第7話 衝動

 アデラは、アンに連れられて部屋を出た。

 食事の席が用意されているという。

  

(どうしよう。こんなお屋敷で食事を出されても、緊張して喉を通りそうにないよ)

 アデラはそんな心配をしながら、アンの後を歩く。

  

 お腹はすいている。そういえばジャガイモはちゃんと届けられただろうか。孤児院の子供たちの顔が浮かんだ。

  

 階段を降りると、ホールの長椅子に、誰かが座っている。

  

 ラウルだ。

 獣人の姿に戻っている。ゆったりとした前開きの着物のような室内着を着ていた。

  

「アデラさまをお連れしました」

 アンはそこで役目を終えて引き下がった。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎

  

 アデラはラウルをじっと見つめる。

 いまのラウルの姿は、大人で、魔物だ。

  

 銀色の髪、褐色の肌、薄青色の瞳。そして獣の耳——。昨日までの見慣れた少年の姿とは大きく異なるが、顔つきには少年の面影がある。

  

 監視者ウォーデンと遭遇したときにも感じたが、アデラは獣人姿のラウルを、美しいと思った。

(こんな美しい生き物、見たことがない)

 アデラはラウルから目が離せない。

  

 ラウルも放心したようにアデラを見つめていたが、やがて口を開いた。

  

「アデラ、見違えた。すごく、きれいだ」

「これ、すごくきれいなレースのドレスだよね」

「あぁ、うん。ドレスというか、きれいなのはアデラだ」

「そ、そうかな。ありがとう、ございます」

  

「アデラじゃないみたいだ。あ、いつもの小汚い格好が悪いってわけじゃないけど。いや、小汚いは言い過ぎだな」

「ふふ。わたしもそう思う。小汚い格好の方が落ち着くから。いまのドレスは、なんかちょっと変な感じ」

  

 ラウルが長椅子に座るよう勧める。

 アデラはラウルと横並びに腰かけた。

  

「アデラ、吸血鬼は魅了チャームの能力を持っているんだろう? 相手の心を操る催眠術のような力だと聞く。ダンピールも魅了が使えるのか?」

「え、どうかな。わたしは使ったことがない。ダンピールが魅了を使えるのかどうかも知らない」

「アデラには、魅了をかけられている気がする。最初に会ったときから、そう思っていた。おれの心が操られているみたいだ」

「ふうん。変なの」

  

 アデラは赤くなって横を向く。

 ラウルもその後に続く言葉を忘れたように、押し黙ってしまった。

  

 ふいにアデラが言う。

「ラウル、耳」

「耳?」

「不思議だよね。顔は人間なのに。その耳だけ狼みたい」

「おれたち人狼は、広大な荒地ヒースや森林で暮らしてきた。味方の声を聞き分けるためにも、耳は大切なんだ」

  

 アデラは思いつきを口にした。

「触ってみたい」

「え?」

「あ、急に変なこと言って、ごめん。ラウルの耳に、触ってみたい」

「それは嫌だ」

  

「ええ、どうして?」

「さっきも言っただろ。耳は人狼にとって大切なんだ。他人に触らせたりはしない。おれたちは犬や猫とは違う」

「ちょっとだけ。いいでしょ」

「うーん」

  

「ね、お願い」

「う。……アデラはやっぱり、魅了が使えるんじゃないか」

「どうして?」

「いや何でもない。じゃあ、ちょっとだけ。ほら」

  

 ラウルが顔を横に向けて、目をとじた。

 触っていいということらしい。

  

 アデラはおそるおそる手を伸ばすと、ラウルの耳にそっと触る。


(ビロードみたいに滑らかな毛。手触りが気持ちいい。それに温かい)

  

「アデラ、もういいだろ」

「待って、もう少し」

  

 アデラに、いたずら心が持ち上がる。

 指をラウルの耳の横にすべらすと、銀色の髪をなでた。髪の毛は指通りがよく、サラサラとしている。

  

 ラウルがびくりと震え、目を閉じたまま困ったような表情をした。アデラはいい気になってラウルの髪をなでる。

  

 ふと、アデラはラウルのあごの下に視線を落とす。


 ラウルの着物は襟ぐりが大きく開いていて、首筋から鎖骨のあたりまでがあらわになっていた。

  

 そのとき——。

 ラウルの首筋を見た瞬間。

 アデラは、ぞくりとした。


 アデラの胸の奥に、ある衝動がわいた。アデラはラウルをなでていた指を引っ込め、両手で自分の顔をおおう。


 ラウルがアデラの異変に気付く。

「アデラ、どうかしたのか?」

  

 アデラは顔をおさえたまま、うつむく。

「な、なんでもない。急に恥ずかしくなっただけ」

「そうか。まぁ、おれも恥ずかしかった」

  

 アデラはうつむいたまま、動かない。

(いまの自分の顔を、ラウルに見られたくない)

 アデラは大きく深呼吸して、気持ちを鎮めようとした。

  

「アデラ、気分が悪そうだな。大丈夫か?」

「ご、ごめんね。少し休んだら楽になると思う。ひとりに、させてもらえるかな」

「わかった。調子がよくなったら、食堂ダイニングルームに来てくれ」

  

 ラウルは立ち上がり、アデラを長椅子に残したまま、その場を離れた。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎

  

 アデラはひとりになった後も、胸の奥にうずく思いを持て余していた。

(わたし、どうしちゃったんだろう)

  

 アデラはラウルの髪をなでながら、ラウルへの特別な感情を意識した。ラウルのことをいとおしく思った。


 そのとき、衝動がわきあがったのだ。


 ラウルの血を吸いたい——と。

  

 それは、アデラにとって、これまで感じたことがない、初めての衝動だった。

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