13. ライブ本番!



 間もなく、本番のステージが始まる。

 音楽室の奥、下ろされた即席の緞帳どんちょうの向こう側から、たくさんの人の足音と息遣いが聞こえてくる。


「……カボチャ、ジャガイモ、サツマイモ……」


「どしたの、琢磨くんは」


「人の頭を野菜だと思う練習だとさ」


「……レタス、タマネギ、ナス、トマト……」


 琢磨くんは、青い顔でひたすら野菜の名前を羅列していく。

 ただでさえ緊張しているのに、琢磨くんを見ていたら、さらに緊張が増してしまいそうだ。


「しかし、すごい人集まってるな。この感じだと立ち見もいるんじゃないか?」


「そうかも。うう、緊張するなあ……」


「はん、お前らまだまだだな。オレは緊張しないぞ。なぜならオレは全然注目されないからな!」


「そんなことないって。あ、でももし朋子が見に来てたらどうする?」


「来ねえよ。…………来ねえよな?」


「さあな」


 一人だけ落ち着いた様子だった修二だが、優樹が朋子の名前を出すと、途端に不安そうな顔になった。

 今回一番注目を浴びるのは確実に優樹なんだから、私も修二を見習って堂々としていればいいのだ。


「……ケール、ビーツ、ロマネスコ……」


「ていうか琢磨くん、いつの間にかすごいマニアックになってない?」


「……ゴーヤ……冬瓜……アーティチョーク……」


 ここまでくると、もう意地じゃないだろうか。

 琢磨くんは野菜マニア、と私の頭に新たな情報が刻まれたところで、客席側が突然静かになった。


「お、静かになったな。始まるぞ」


『ご来場の皆様、お待たせ致しました。間もなく開演致します』


 緞帳どんちょうの向こう側から、司会者の声が聞こえてくる。

 続いて司会者は、今日の予定と注意事項を述べ始めた。


「よし、気合い入れるか。みんな手を出して」


 優樹にならって、丸くなって手の甲を差し出す。

 円陣の中央で、四人分の手が、重なった。


「みんな、いつも通りやれば、絶対に大丈夫だ。楽しくやろうぜ」


『それでは、最初のご出演です。演奏する曲は――』


「――よし、いくぞ!」


「「「おう!」」」


 私たちが気合いを入れ、ポジションにつくと、舞台の幕がゆっくりと上がっていく。

 想像よりもずっと多くの観客が、私たちを待っていた。


 静寂の中から、たくさんの息遣いが聞こえてくる。

 そっと深呼吸をすると、いつもと違う空気が肺に入ってくるような気がした。


 鍵盤の上に指を添えて、ドラムセットの方を見る。


 カッ、カッ、カッ、


 琢磨くんのカウントが鳴り響き。


 そして。

 静寂を割くように。


 ギターが、ベースが、ドラムが、そしてピアノの音色が踊り出す。

 ひとつひとつの音が、華やかなドレスを纏って、重なり合って、ステージを彩ってゆく。


 ピンと張り詰めた空気。私たちを照らすスポットライト。


 熱くて、寒くて、暗くて、眩しくて。

 身体がふるえる。


 スタジオや音楽室で練習していた時とは、何もかもが違っていた。


 そんな緊張感も制して、空気を支配したのは、やはり優樹の歌声だった。


 春の陽のように透明であたたかな声が、会場に響く。

 その声はいつも通りで、緊張にふるえる私の身体を、そっと包み込んでくれた。


 私は少しだけ安心するけれど、緊張が消え去ったわけではない。

 それは皆同じのようで、全員が、普段間違えないところでミスタッチをする。


 でも、それでも、何食わぬ顔で演奏を続けていく。

 こんなに曲が長く感じたのは、初めてだった。


 文化祭一発目のライブ。

 完璧とはいかなかったけれど、私たちは、どうにか最後まで走り切ったのだった。





 鳴り止まぬ拍手の中、再び下ろされた緞帳どんちょうの裏で、私たちは黙々と後片付けをする。

 ステージが終わっても、身体はまだ震えていた。

 ようやく緊張が解けたのは、撤収作業が終わり、倉庫に楽器を預けて、音楽室裏の廊下に出た時だった。


「はぁー、終わったあ。みんな、お疲れ」


「お疲れ様。緊張したねぇ」


「……僕、ミスした……ごめん……」


「オレもだよ。すまん」


「私も」


「気にすんな。俺もミスったし。でも、最後まで止まらずに演奏できたんだ。いいじゃないか」


「ああ。みんな大きく拍手してくれてたし、ライブ中も盛り上がってくれてたぞ」


 実際、ステージから観客席に目をやった時、みんな小さなミスなんて気にも留めずに、楽しそうに聴いてくれていた。

 身体を揺らしてリズムを取っている人や、小さく歌を口ずさんでいる人、中には涙ぐんでいる人まで。

 観客席を見たら余計にドキドキしたけれど、お客さんの反応を見たら嬉しくなった。


「ものすごく緊張したけど、ライブやって良かった。とっても素敵な時間だったな」


 私が素直にそう伝えると、修二と琢磨くんも、「オレも」「……僕も……」と頷いた。

 私は、嬉しそうに首を縦に振っている優樹の目を見つめる。


「優樹、バンドに誘ってくれてありがとう。優樹のおかげで、本当に幸せな経験ができたよ。機会があったら、また何度でもやりたいぐらい」


「愛梨……」


「ピアノってさ、連弾とかアンサンブルをすることもあるけど、基本的に一人で弾く楽器でしょ? だからね、みんなで音を合わせるのがこんなに楽しくて素敵なことだなんて、スタジオに入るまで知らなかったの」


 あの時感じた、心が浮き立つような、自由な気持ちと万能感。

 きっと、一生、忘れることはないだろう。


「それに、優樹と一緒に曲をアレンジをしていって、どんどん進化していくのも楽しかった。それを昨日、修二と琢磨くんと合わせた時も、また違う景色が見えて、すごく感動したんだ」


 私の部屋で、優樹と二人、練習をした日々。宝物みたいな時間だった。

 ライブが終わったから、スタジオに入ることも、私の部屋で練習をすることも、もうない。

 そう思うと、寂しい気もするけれど……でも、それでも、この経験はずっと胸の中で輝き続けるに違いないと、そんな確信がある。


「とにかく……一人でピアノを弾いているだけじゃ、たどり着けなかった場所。見えなかった景色だったと思う。だからね、優樹――本当にありがとう。修二と、琢磨くんも」


「――愛梨。お礼を言うのは、俺の方だよ。みんなも、本当にありがとな」


「おう。楽しかったぜ」


「……僕も、楽しかった……ありがとう……」


 目頭が熱くなってくる。誤魔化すように、私は笑った。

 修二も笑う。琢磨くんも微笑む。


 優樹も、いつも通り、ニカっと笑う。

 あたたかく、やさしく。ほんの少しだけ、目を潤ませて。

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