9. 嬉しそうに、彼は笑った



 翌日から、私は優樹に迎えにきてもらって登校し、優樹と一緒に下校することになった。


 学校が近くなると、いつも挨拶を交わす友人たちに加えて、優樹に挨拶をしてくる女子生徒が増えてくる。学年の違う子や、見知らぬ子も多い。

 だが、隣に松葉杖の私がいるからか、優樹は足を止めることも話を長引かせることなく、教室へ向かった。


「おー、今日は平和だな。良かった良かった」


 昨日の帰りのホームルームで、全校に事故のことが周知されたらしく、今朝は教室に大量の女子生徒が押しかけてくることもなかった。

 いつもより視線が集まってはいるけれど、普段通り皆に挨拶しながら、スムーズに自分の席にたどり着く。


「愛梨、足は大丈夫か?」


「うん。優樹、ありがとね。すっごく助かった」


「いいっていいって。俺の方こそ、ありがとな」


 優樹は私の机にカバンを置くと、椅子を引いて、座るのを補助してくれる。

 自然とこういうことができる、優樹のやさしさが沁みる。

 そんな中、いつも通り話しかけてきたのは、修二だった。


「優樹、愛梨、はよ」


「おう、おはよ、修二」


「おはよう」


「その足、大丈夫か? 骨折?」


「大袈裟にぐるぐる巻きされてるけど、ただの捻挫だよ。でも……今週はもう、練習できそうにないんだ。文化祭、来週末なのに、間に合うかな」


「間に合わなかったら、それはそれでいいさ。無理してまでやるもんじゃないだろ」


「……でも……」


 私は悔しくて悲しくて、うつむいてしまった。


 優樹は心配そうに言うけれど、動かせないのは左足だけ。

 けれど親から、固定が取れるまでは、電車が混む前に下校するように言われている。

 指は問題なく動くのに。悔しい。


「つうかさ、学校で練習する必要なくね?」


 私がうつむいていると、修二が何気ない調子で、そんなことを言った。

 顔を上げて二人を見ると、修二はちょっぴり意地悪そうな顔で笑っていて、優樹は私と同じくはてなマークを浮かべている。


「どういうこと?」


「愛梨と優樹のコンビネーションが完成すれば、あとはぶっつけ本番でもいけるんじゃねえの?」


 確かに、一昨日の練習では、修二がベースに集中できたからか、リズム隊はしっかり安定していた。

 あとは私たち上物うわものの完成度を上げれば、うまくいくだろう。


「……さすがにぶっつけ本番は怖いけど、確かに一理あるかもな。俺と愛梨がしっかり息を合わせられれば、このバンドは完成する」


「そっか、そうだよね。修二と琢磨くんは、完璧だったもんね」


 優樹の目が、輝きを取り戻しはじめる。


 諦める必要は、ないかもしれないんだ。また、優樹と、修二と、琢磨くんと、演奏できるんだ。

 心が浮き立っていく。

 私も優樹も、自然と笑顔になる。修二も、口角を上げて頷いた。

 

 私は嬉しそうに笑っている優樹と目を合わせて、早速提案をする。


「優樹さえよければ、下校した後に、うちのピアノで練習しない?」


「愛梨は、いいのか? 家で音出したら、迷惑じゃない?」


「アンプ通さなければ大丈夫だよ。私だって普段からピアノ弾いてるし」


「おばさんは迷惑じゃないかな?」


「それも平気。お母さんには、文化祭でバンドやること伝えてるし、優樹のこと気に入ってるみたいだし」


 私は、自信たっぷりにそう伝えた。

 うるさくしすぎない限り、母は、絶対に許可してくれるだろう。


「お母さん、昨日も今朝も優樹のことすごく褒めてたよ」


「へ? なんて?」


「よく気が利くし、真面目でやさしい子だね、って。送り迎えしてくれるの、すごく助かるって。それから、――っ」


 私は、母との会話を思い出して赤面する。


 ――素敵な彼氏だね。お母さん安心したよ。

 私が「まだ付き合ってないからっ」と返事をすると、母は、「お父さんにはまだ内緒にしとこうね」と楽しそうに笑っていたのだった。


「――それから?」


「な、な、なんでもない! 気にしないで!」


「ふーん?」


 優樹は、訝しげに首を傾げたが、その目は嬉しそうに細まっていた。


「お前らほんと仲良いよな。羨ましいよ」


 呆れたような修二の声と共に、始業のチャイムが鳴った。

 修二は自分の席に戻り、優樹も正面を向く。

 ホームルームが始まっても、優樹の嬉しそうな笑顔が、頭から離れなかった。





 その日の昼休み。


「あ、あの」


 優樹の周りに大量の女子が押し寄せることはもうなかったものの、見知らぬ女子生徒が、私と一緒にお弁当をつついている優樹に話しかけてきた。おさげ髪で眼鏡をかけた、そばかすがチャーミングな、可愛らしい子だ。


「……なに?」


 優樹は、ちょっと不機嫌そうに返答する。

 女子生徒は顔を赤くして、もじもじしていた。

 本当なら、私は席を外した方がいいのだろうけど……怪我しているから、すぐに立ち去れない。気まずい。


「その、あの」


 女子生徒は、もじもじしながら私と優樹を交互に見ている。

 私が邪魔ということだろう。


「……用がないんなら、戻りなよ」


「待って、優樹。私、飲み物買ってくる。お話聞いてあげてよ」


 机の横に立てかけていた松葉杖を取ろうとしたら、優樹が、さっとそれを横から奪った。


「え、杖……」


 杖がないと歩けない。

 どういうつもりなのかと文句を言おうとしたけれど、優樹は冷たく怒っていた。


「ねえ、君さ。それ、彼女がいたら困る話? それだったら、俺、聞かない」


「あ……あの。違くて……」


「愛梨、飲み物なら俺が買ってくるよ。何がいい?」


「ちょっと、優樹」


「いつものカフェオレでいい? 少し待ってろ」


 優樹は、松葉杖を自身の机に立てかけると、有無を言わさず、教室から出て行ってしまう。

 私は、女子生徒と二人、教室に取り残されてしまったのだった。

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