10. その瞬間、その連続



 優樹が有無を言わせず出て行ってしまい、私は、女子生徒と二人、教室に取り残されてしまった。

 気まずい。非常に気まずい。


「あの……なんか、ごめんね」


「い、いえ。はっきりしない、わたしが悪いんです」


 女子生徒はそのまま立ち去るかと思いきや、なぜか、私の横にとどまって、もじもじしている。


「帰らないの? あの調子だと、優樹、話聞いてくれないと思うよ」


「……わたし、愛梨さんに、話があったんです」


「え? 私に?」


「はい。……実は昨日、愛梨さんに怪我をさせたの、わたしの友達なんです。彼女が愛梨さんを突き飛ばすの、廊下から見てました。謝りにいこうよって言ったんですけど、本人、来るの嫌がって……だから、わたしが代わりに……その、ごめんなさい」


「……そうだったの」


 優樹の追っかけの一人かと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。


「えっと、あなた、お名前……」


「一年生の、麻衣まいです。友達、連れて来れなくてごめんなさい」


「麻衣ちゃんね。麻衣ちゃんはひとつも悪くないんだから、謝らないでいいんだよ。それに、お友達だって、わざとじゃないと思うんだ。私は、気にしてないよ。律儀に、ありがとう」


「う、うう、愛梨さん……! ごめんなさい、ありがとうございます……!」


 麻衣ちゃんは、深く頭を下げる。

 そこにちょうど、優樹が紙パックのカフェオレを二本持って、戻ってきた。


「え、まだいたの? てか、どういう状況?」


「あ、優樹……あのね」


 私は麻衣ちゃんに聞いた話を優樹に話す。

 優樹は、気まずそうに、ぽりぽり頬を掻いた。


「そうだったのか。勘違いして冷たくして、ごめん」


「い、いえ。その、わたしも、すぐにはっきり言わなくて、ごめんなさい。……そ、それと」


 麻衣ちゃんは、また顔を赤くして、もじもじしはじめる。

 けれど、今度はそう時間をかけずに、ちゃんと言葉を発した。


「一昨日の演奏、すごく、すごく格好良かったです。文化祭当日、楽しみにしてます。その……応援してます」


「ああ、ありがとな」


 真っ直ぐに私たちを見る麻衣ちゃんに、優樹は、ふっとやさしく笑った。

 麻衣ちゃんは、それを見て、また真っ赤になる。


「あっ、あの、愛梨さんも、怪我……はやく良くなりますように。し、失礼します」


「うん。ありがとう、麻衣ちゃん」


 私がお礼を言うと、麻衣ちゃんは再び深く頭を下げて、去っていった。





 その日は優樹と一緒に下校して、母に、家でピアノとギターの練習をしてもいいか許可を取った。

 母は二つ返事で頷き、翌日から私の部屋で練習をすることに決まった。


 優樹は、朝、私を迎えに来る時にギターを持ってきて、私の部屋に置いてから一緒に登校する。

 学校が終わると一緒に帰ってきて、そのまま私の部屋に上がってもらい、練習をする。

 五時の鐘が鳴ったら練習をやめて、優樹はギターを背負って帰っていく。


 朝から夕方まで、優樹はずっとそばにいてくれた。

 付き合っているわけでもないし、私の気持ちを伝えたわけでもないのに。

 優樹は、嫌な顔ひとつせずに、こんなに手のかかる私と一緒にいてくれている。


 可愛い子たちも綺麗な子たちもたくさん寄ってくるのに、どうして優樹は私なんかを選んでくれるのだろう。

 いつか聞いてみたくもあり、聞いたら『優樹の望む自分自身』に縛られてしまいそうで、聞きたくないような気もした。


 ただ、私の部屋で、音楽に浸っている時だけは、『自信のない私』も『燻っている私』もどこかへいなくなって、のびのびと自由に羽を伸ばせる。

 優樹の歌声は、この世界の誰よりも、私の心を浮き立たせてくれる。


 家の中で練習しているのもあって、優樹は普段より抑えめに声を出して歌う。

 それがまるで歌声を独り占めしているみたいで、胸の奥がきゅう、となるのだ。


 歌声と、ギターの音色が織りなす幸せに、溶け込んでいく。

 私の指が鍵盤を踊る。まるで二人きりの舞踏会みたいに。


 いつまでもこの時間が、この日々が続けばいいのに――毎日、ずっと、そう願いながら、日々は過ぎていく。


 私の足の固定が外れてほぼ完治しても、優樹は「愛梨の足が治っても、文化祭まではこの生活、やめないから」とやさしく笑った。

 悪いと思いつつも、私も願いが届いたみたいで嬉しくて、ついつい優樹の好意に甘えてしまう。


 優樹の宣言通り、この生活は約二週間、続いたのだった。



 そして迎えた、文化祭の前日。

 私たちは、怪我をしてから初めての、そして最後のリハーサルに臨むこととなった。

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