法の家.2


「――おい、おまえっ」


 声がかけられるのが先か、その子が相手の気配に反応するのが先か…――

 くるりとふり返ったのは、せこけた十二、三歳くらいの子供だ。


 肩から背中にかけて、そのままにおりている不ぞろいな頭髪はボサボサで、緑とも青ともつかないくすんだ発色を見せている。


 大きく見ひらかれた瞳は、赤っぽい茶色……いな、赤紫色で、そのインパクトのある虹彩には、基調色としてある色彩と異なる色のきらめきが確認できた。


 闇人のそれに似通う印象を受けないこともないが、少なくとも一色ひといろだけが表面に現れて見えるという種類のものではない。


 それと目をこらしてれば、地色と思われる赤ワイン色の中に青と灰色と黄色の砂状の斑点はんてんが、ラメ片のようにひらめきちらばっているのが見てとれる。


 きらきらと、深くも浅くも推移すいいし。基調色としてあるワイン調の色彩に微細にまぎれながら、さして強く主張することもなく虹彩襞こうさいひだひそみ、けあってるようなのだ。


家長いえおさが呼んでいる」


 声をかけたのは、ひたいに白金のサークレットをはめた二〇代後半の男だ。


 たちあがりがちな短髪は明るい金色で、肌はこんがりと日に焼けている。

 その彼が、園内の小道を辿たどって、迷いこんだ部外者に近づこうとしていた。


「どういうゆう理由経過~わけ~でここにいるのか、話を聞くと言っている」


 警戒心を働かせたその子が一歩退くと、声をかけた男も足をとめた。

 それ以上、距離を縮めることなく、意思の疎通そつうをはかる。


「ここは《しずめの家》だ。用があるなら聞くが、事情によっては出ていってもらうことになる。北の窓口を通していないな? どうしてもぐりこんだ?」


「しずめ……」


(お…。男の子だな)


 その子の口からこぼれたのは、かすかに幼少の響きをのこすテナー。

 男が発した言葉の部分的な復唱にすぎないつぶやきで、問い返しとも独白的ないぶかりともつかないものだ。


 いくらかほこりっぽいものの、過分も不足もない水準の衣類は身につけていている。


 手入れが充分とはいえない頭髪が胸までおりていて、遠目には見わけがたかったが、そうして接近してみると、栄養の足りてなさそうな体にも男子らしい兆候ちょうこうが見てとれた。

 背丈が伸びるのもさかりの年頃の少年である。


「《法の家》は?」


「そうとも言うな。この家の呼び名は少なくない」


「《神鎮かみしずめの家》というのと《法の家》は、(やっぱり)おなじ?」


「そうだが」


「ここ、ここにヴェルダ、いる?」


「ヴェルダ?」


「いる?」


「私は知らないが……」


「いないの?」


家長いえおさは知ってるかも知れないぞ…――ここの代表。先導師せんどうしじんのまとめ役。総師そうし老師ろうしともいうが――今代は、そこそこでも、そこまでのおとろえを言われるほどの年齢としではないな(少しばかりとも聞くし……)」


「そいつがオレを? 呼んでいるのか?」


「そうだ」


「どこ、行けばいい?」


「案内する。ついて来い」


「ん」


 危ぶむ気配をほの見せつつ、いそいそと近づいてきた少年をななめ下方に見た金髪の男は、なんとも落ち着かないような顔をして、そっと息を吐くと、宙空ちゅうくうに視線をはせた。


「おまえみたいなのを見ると、風呂にほうりこんで、その頭、なんとかして、はらいっぱい食わせたくなるな」


 🌐🌐🌐


 ぱっちりとひらかれた青と灰色と、黄の斑点はんてんがきらめく赤ワイン色の虹彩。


 そのなかにある漆黒の瞳孔がとらえがちなのは、通された部屋の壁際で、こちらを見るともなく立っているひとりの少年だ。


 人間であれば、十二、三歳の外見。

 そのくらいの年格好の同性を見かけると、つい、目で追いかけてしまう彼だったが、自分と同じくらいの年代だ。


 なんとなく気になりはしても探している人物は、自分より二、三歳上。

 十四か、十五か十六になっているだろうから、それではありえない――そう見当づける。


 それに、あれは……

 闇人だ。


 そこにいるのがあきらかなのに、存在感が皆無といっていいほどに薄い。


 自身の身にう領域を占めながら隔絶かくぜつされている感じで、まわりの空気が動かない。


 そこにあるのに、まったくといっていいほどで、呼吸すらしてない印象をうける。


 どんなに気配を消すのが得意だろうと生きた人間には決してたもてない位相いそう


 そう認識すると、薄紅色うすべにいろの館に迷いこんだ青磁色せいじいろの髪の少年――セレグレーシュは、もうそちらを見ようとしなくなった。


(ほんとにいっしょに暮らしてるんだな……)


 そう思っただけである。


 いま彼は、再三すすめられ、しかたなく腰をおろした数人がけの椅子にあった。


 重厚そうなテーブルをあいだに置きながら。むき合う位置には、対面こちらそろいのシンプルなソファに座した五十代半ばほどの男の姿がある。


「つまり君は、人を探しに来たんだね?」


「うん」


「しかし、君よりさんとしが上というだけでは…――」


「オレは、ヴェルダと呼んでいた。髪は……。……たぶん、金か明るい茶か、もしかしたら赤毛……。たしか……、陽色にも見える明るい色なのに、なんでか、ちょっと深い色が入っている感じなんだ。それでいつも顔の下半分を布で隠してた」


「ふむ…。…その響きは記憶にないし、覆面ふくめんをする者も、そのくらいの子には知らないが、顔に傷かあざでもあるのかい?」


「ない。でも普段は隠してた」


「そうか。おおうていどにもよるが、覆面ふくめんをすると、けっこう印象が変わるものだろう?」


「知ってるから、会えばわかる」


 その少年は毅然きぜんと断言したが、対面の男はわずかに目を細くしている。


 事情を聞く側としては、それとほのめかし、手ぬるくさぶりをかけてみたわけだが、そうして返ってきたのは根拠がどこにあるのかも不明な決めつけだ。


 なぜ、そんなふうに探りをいれたのかを言えば――

 心までは読めぬまでも、その少年のしぐさに、いま口にした内容を自問自答しているような迷い、落ちつきのなさが見えていたからだ。


 そんな状態で「会えばわかる」と断定できる自信が、いったいどこから来るのか。


 まだ子供である。べつに子供でなくても、話す能力・考え方の癖、進度や体質はそれぞれなので、あいまいな部分は別としても。

 いい加減に対応していればだまされたかもしれないレベルの微妙な変化……気配だろうと、言動に見え隠れしているとまどい・気持ちのぐらつきに気づいてしまうと、その主張が目の前にいる少年の希望的予測、もしくは思い込みとしか解釈できなくなる。


「――ともあれ」


 求めるものをちゃんと把握しているか否かは、つまるところ、その子自身の問題だ。


「そういうゆうことなら、受講生と、ここを利用する者をあたってみるか」


 懐疑的かいぎてきな事情は寄せ置いて――男が対処策たいしょさく提起ていきすると、そうと聞いたセレグレーシュが、たっと座面ざめんをおしやって立ちあがった。


「そうする!」


 そこで、ここの家長だという男は、両の手のひらで自身の左右の膝頭ひざがしらをとらえ、かるく突いて放すつような動作のもとに腰を浮かした。


 言われなくても同行するつもりらしい少年を視界に、油断大敵の代名詞のように言われる老獪ろうかいな男が、にこにこ微笑んでいる。


「では、少しまわってみるとしよう」


 手招てまねきするまでもなくついてくる少年をかたわらに見ながら、は、それとなく言葉を投げかけた。


「君は、なかなか興味深い気をしている」


「……キ?」


「気配……存在の様式、命としての威力だ。

 霊力が高ければその容量も傾向けいこうにあるが、必ずしもを修めるのに向いた方向に伸びるものでもない。

 きわまるほどに存在感……または鋭利えいりさをし、それを誇示こじするように周囲に拡散かくさんする感性やカリスマのようなものと。……いっけん、なにもないようなのに瞭然りょうぜんとしてくる…――限られた範囲に強い影響をおよぼす、虚無きょむの中の秩序ちつじょ定力じょうりき……それと根ざした道具をかせる才能とでも言おうかな。

 同時に存在もしうるのに、必ずしも均等きんとうにはあらわれない――似ているようで異なる人の資質・体質の裏と表と、側面のようなものだ」


 青磁色の髪の少年――セレグレーシュは、つらつらとくり出される言葉をそのままに聞いている。


「――どちらも心身の成長にあわせて、あらわれ方・精度……比率、特徴とくちょうも変化する。いずれにせよ、気に厚みや深みがある者。あるいは極度に微弱に思える者は、おうおうに強い《心力しんりょく》をそなえる可能性があるものだ」


「シンリョク……」


「うむ。みがけば光るもの。磨かねばとりとめがなくさだまりがたく、ゆがんだり、ひずんだり、ゆるんだりしがちなもの。特殊な製法で造られた素材……《法具ほうぐ》と呼ばれるものをかし、そこに、より思惟的しいてきな方向性を与えられるものをいう。

 一般に言われる人外の超常能力――《念力》《思念力》と反応が似ているようでも、本質的には異なるもので、そのへんにある物質――法具ほうぐではないもの、物体をねんじて動かせる種類のものではないが……。きたえ、掌握しょうあくすれば、直感、予測力はぎ澄まされる。

 どの方向にどう伸びるかは個人の資質、本人の努力次第だが、武術においても重要だろう」


「……ときどき聞くけど、それ、きたえると強くなるのか?」


「そうだ。君のは、ほどほどに見えながら表層下ひょうそうかのガードが固くて、特色を読みがたい。そういうゆうめんでは達人級だな」


 手なずけ顔の組織の代表と、青磁色の髪の少年が部屋から出ていく。


 その場にいたもうひとりの人物――

 金茶色の髪をした闇人少年は、さほど興味もなさそうに彼らを見送ってから、ゆるりと歩を踏みだした。


 その足は、十五歩ほどの距離を維持いじしながら先を歩く二人の動きを追跡していた。

 対象の姿が死角にはいろうと見失うことなく、確実に……。

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