第7話 とある街の有名な酒場
とある街の有名な酒場。やけに騒がしく、やけに店員は怯えている。騒がしい男女以外の常連さんや、冒険帰りの鎧を着た剣士もいない。
店内にいるのは武器を持った大柄な男や口元を隠した男に、鞭を持ったロング髪の女や店員の姿を見て高笑いをする女だけ。
「ちょ、このおっさん人差し指折られただけで泣いてるんですけど!」
「あんま笑ってやんなよ~おっさんだって店を守りたくて必死なんだ――よ!!」
地面に倒れ込む店員の小指を握った大柄の男は勢いよく、曲がるはずのない方向に指を曲げた。その瞬間店員の上に股がる口元を隠す男や、鞭で脹脛を叩く女達が一斉に笑い出し、店員の悲痛な叫びはあっけなく掻き消された。
店を貸し切っているからか、店先には看板が立てられ『夕方から朝方までは閉店させていただきます』という看板が張り出されている。そして店内からの笑い声のせいで、道を通る人たちは何も気が付いていないのだろう。店の奥から聞こえる女店員の声も、指を折られた店員の悲鳴も。
「なーにお前らだけで楽しんでんだー?」
数十名が高笑いしていたからか、店の奥で女店員を卑陋していた赤髪の男が、男店員の前で屈みこんだ。
「聞いてくださいよティムラズさーん。このおっさん、金を要求してきてるんすよ~」
「金の要求してんのか?このおっさんが?」
「そうなんすよ~ですから、タダにするまで指を折ってるんす~」
相当酔っているのか、口調がおぼついていない大柄の男。だがそれは皆同じなようで、顔は赤く、目元が少しとろけている。
だが酔っているということは、感情の入れ替わりが激しいということ。赤髪の男――ティムラズは男店員の髪を引っ張り、自分の顔先に持ってくる。
「なぁおっさん。俺、始め言ったよな?タダで飲ませろって」
「そ、それは冗談だって言って――」
「口答えしてんじゃねーよ!!」
ティムラズが叫んだ途端、男店員の青紫色に腫れ上がる指を勢いよく踏みつける。
瞬間またもや店内には高笑いが生まれ、男店員の悲鳴など元々なかったかのように、誰の耳にも届くことはない。
「なぁおっさん。裏にいる女、お前の嫁か?それとも娘か?」
「……娘、です……」
「娘か。だからあんないい体してたのか。この店で働かせてたおかげで体力がついて、今も男5人相手してるぞ?褒めてあげるべきことだよな!父親としてな!娘に体力がついて嬉しいだろ!」
「なに……してんだ……よ!」
先ほどまでの敬語などなく、店のオーナーとしてでもなく、一人の父親としての怒りをティムラズに向け、腕に噛みつく。子供を持てば皆、同じ感情になるのだろう。たった一人の娘を、たった一人で育ててきた娘をこんな風に扱われているんだ。怒りの一つや二つが沸き上がらないわけがない。
だが、力の差というものは怒りだけでは縮めることはできない。
「なに噛み付いてんだよクソジジイ!汚ねーだろ!」
髪を掴んでいた手を離し、勢いよく男店員の頬を肘で打撃する。打撃を受けた男店員の顎は一瞬にして外れ、机やら椅子やらに体の至る所をぶつけてしまう。
「おいおいおいおいクソジジイ。お前の唾液が俺の腕についちまったじゃねーか。どうしてくれんだー?」
ティムラズが立ち上がって怒声を浴びせるが、顎の外れた男店員が言葉を発せられるわけもなく、体中に響く痛みで立ち上がることもできないでいた。結果、ティムラズの怒りは膨れ上がり、二人の男に声をかける。
「ちょっと娘連れて来い。あいつの父親がやらかしたんだ。連帯責任ってものがあるだろ」
「うーっす」と適当に返事を返した男たちは店の裏に行き、泣きながら拒む女を軽々と持ち上げ、ホールへと担いできた。
そしてその辺にあった机吹き用の布巾で口を縛り、暴れさせないように椅子に座らせて手足を拘束する。
「みなさーん。これから前夜祭兼、ティムラズによる、血の舞をお見せしまーす」
その言葉を聞いた瞬間、店員二人は何かを察したようで、逃げようと体を動かそうとする。が、手足を拘束されている女店員はもちろんの事、男店員は全身打撲をしているせいで体に力が入らない。
そんな二人をよそに、周りは今日一番の盛り上がりを見せ「ティムラズ!ティムラズ!」というコールが始まる。
「手始めにまず、たった今このクソジジイが噛みついた俺の腕に、女の唾液をつけて浄化しまーす」
ティムラズの言葉に嫌悪を抱いた女店員の顔色は悪くなり、と同時に口を塞がれていた布巾が解かれる。
最後の抵抗か、布巾を強く噛みしめて拒みの意思表示するが、父親が首を振るのを視界に入れた途端力が弱まった。
「どこかのジジイとは違って素直だね君。さぞかし良い育て方をされたんだろうな」
なんて言葉を吐きながら、ティムラズは目に光が宿っていない女店員の唇に腕を押し当てる。
女店員は諦めたように、ペロッと歯形がある部分を舐めた。そして父親に涙を向けながらそっと目を閉じ、ティムラズが腕を離すまで舐め続ける。
お酒を片手に持つ男や女達は何が面白いのか高笑いし、急かすような声も聞こえてくる。
「まぁまぁそう慌てるなって。これからやってやるから」
女店員の口元から腕を離したティムラズは、大柄の男によって渡された剣を鞘から抜き取り、未だに動けないでいる男店員の元へと足を運ばせる。
少し目を開いた女店員は、父親の真っ青な顔を見るや否や顔を逸らすが、後ろにいた口元を隠す男によって強引に父親の方へと向けられる。
「さてここからは一瞬ですよー?」
何かの大道芸のように軽く言葉を口にしたティムラズは剣を持ち上げ、太刀の見えない速度で男店員の両腕を切り落とした。途端に、女店員が叫びそうになったが、またもや布巾を口に縛り付けられ、悲鳴なども上げることが許されなかった。
なにがあったのかまだ思考が追い付いていない男と店員は、地面に落ちた右腕を見ては、逆にある左腕を見て、次に刀身に付いた血を見てはまた腕を見下ろす。
「見ろ見ろこの無様なジジイの姿を!」
ティムラズが笑うのにつられて女が高笑いをし、男も図太い声で笑う。
そんな騒がしい隙を見たかのように、下ろした剣を今度は斜め下から持ち上げて男の首を落とす。そして剣を地面に突き刺し、首元から噴き出す血を浴びるティムラズ。
あまりにも予想外な切り方とタイミングに一驚したのか、一瞬押し黙った観客達の酔いが一気に冷め「流石ですティムラズさん!」だとか「俺もしてみたい!」だとか、気の狂った奴らの声が次々に上がりだす。
「さーてお前ら。前夜祭兼ティムラズの血の舞はこれで終わりだー。その女は適当にその辺置いとけー」
そんな言葉に、軽い返事を返したティムラズの仲間は、女店員の手足の拘束と、口を塞ぐ布巾を解く。
そして「強く生きろよ~」という心の籠っていない言葉を残し、店を出たティムラズについていく。
店に取り残された娘は這いつくばるように父親に近づき、首より上のない体にそっと頭を当ててポツリと呟く。
「ごめん、ね……お父さん……。私も、今すぐに……行く、から……」
涙なんて出ていないのに声は震え、それよりも震える手で剣の柄を握り、人間の油によって切りにくくなった刀身を何度も何度も、自分の首に打ち付ける。
痛みなど忘れ、頭に焼き付けられたことを忘れるように、首を刎ねた。
「ティムラズさんやりますねぇ~」
「まぁ前夜祭なんだからあれぐらいやっとかないとな」
人がいなくなった道を、俺たちは高笑いしながら歩く。
やっとこの日が来た。やっと俺の夢が叶う日が来た。やっと快楽に浸れる時が来た。
右には指名手配にもなるデカ物、左には暗殺界隈でも名を馳せる顔隠し。そして後ろには血に飢えた野郎ども。
俺の体にはおっさんの血がついてやけに目立ち、明日の朝にでもなれば晴れて俺も指名手配犯の仲間入りになるだろう。だがそれでいい。殺しという快楽を隠れながらする必要がなくなるからな。
やっとあいつから逃げ切れたんだ。腹に赤子を孕ませ体力を無くし、そして引っ越す途中に盗賊が襲う。盗賊を雇うのにも相当な金が掛かった。が、こうして自由になれたんだから安いものさ。あの女と致した時よりも断然気持ちがいい事ができるのだからな。
「明日はいつ出発するんすか?」
「早朝に決まってるだろ。俺たちが向かう村までかなり離れてるんだぞ?襲撃するのは夜だが、間に合わなかったら元も子もない」
「ティムラズさんって、変なところで几帳面っすね」
「とある女のせいだな。ちっ……子供ができるからって理由で、俺のことを縛りやがって」
「こう聞くといい奥さんっすね」
「どこがだ。俺の娯楽を潰されたんだぞ?ゴミみたいな女だ。てかそんなことはいいから野郎どもに今言ったこと伝えろ」
話を断ち切るように軽く手を仰いで言うと、顔隠しが返事をして後ろを振り返る。
顔隠しだとかデカ物だとか、こいつらの名前には正直興味がない。組織を作って間もないから団体行動してるだけであって、明日行く村を皆で潰し終えたら、それ以降は個人の勝手だ。
死のうが殺そうが、俺たちは関与しない。恨みを買うなら勝手に買って殺していいし、金で雇われたのなら目標の相手を殺せばいい。団体行動は始めだけだ。名前なんて覚える必要はない。
「お前らよく聞け!明日の朝は早いぞ!ティムラズさんからの命令だ!」
この組織を作った俺は、こいつらのボスを意味する。さっきは勝手にしろとは言ったが、俺が殺すなと言えば手を止め、自害しろと言えば首を落とさせる。
顔隠しのように名を馳せていないが、デカ物のように体格が大きいわけではないが、強さはこの中の誰よりも上だ。なんたってSランク冒険者だったんだからな。
そしてやっと同じパーティーメンバーだったあの女を殺せる日が来る。子も生まれて今頃平穏な生活を送ってるんだろうなぁ。俺のことを尊い命だと思い込んで、子供に凄い人だって伝えているんだろうなぁ。そんな子供の前で、実の父が母親を殺したらどんな顔をするんだろなぁ。子を一人生んだあの体はどれだけ耐えられるんだろうなぁ。あぁ楽しみだ。
不敵な笑顔を浮かべるティムラズは、先ほどの女店員の顔を思い出して更に口角を上げる。
人の残酷な顔を見るのが彼の快楽。人の血を見るのが彼の娯楽。
狂った思考を持つ男は、腰にある紫色の鞘を少し上げ、体に血を染めたまま宿へと入っていった。
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