第3話 子供じゃない

 ラウルは日を追うごとに元気になった。数日前まで瀕死の状態だったのが、起きて歩けるようになった。


 魔物の自己治癒力は素晴らしい。とりわけ人狼は体力にたけた種族なので、回復も早いのだろう。

  

 うれしくなったアデラは、母親の遺品の布地を売って金をつくり、滋養がありそうな食材の調達に出かけた。


 倫敦ロンドンは世界最大の都市だ。


 人口は五百万人超。蒸気機関車が発着し、あらゆる物品が集まる。金があれば何でもできるが、金がなければ何もできない。


 アデラはブラック・プティングを肉屋で買った。豚の血と香辛料を固めたソーセージで、アデラも好物だ。卵も手に入れたので、焼いたソーセージに目玉焼きを添えてラウルに出した。


 それらはもちろん孤児院の食卓にものぼった。最近は泥水のような薄いグリュエルばかりだったので、子供たちは歓声をあげて、またたくまにたいらげた。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 ラウルは皿を手に背筋を伸ばす。

「アデラ、ありがとう。いろいろ負担させてしまったな」

  

 アデラはにっこり微笑む。

「大丈夫だよ、ラウル。子供は遠慮しないで。いっぱい食べてね」

  

 ラウルはきょとんとして首をかしげていたが、しばらくして「そうか」と納得した。

  

「アデラ、なんだか誤解しているようだが。おれは子供じゃないぞ」

「でも、子供にしか見えないんだけど」

「これでも二十歳だ」

「え!」


 アデラはラウルを改めて眺める。

 栗色の巻毛の下のあどけない顔も、小柄な体躯も、どう見ても十歳くらいだ。


 人狼は、狼にも人間にも自由に姿を変えられる。ラウルの場合、人間の姿のときは「大人になれないことはないが、魔力や体力が落ちると、少年になってしまう」のだという。


 アデラは少しふくれると、言った。

「それって、ずるい」

「何がずるいんだ?」

「だって、こんなに可愛らしい姿だったら、つい優しくしてしまうもの」

 アデラはそう言いながら、何気なくラウルの髪をなでる。ラウルはその手を払いのけると顔を赤くして言った。

「可愛いとか言うな」

「ふふふ。——ああっ、いけない!」


 突然あたふたするアデラを見て、ラウルがいぶかしむ。

「どうした?」

「ラウルが子供だと思っていたから。わたし、あの、その、うっかり」

「何か問題があるのか」

「ラウルの服を脱がせちゃった」


 ラウルがゴホゴホとむせた。

「アデラ、別に構わないから。手当をしてくれたおかげで、助かったんだ」

「でも、上から下まで全部脱がせて、隅々まで身体を拭いてしまって——」

「それはもういいから! 説明しなくていい。忘れてくれ!」


 アデラとラウルは気まずい雰囲気で向き合う。アデラは窓の外に目をやり、ラウルは咳払いした。


 アデラはラウルの言葉遣いや所作が大人びていることに、今更ながら気づく。孤児院には五歳から十歳までの子供がいるが、確かに、ラウルは同年代とは思えない。


「おれのことよりも、おまえの素性が気になる」

 ふと、ラウルが言った。


「えっ、わたし? わたしは、ただのダンピールだよ」

「ただのダンピールなんて、そんなやつはいない」

「そ、そう?」

 元気になったラウルは舌鋒が鋭い。

 アデラは首をすくめた。


 ラウルはなおもたずねる。

「何か事情があるとは思っていたけど。おまえ、もしかして未登録なのか?」

「うん。登録していない」

 アデラは薄笑いを浮かべ、ラウルは呆れたように嘆息をもらした。


「アデラ。吸血鬼は全員、ヴィクトリア女王から爵位を与えられた。れっきとした連合王国貴族だ。中には、何百年も前から人間のふりをしていた、古い家柄の貴族もいるようだが」

「うん、そうらしいね」

「といっても、女王は、吸血鬼を貴族だともてはやしたいわけじゃない。首輪をつけておきたいだけさ」

「そうなのかな」


 ラウルは語気を強める。

「いいか。ダンピールだって、吸血鬼の血筋には違いない。こんな場末でうろついていたら、それだけで大問題だ」

「うぅ。わたしもわかっているよ。お願いだから、そんな怖い顔しないで」

 アデラは首をすくめた。


「すまない、アデラ。助けてもらった恩人を、責めたり詮索したりするつもりはない。でも、いまの情勢は危険だぞ」

「危険って、何が?」

「人間と吸血鬼の休戦協定が破棄されたからだ」

「あぁ」

 アデラもその噂は把握していた。


「管理局は魔物への締め付けを厳しくしている。未登録のダンピールなんて、見つかったらタダではすまない」

「いままで、ずっと平気だったよ」

「それはたまたま運が良かっただけだ」


 アデラは言い返そうとしたが、ラウルの表情が真剣だったので、やめた。代わりに素直な感想を口にする。

「どうして破棄なんかするんだろう。争うより平和の方が良いに決まっているのに」


「そうだな。おれもそう思う。でも、吸血鬼の考えることは、おれにはわからない」

「わたしにも、わからないよ」

「とにかく、これは吸血鬼だけの問題じゃない。人間と吸血鬼の関係が変わったら、あらゆる魔物に影響が出るぞ」



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