第4話 遠吠え
イーストエンドは
川べりには工場や港湾施設が並び、低所得な労働者らが住む。ストリートチルドレンも多いし、国外からの移民や難民も入り込んでいる。
混沌とした街は、ふだつきの魔物が潜むにはうってつけだ。管理局や
体力が回復したラウルはアデラに言った。
「アデラ、外出するときは言ってくれ。おれもついていく」
「え。わざわざついてこなくていいよ」
「物騒だからな。警戒した方がいい」
「心配しなくていいよ。子供は遊んでなよ」
「子供じゃないって言ってるだろ!」
渋るアデラに、ラウルがなおも言う。
「アデラ。相手が人間なら怖くない。でも管理局には
アデラは口をとがらせた。
「ラウルも追われているんでしょ。そっちこそ出歩いたら危険じゃないの?」
「おれは気配を遮断できる。追っ手も追い払える。でもアデラには無理だろう?」
「わたしだって、気配は消しているつもりだよ」
アデラもこう見えて注意している。
男物の服装も、余計なトラブルを避けるためだ。着飾ることはあきらめている。もっともこの界隈で着飾っている娘は大半が娼婦だが。アデラは努めて目立たないようにしていた。
アデラは、母親が亡くなった二年ほど前から、どんどん美しくなってきたことを自覚していた。
うぬぼれではない。艶やかな黒髪はこの国では目立つ。肌は透き通るように白く、しみひとつない。黒い瞳には星屑のような光が宿っている。
人間離れした美しさと言ってもいい。
明らかに吸血鬼の特質が現れていた。
ラウルが言うこともわかる。それに、気にかけてくれるのは、嬉しい。母親が亡くなって以来、アデラのことを本気で気にかけてくれる人はいなかった。
「アデラの気配は異質なんだ。見るものが見たら、ごまかせない」
「ラウルは心配性だなぁ」
そんな風に言いながらも、アデラはラウルに同行してもらうことにした。
ラウルの心配は、杞憂ではなかった。
数日後、食料品店で買い物をしていたアデラは、三匹の猟犬に察知された。
ラウルは店のそばで気配を消して周囲を警戒していた。アデラが店を出たところで、猟犬が風のように走り込んできた。
「わわっ」
アデラは驚いて身をすくめる。
ラウルがアデラをかばい、猟犬を蹴り飛ばす。ラウルはアデラの手をひき、馬車が行き交う通りを強引に渡って裏通りに入った。
「ラウル、何あれ?」
「犬を操る監視者がいる。たぶんそいつだ」
ラウルを探していたのだろうが、アデラの魔力に反応したようだ。
「ラウル、どうするの?」
「もともと標的はおれだ。アデラは隠れろ」
「ラウルを置いていけないよ」
「おれひとりなら何とかなる」
「ううん、ラウルも一緒に逃げよう」
「ちっ。言い合ってるひまはない。川の方に走るぞ」
アデラとラウルはこうして監視者と遭遇したのだ。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
いまのラウルは、狼と人の中間のような姿だ。
大人の体躯に、銀髪から突き出た耳、手足は筋肉が隆々と盛り上がり、尻尾も生えている。
この形態を「獣人」と呼ぶ。
人狼は戦闘時には獣人になることが多い。両手を使えるし、魔物の力も発揮しやすい。これが本来の姿でもある。
ラウルがアデラにささやく。
「俺が吠えたら走れ。この先の桟橋まで逃げるんだ。必ず追いかける」
監視者の女は、予想通り、犬を操る
女は犬の顔で言う。
「管理局のマチルダ・ハントだ。観念しろ」
「魔犬ふぜいが人並みに名乗るとは。聞いてあきれる」
「何とでも言え。ラウル・リー。ごたくは後で聞く」
マチルダも獣人の形態になった。細身のしなやかな身体で身構える。
ラウルが天を仰いで吠えた。
「おおおおお」
周囲の空気がびりびりと震える。
まるで狼の遠吠えだ。
アデラが間髪を入れず動き、通りの先に向かって走った。
三匹の猟犬はラウルの気迫に圧倒されてとっさに動けない。
マチルダがラウルに鞭を放つ。ラウルはそれを右手で難なくつかんで引っ張り、マチルダの体勢を崩した。
人狼の最大の能力は、その
アデラが走りながら振り返ると、ラウルがマチルダをつかんで投げたのが見えた。
アデラはテムズ川の桟橋にたどり着く。近隣の工場が物資を船で受け渡すための施設だ。
「はぁ、はぁ」
全力疾走したアデラは息があがっている。後ろを振り返ると、三匹の猟犬が再び迫ってきていた。
(追いつかれちゃう。どうしよう)
アデラは何も思いつかない。ダンピールは吸血鬼に匹敵する最強クラスの魔物のはずだが、アデラにはただの犬を追い払うこともできない。
三匹の猟犬がアデラに飛びかかる。
そのときだ。
横合いから何かが飛び出してきて、猟犬を跳ね飛ばした。
二頭の狼だった。
いずれも銀色をした見事な毛並みの狼だ。低く唸り声をあげ、猟犬を威嚇する。
アデラはラウルが狼に
「アデラ、大丈夫か?」
「うん!」
ラウルはアデラを抱えあげる。驚いてもがくアデラに有無を言わさず、そのまま二匹の狼を従え、テムズ川を飛び越えた。
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