第6話 湯浴み

 アデラはラウルに連れられて屋敷に足を踏み入れる。玄関を入るとそこは大広間サルーンで、使用人らが数十人集まってラウルを出迎えた。


(こんなに沢山。みんな人狼ワーウルフなのかな)

 アデラが見たところ、大半が人狼だが、人間も混じっているようだ。


「ラウルさま、お帰りなさいませ」

 初老の男性が進み出て挨拶をした。雰囲気からすると執事だろうか。肩書きは分からないが、彼が人間であることは分かった。


「お帰りなさいませ」

「若さま、ご無事で何よりです」

 使用人らが口々に笑顔でラウルに言う。ラウルが人狼を束ねる存在であり、慕われていることが見てとれた。


「すまない。心配かけたな」

 ラウルがみんなに声をかける。


「まったく。お兄さまには、ふらふら出歩いたりせず、自重してほしいものです」

 メリッサがそう皮肉を口にすると、そばにいた侍女が言った。

「ラウルさまがご不在の間、メリッサさまの心配そうなご様子ったら。本当に気の毒でした」

「ちょっと、わたしはそんなに心配してないわよ!」


 メリッサが声を上げたところで、ラウルが後ろに控えていたアデラを呼んだ。

「アデラ、こちらに来てくれ」


 アデラがおずおずとラウルのそばに行く。


 アデラは先ほどから、屋敷のみんなが興味深く、あるいは用心深く、自分に注目しているのを感じていた。鼻のきく人狼のことだからアデラの正体は既にばれているだろう。


「おれが深手を負って動けなくなっていたところを、このアデラ・アーデリアンに助けてもらった。アデラ、ありがとう。改めて礼を言わせてくれ」


「そ、そんな、たいしたことではっ」

 アデラは首をぶるぶる振った。みんなに注目されていることが恥ずかしく、鳥打帽キャスケットを目深にかぶり直す。


 その様子にラウルが苦笑いした。

「まぁ、詳しい話は後回しにしようか。アンはいるか?」


 ラウルの呼びかけに、壁際に控えていたメイドのひとりが進み出た。黒いワンピースにキャップとエプロンをつけた少女だ。

「はい、ラウルさま。アンはこちらにいますよ」

「アン。いまからアデラに湯浴みをさせて、服を見つくろってくれ」

「承知しました。お任せください」


 アンがアデラに近づく。

「アデラさま、ではこちらに」

 アデラが反応できずに立ちつくしていると、アンはアデラの手をとり、屋敷の奥へ導いた。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 廊下を何度か曲がり、階段を昇った。屋敷は広大で、部屋がいくつあるのか想像もできない。やがてアデラは、とある部屋に通された。


「こちらは客室です。どうぞ気楽にしてください」


 素晴らしい部屋だ。壁には森を描いた油彩画が掲げられ、奥には天蓋のついたベッドがある。掃き出し窓の向こうはバルコニーに面していた。


 寝室の続きの間には浴室があった。別のメイドも手伝いに来て、アンと共に湯浴みの準備をする。そのはつらつとした仕事ぶりにアデラは目を奪われた。


「アデラさま、ちょいと失礼」

 アンが近づいてきて、アデラの鳥打帽をとる。

 アデラはアンを間近で観察した。魔物ではないようだ。


 アデラの視線に気づいたアンがニッコリ微笑んで言う。

「アデラさま、わたしは人間ですよ。ラウルさまの領地から奉公に来ています」

「じゃあ、ラウルのことは——」

「もちろん、人狼だと知っていますよ」


 アンの年齢は十三、四歳くらいだろう。頬にそばかすが浮かび、表情に愛嬌がある。


 アデラは、ふと気になって聞いてみた。

「ねぇ、あなたは、魔物のこと、怖くないの?」

「いいえ、全然。わたしたちはラウルさまに良くしてもらっていますから」


 まもなく湯浴みの準備ができた。

 アンはアデラのシャツのボタンを外し始めた。

「えっ、いいよいいよ。自分でやるから」

「まぁまぁ、これもわたしの仕事なんで。おまかせください」


 そう言われるとアデラは言い返せない。それに浴室の使い方もわからないし、自分ひとりでは何もできそうにない。覚悟を決めて身を委ねる。


 アンは恥ずかしさで硬直しているアデラを浴槽に寝かせて、髪の毛から指先まで丁寧に洗った。

「アデラさま、ずいぶん汚れていたのですねぇ」

「ご、ごめんなさい!」

「いえ、感心していたのです。汚れをとると、お顔もお肌もおぐしも、すごく美しくて、びっくりしました」


 洗い終わると、アデラは良い香りがするオイルやローションを塗られ、髪を結われ、爪まで磨かれた。最後に服を着せられたのだが、アンは夜会に出るような華やかなドレスを持ってきた。


「こんな豪華なドレス、着られないよ。きっと似合わないし」

「どうぞご安心を。わたしはアデラさまの美しさを最大限に引き出してみせます!」

「あの、その、もっと普通の服でお願いします」


 アデラはかたくなに固辞し、結局、インフォーマルなティードレスにしてもらった。白地にレースをあしらったシンプルなデザインで、袖を通すとあつらえたようにぴったりだった。


「アデラさま、とってもお似合いですよ。うん、これはこれで魅力的ですね」

「ありがとう。なんかもう、自分ではよくわからないよ」

 アデラはぐったりとして、ソファに腰をおろした。

「ふふふ、もうしばらくお待ちください。このあと、ラウルさまのところへご案内しますね」


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 窓の外では、午後の陽が傾いている。


 客室は二階だった。バルコニーの向こうに、美しく整えられた前庭が見える。


 アデラは目まぐるしい一日を振り返る。買い物に出て、魔物に追いかけられ、ラウルとテムズ川を渡り、馬車に揺られ、屋敷に招かれた——。何だか現実の出来事とは思えない。


 窓の外をぼんやりと眺めていたアデラは、ふと、かすかな物音を聞きつけた。


 見るとバルコニーに猫がいて、ガラス窓をひっかいている。小さな黒猫だ。屋敷の飼い猫が締め出されたのだろうか。


 アデラは立ち上がって窓を開けてやる。黒猫はするりと室内に入り、そのままどこかに走り去った。

 











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