第16話  クズは結局変えられない

「やっと出てきたか」


 全ての家が消火されたのを見た赤髪の男――ティムラズは剣を抜くことなく周りを見渡してそう呟いた。そして目的の人物を見つけた途端ファイアーボールの詠唱を始め、ブツブツと呟く金髪の女に向けて魔法を打つ。その瞬間金髪の女――サーシャは振り返り、ティムラズとは違って無詠唱で水魔法を放ち、ファイアーボールを打ち消した。

 水が蒸発した蒸気と消された炎から出る白い煙が2人の間に立つ。お互いからは顔は見えず「誰?あなたが犯人?」と目を細めるサーシャは問いかける。


「おいおいおいおい忘れたのか?一緒に冒険したし、一緒に暮らした仲じゃないか」

「一緒に冒険をした……?一緒に暮らした……?」


 何を言っているのか分からず更に目を細めたサーシャだったが視界が晴れるに連れてその目は見開いていき、やがて赤い髪と昔からずっと持っていた紫色の鞘がはっきりとサーシャの視界に入ってしまった。


「久しぶりだな?サーシャ」


 先程とは違ってティムラズの言葉は穏やかだが、それとは裏腹にサーシャの顔は神でも見たかのように真っ青で恐怖に陥ったように体を震わせる。


「ティムラズ……なの?」

「そうだぞ?一緒に夜を共にしたティムラズだ」

「本……物、だ」


 自分に対して魔法を打ったことなども忘れ、死んだかと思われた自分の夫を目の前にしたサーシャはポツポツと涙を零し始める。一歩、また一歩と、嬉しさを噛み締めるように近づくサーシャに腕を大きく広げるティムラズ。


「さぁおいで?サーシャ」


 声色が変わったことにも気が付かないサーシャはそのままティムラズの腕の中に飛び込み――


「昔から恋をすると周りが見えなくなるやつだな!」


 ――地面から足を離したサーシャの背中に思い切り肘を叩きつけて叫んだ。油断を仕切ったせいで受け身など取れないサーシャは息を吸うことも出来ず、ただ嗚咽を吐く。


「あんな盗賊の数相手に1人で勝てるわけねーだろ。バカか?生きてるならなにか裏があるんだなぐらい思えよ。てか、たった今お前に魔法を打ったことをもう忘れたのかよ。バカすぎるだろ」


 嘲笑いながら畳み掛けるようにサーシャを踏みにじる。嗚咽が止まろうものなら何度も踏みつけ、何度も罵倒し、何度も何度も何度も何度もサーシャの恋心を嘲笑う。

 身体的痛みからなのか、それとも精神的痛みからなのか、サーシャの涙は止まることはない。


「なん……で、こんなことをする……の?」


 嗚咽を吐きながらやっとの思いで言葉を口にしたサーシャ。そして足がピタッと止まるタイミングで顔を上げると、


「そんなことだと?お前は知ってるだろ。俺がこういうのが好きだって」


 しゃがみ込み、サーシャの髪を引っ張り上げるティムラズは相変わらずの低いトーンで言う。たしかにそのことを知っていたサーシャは何も言えることはなく、ただ無言で、ただ視線を下に向けるだけ。そんなサーシャにイラ立ちを覚え始めたティムラズは「おーい」と髪を左右に引っ張って言葉を要求するように求めた。


「なんで……そんなことが好きなの……?」

「やっと喋った。その質問もずっと前にしただろ?俺の娯楽だって」

「もう……しないって、言ったじゃん……」

「言葉だけはな?お前は人のことを信用しすぎだ。だからバカなんだよ。なにが『私があなたのその考え方を変えてあげる』だ。変えられるわけ無いだろ。自分の力に自惚れ過ぎだ。たかが魔力が多いだけで人の心が変えられるわけがないだろ」


 結婚した理由をバカにされ、自分自身の取り柄すらもバカにされたサーシャはついに怒りが頂点に達したのか体から目に見えるほどの魔力が溢れ出し、髪を掴んでいたティムラズを吹き飛ばした。


「好きな人相手に抵抗するのか?いい度胸じゃねーか」


 家の瓦礫に埋もれたティムラズは体に覆い被さる瓦礫を全て跳ね除け、傷ひとつない顔に不敵な笑みを浮かべる。そしてサーシャに投げかけるように言葉を発した後、紫の鞘から研ぎたての白銀の剣を取り出した。その瞬間、もう躊躇なんてしないサーシャは右手を勢いよく横に伸ばし、数にして約20もの魔法陣を生成する。


「相変わらず魔法に関しちゃバケモンだな。魔女に匹敵するんじゃねーか?」

「うるさい」


 その言葉と同時に手を振り下ろすと、魔法陣から先程のファイアーボールを打ち消した水よりも更に威力を上げた水の玉がティムラズに襲いかかる。普通の人なら目では捉えられない速度でティムラズが避け、地面に当たってみれば土道が掘り起こされる。

 村が壊れるのなんてお構いなしにとにかく魔法陣から水魔法を撃ち続け、近距離戦を得意とするティムラズを近づけさせないことを徹底するサーシャ。だが、この5年でティムラズがなんの進化を遂げていないはずもなく、ニヒリと笑みを零したティムラズは剣を握らない手から炎魔法を放つ。先程まで詠唱をしていたはずの炎魔法をなんの突拍子もなく。


 完全に魔力を魔法陣に割いていたサーシャは防御壁を組むのに少し手間がかかること見据えて水魔法で打ち消そうとしたが、ティムラズが放った炎魔法は遠隔操作されているように水魔法の間を潜り抜け、


「――っ!?」


 目を見開いて炎魔法を見下ろしたときにはすでに脇腹に掠っており、ティムラズが魔法を打った手を握りしめた途端魔法は爆発した。爆風に吹き飛ばされ瓦礫に埋もれたサーシャはティムラズとは違い、顔や腕にはいくつもの傷がつく。負けじと立ち上がり、もう一度右手だけではなく左手までもティムラズに向けて伸ばすが、グラっと視界が揺れて膝に手をついてしまう。その様子を見たティムラズは動きを止め、分かったように口を開く。


「お前ここに来る前にめちゃくちゃ魔力使っただろ。消化するためだとか人の傷を癒やすためだとか、お前はもう母親なんだからそんな頑張んなって」

「うる……さい!」

「さっきからそればっかじゃねーか。他に言葉はないのか?子供の名前とかさ」


 お目当ての子供を見つけ出したいのか、子供の名前を呼ぶように指図するが当然母親がこんな危険な場所に子供を呼ぶわけもなくただ無言を貫く。

(そもそもルカがいないのよ)

 なんて心の声を漏らさないように歯を食いしばったサーシャは最後の魔力を振り絞るように、目を閉じて手の前に巨大な水魔法を生成しようと努める。が、噂をすればなんとやら。サーシャは聞きたくなかった声が、ティムラズは見たかった顔が、森の中から現れたのだ。


「母さん?どうしたの?これ」

「ルカ!ここはダメ!!離れ――」


 魔法を作っていた意識やティムラズへの警戒心が一瞬にして消え、ルカに危険を伝えるために振り返ったサーシャは傷ひとつないルカの綺麗な顔を見た安心さもありながら離れるように叫んだ。だが――


(あれ?体が勝手に傾いて……。ティムラズの剣に……血が、ついてる……?脇腹に違和感が……ない……?)

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