11. リハーサルと、勇気と涙と



 文化祭前日。

 この日は授業も休みで、一日中、装飾や準備、リハーサルを行うことになっている。

 私の足はもう、ほぼ完治していて、念のため軽くテーピングをしてある程度だ。


 校舎の中、一般教室から離れたところにある音楽室。

 最初にタイムテーブルをもらった時は、そんな所に朝イチで足を運んでくれるなんて、私たちの友人だけだろうと思っていた。


 けれど、練習時間が長引いて優樹の歌声が評判になってから、学校中が私たちの話で持ちきりだ。

 優樹のもとに女子生徒が押しかけて私が捻挫してしまった事件も、話題に拍車をかけたと思う。

 明日のステージは、きっとたくさんの人たちが観にくるだろう。


「さて、最後のリハーサルだ。気を引き締めていこう」


 リーダーの優樹の言葉に、私たちは頷き、「おう」と気合を入れる。

 優樹とは二人で毎日合わせていたが、全員で合わせるのは二週間ぶりだ。


 琢磨くんがドラムセットに座る。

 修二と優樹はシールドをアンプに差し、ツマミを調整する。

 私も、ピアノの前で深呼吸をひとつ。


 最後に優樹がマイクの位置を調整して、琢磨くんに合図をする。


 1、2、3――


 一気に、音が弾ける。


(やっぱり、気持ちいい)


 優樹と二人で練習するのも、すごくすごく素敵な時間だったけれど、全ての音が揃ったこの瞬間。

 圧倒的な音圧に呑まれていく、この感覚。

 安心感。開放感。高揚する気持ち。


 優樹の歌声が響く。

 透明でやさしい歌声は、世界に彩りを加えていく。


 私は鍵盤を奏でていく。

 さらにたくさんの色を描き足して、混ぜ合わせて。


 間奏に入って、優樹はメンバーと目配せをする。

 その眼差しは、やさしくて熱くて。

 このまま、音と一緒に、全部溶けあってしまえたらいいのに――。





 リハーサルは、大成功だった。

 優樹と一緒に練習を頑張ってきたおかげか、久しぶりに合わせたはずなのに、私たち四人の息はぴったりだった。


「この分なら、明日も大丈夫そうだな」


「だな。で、この後はどうするんだ?」


「……リハ、一番最初だったから……かなり暇だよね……」


 琢磨くんの言う通り、出演順でリハーサルを行うため、朝イチでステージが終わってしまう私たちは、この後何の予定もなかった。


「メシでも行く?」


「えー、まだ九時だよ。私、お腹すいてないよ」


「だったら俺、行きたいとこがあるんだけど――」


「あっ、あの、すみませんっ」


 私たちが音楽室前でダラダラと喋っていると、突然女子生徒が話しかけてきた。

 いつだったか、友達の代わりに私に謝りに来てくれた、麻衣ちゃんだ。


「ん? どうしたの? 麻衣ちゃん、リハは?」


「わ、わたしは、補欠メンバーなので……。あの、ゆ、優樹さんにちょっとお話があって……少し、いいですか?」


「え? あー……なに?」


「あの、あっちで……」


 麻衣ちゃんは、顔を赤くしながら、音楽室から少し離れたところを指し示した。


「いや、俺――」


 優樹はいつものように、断ろうとしているようだったが、横槍を入れたのは修二だった。


「行ってこいよ、優樹」


「……僕たち……向こうで待ってるから……」


 麻衣ちゃんは、倒れるんじゃないかというほど顔を真っ赤にして、瞳を潤ませている。

 きっと、ありったけの勇気を振り絞っているんだ。


 けれど、優樹は麻衣ちゃんではなく、私の方に視線を向ける。

 私に申し訳ないとでも思っているのだろうか、気まずそうな表情だ。


「……優樹、行ってきて」


 私は、意識して口角を上げる。


「……わかった。ちょっと待ってて」


 優樹は少し顔をしかめる。

 だが結局、皆の後押しを受けて、麻衣ちゃんについて行った。



 ここからだと、遠くて会話の内容は聞こえないものの、二人の姿はしっかり見える。

 麻衣ちゃんは、赤くなってもじもじしながら、一生懸命何かを話していた。

 笑顔で送り出したものの、私は、なんとなくヤキモキしながら、無言でその様子をじっと見つめる。


 ――とらないで。


 一瞬、そんな風に考えてしまった自分自身に、驚き、そして混乱する。

 優樹は私の恋人でもないし、ただの友人で、近所に住んでいて、同じバンドを組んでいるだけで……。


「……愛梨ちゃん……心配……?」


「えっ?」


「……大丈夫だよ……優樹くんは、愛梨ちゃんのことしか、見えてないから……」


「……そんなんじゃ」


 ぐるぐると黒い気持ちが渦巻いてきた私を見かねたのか、琢磨くんがボソッと、励ましてくれる。

 修二は、壁にもたれて、相変わらず優樹と麻衣ちゃんの様子を面白そうに眺め続けていた。


「おい、見ろよ。アイツ、女の子泣かせたぞ」


 修二が、言葉の内容とは裏腹に楽しそうな表情で、顎を上げて指し示す。


「え……」


 麻衣ちゃんは、顔を両手で覆って、泣きじゃくっていた。

 優樹は、何のアクションも起こすことなく、静かにその場に佇んで、彼女を見守っている。


「振られるってわかってて告白するんだから、大したもんだよな」


「麻衣ちゃん、告白したの? 優樹は断ったのかな」


「いやいや、どう見てもそうだろ。むしろそれ以外考えられないだろ」


「……そっか。麻衣ちゃん、いい子なのに、もったいないね」


 修二は呆れを通り越して、心底驚いた顔でこちらを見た。

 琢磨くんも、何かをこらえるような変な顔をしている。


「……私、そんなに変なこと言った?」


 修二と琢磨くんは、同時に、思いっきり首を縦に振る。

 琢磨くんは相変わらず変な顔をしているし、修二はなぜか突然笑いはじめた。


 しばらくして、泣き続ける麻衣ちゃんを置いて、優樹はこちらに戻ってきたのだった。


「ただいま……ってなんだよ、三人ともどうしたんだよ」


「どうもしねえよ」


「そうかあ? だって修二はすげえ楽しそうだし、琢磨はなんか変なもの飲み込んだみたいな顔してるし、愛梨は……落ち込んでる……?」


「別に落ち込んでないよ。あ、ねえねえ、スイーツ食べに行かない? 私お腹すいちゃった」


「え、さっき、まだ九時だからお腹すいてないって……」


 そういえばそんなことを言った気がする。

 お腹は実際すいていないけれど、どこか、ここから離れてどこかへ行きたかった。


「――いま、すいたの! ねえ、皆でどっか行こうよ」


「スイーツもいいんだけどさ、俺、行きたいとこあるんだけど」


「あ、そういえば何か言いかけてたね。どこ行くの?」


「あのさ――」


 優樹の提案に、私も修二も琢磨くんも真剣な表情になる。

 そういう提案なら、大賛成だ。


 私たちは先生に外出許可をもらい、楽器を持って、街へ繰り出したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る