである。


 ”剣聖” ”魔聖” ”大神官” ”守護者”。


 この四つのジョブを持つ者がハンターになると、皆最低でもA+ランクまでは到達すると言われている。それはデータとしてはっきり出ており、例外はない。


 つまり、自分はハンターとして将来を約束された存在だということだ。


 A+やSランクハンターになれば、年収が億や何十億、それ以上だって夢ではない。


 それに対して祐希はジョブなし。どちらが人生において勝者であるか、もはや誰の目にも明らかだった。


 そしてさらに都合がいいことに、祐希の恋人だった女子生徒――朝山七瀬が祐希と別れ、中道に言い寄ってきた。


 朝山によると、別れたのは祐希に襲われそうになったからとのこと。


 彼女が自分に近づいてきた理由は明らかだったので、正直半信半疑だったのだが、中道には真実などどうでもよかった。


 とにかく朝山を我が物とし、祐希を陥れる材料が手に入るならそれでよかったのである。


 朝山は自分がより価値の高い男に乗り変える――いわゆるずるい女だと思われるのを嫌い、積極的に祐希と別れた理由を広めていった。


 中道としても祐希の悪評が広まるのは大歓迎だったので、それに協力した。


 中道はジョブに目覚めてすぐ、ギルドに入った。


 入ったのは四大ギルドの一つ――ケルベロスであり、中道は希少なジョブを持つ有望株だっため、非常に待遇はよかった。いまだ学生の見習いであるにもかかわらず、一般のサラリーマンよりも高い給料が支払われていた。


 中道はその金を使って、自分たちの味方を増やしていった。


 朝山や自分に味方する生徒には食事をご馳走したり、プレゼントを買い与えたりした。


 逆に祐希と仲のいい生徒には、悪口を言ってからかったり、高圧的な態度で接したりした。


 また、まだじゃれ合いと言い訳のできる範囲で暴力を振るったりもした。


 さらに中道は祐希や彼に近しい人間に嫌がらせをする取り巻きを、より優遇した。


 直接自分の口から命令することはなかったが、嫌がらせを行った取り巻きを高級店に連れて行ったり、高価な贈り物をしたりした。


 そうすることで取り巻きたちはより一層に嫌がらせに積極的になり、自分がターゲットになることを恐れた他の生徒は祐希から距離をとった。こうして祐希は生徒たちの間で孤立した。


 一方、学校側も中道たちの味方をした。


 祐希と朝山が揉めた際には朝山の言い分を通したし、その後中道の取り巻きが祐希に嫌がらせをしていることに気づいていながら、暴力などあからさまに限度を超えるもの以外すべてを放置した。


 これに関して中道は特に何もしていないが、学校側が勝手に忖度したのだろうと彼は考えている。


 上級ハンターを輩出すれば学校の名誉にもなるし、将来的には寄付金なども期待できる。


 それに、中道のバックには四大ギルドケルベロスが控えていて、ケルベロスは政府の高官や政治家とも強い繋がりがある。


 揉めたくないと思うのは当然のことだ。まあ事なかれ主義だとか、他にもいろいろ理由はあるだろうが。

 

 とにかく、祐希と中道の立場は完全に逆転した。


 文武両道で常に女にチヤホヤされていた祐希は、虐げられる弱者へと変貌。


 一方中道は成功が約束され、我が世の春を謳歌していた。


 まさに完全勝利だ。


 そう。完全勝利だと思っていた。


 つい、先ほどまでは。


 まさか気づかない間に祐希が二次覚醒し、しかもあんな極上の女まで手に入れていたとは。


(許さねえ……この屈辱は何倍――いや、何十倍にもして返してやる……!)


 運ばれてきたラーメンを啜りながら、中道は祐希への復讐を誓ったのだった。

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