第二章 魔物の居場所
第5話 隠れ家
アデラは馬車に揺られていた。
二頭立て四人乗りの
これほど上等な馬車に乗ったのは初めてだ。アデラの労働者の服装だと浮いてしまうので、借り物のボンネットとショールで身を包み、幌を下ろした。
アデラの隣りには少女が、向かいには少年が座っている。
少年はラウルだ。シルクハットとコートを身につけていたが、どちらもブカブカだった。父親の服を持ち出して着たイタズラっ子にしか見えない。
ラウルはシルクハットのつばを指で押し上げると、アデラの隣に座った少女に声をかけた。
「メリッサ、いいかげんに機嫌を直してくれ」
メリッサと呼ばれた少女は、外出着の上からケープを羽織っている。景色を眺めながら、そっぽを向いて答えた。
「怒っているわけではありません」
その声の調子は低くて静かだ。
「どう見ても怒っているだろう」
「いいえ。まったく連絡を寄こさないお兄さまの無神経さに、ただ呆れているだけですわ」
メリッサはラウルの妹だ。
数時間前。テムズ川の河畔で、アデラの前に現れたときは、狼の姿をしていた。
いまは十代前半に見える可憐な外見だ。ボンネットからは、ふわふわの亜麻色の髪がのぞいている。
アデラは、メリッサが人間の姿になったとき、あまりの愛らしさにまるで
だが、メリッサに見とれて頬をゆるませたアデラに、当のメリッサは冷ややかに言い放った。
「それで、この妙な魔物は何?」
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もう一頭の狼の名は、ウォルトという。いまは屈強な若い男の姿になり、御者として馬車を操っている。
あのとき、
周辺で待機していたメリッサとウォルトは、遠吠えを聞いて駆けつけた。
そして、テムズ川を渡って逃げた後、ラウルたちはメリッサが用意していた馬車に乗り込んだ。
「ラウル。そういえば監視者は、あなたのことを
兄妹のはずまぬ会話を引き取って、アデラがたずねた。
「王なんて大層なもんじゃない。せいぜい族長だな」
ラウルが笑って答える。
すると、メリッサが言った。
「いいえ、王です。お兄さまには、その自覚が少々足りないようですけどね」
「手厳しいな。おれだって、この国の人狼をまとめている自覚はあるぞ」
「自覚とは行動が伴わなければ意味がありません。貧民街をさまよって行方知れずになる王がどこにいますか」
「あのさ、メリッサちゃん。それはラウルがケガをしていたからで――」
アデラが声をかけると、メリッサがキッとにらんだ。
「わたしの名をなれなれしく呼ばないでください!」
「ひっ、ごめんなさい!」
「お兄さま。こんな娘、テムズ川に捨ててきたらよかったのに。なんでわざわざ連れてきたのですか」
「だから言っただろう。アデラはおれの命の恩人なんだ。言葉に気をつけろ」
「吸血鬼なんて信用できません。そもそもいま
「それはそうかもしれないが、アデラには関係ない」
ラウルたちは、イーストエンドを離れ、馬車で人狼の隠れ家に向かっていた。
「あっ」
突然、アデラが声をあげる。
その声の大きさに、メリッサが驚いてびくりと身体を震わせる。
「ラウル、どうしよう」
「どうした。何かあったのか?」
「晩ご飯のジャガイモ、持ってきちゃった。それに、わたしが帰らなかったら、孤児院が大騒ぎになっちゃうよ」
「隠れ家についたら誰かに届けさせよう。アデラが帰らないこともうまく言いつくろっておくから、大丈夫だ」
「ホッ、よかったぁ」
「よくありません!」
声を荒げたのはメリッサだ。「お兄さま、わざわざ届ける必要などありません。この吸血鬼をいますぐジャガイモごと降ろしなさい」
「あわわ……」
「メリッサ、そうカリカリするな。アデラをイーストエンドに戻すのは危険だ。それにアデラは吸血鬼じゃない。ダンピールだ」
「吸血鬼だろうとダンピールだろうと同じことです!」
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そんなやり取りをしながらも、馬車は進む。やがてハイド・パークにほど近いケンジントンに着いた。貴族の屋敷が並ぶ閑静な一角だ。
そのうちの一軒の大きな屋敷に馬車が入る。
「さぁ、着いたぞ」
アデラは馬車を降りながら、キョロキョロと屋敷を見回した。
「嘘でしょ。こんな素晴らしいお屋敷が隠れ家なの?」
アデラはイーストエンドとの違いに愕然とする。
「ここは、おれが所有している屋敷だ。といっても、父から譲り受けたんだが」
「わたし、隠れ家って言うから、森のほら穴とかかと思っていた」
メリッサが嘆息をもらしながら言う。
「童話じゃあるまいし、狼だからって、ほら穴に住んでいるわけないでしょ。発想が貧しすぎるわよ」
ラウルがアデラに説明した。
「この屋敷は、人間として住んでいるんだ。人間社会で暮らす以上、人狼にも安全な居場所が必要だからな。情報収集のために社交界ともつながりを持っておきたい」
「ラウルは人間の振りをしているの?」
「そうだ。屋敷の名義は、
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