7. 背中
ヴォーカルを修二から優樹に変えて、音楽室で合わせた翌日。
私が学校に着くと、教室前の廊下に人だかりができていた。
ちょうど教室から出てきた修二に、声をかける。
「おはよう、修二。どうしたの? 今日、何かあるの?」
「おう、愛梨。はよ。目的はアレだよ、アレ」
「アレ?」
「突如、彗星の如く現れた魅惑の歌声。愛梨も、あんまりボンヤリしてると取られちまうぞ」
「え? 取られちゃうって何を?」
修二は答えを口にすることなく、トイレへと向かっていってしまった。
首を傾げながら教室に入る。
私の席の近く――正確には、前の席を、女子が取り囲んでいた。
「おはよ……あの、座りたいんだけど」
私が席につこうとしても、女子の壁に阻まれて全然近寄れない。
どうなっているのだ。
「ねえねえ、彼女いるの?」
「好きな女子のタイプは?」
「お弁当作ってきたんだけどっ」
聞こえてくるのは女子が優樹を質問攻めにする声。
クラスの女子だけではなく、他の学年の子までいるようだ。
女子がひとつ声をかけるたびに、私の心に、冷たい石のようなものが積み重なっていくような、イライラするような――なんだか嫌な気持ちになる。
「あー、悪い、頭痛いからもう戻ってよ。こういうの、困るから」
当の本人は機嫌の悪そうな声で答えにならない返事をしているが、周りの女子から上がるのはきゃあきゃあという黄色い声ばかり。
本人が嫌がっているのに、いつまで群がっているつもりなのかと、私は少しムッとした。
私も自分の席に座りたいし、少し大きな声で、近くにいた女子に声をかける。
「あのー、そろそろ座りたいんだけどっ」
「うっさいわねえ、ブス」
「きゃあ!?」
後ろ手に思いっきりどつかれて、私は斜め後ろの机にぶつかり、派手な音を立てて転んでしまった。
気付いたクラスメイトが背中を支えて、助け起こしてくれる。
優樹も、派手な音でようやく気が付いたのか、立ち上がって青ざめた顔でこちらを見た。
「大丈夫か!?」
周りを取り囲む女子を押しのけ、優樹が近寄ってくる。
「皆、いい加減にしてくれ。迷惑だから、もう教室に集まらないでくれよ」
冷たくはっきりと言い放ったその言葉に、周りの女子は不満そうにしながらも教室から出て行った。
優樹は心配そうな顔をして、私に手を差し出す。
「……愛梨、立てる?」
「うん……いたたっ」
私は優樹の手を取って立ちあがろうとしたが、左の足首に強い痛みを感じて、立ち上がることはできなかった。
「足、挫いちゃったみたい……」
「マジかよ……ごめんな、俺のせいで」
優樹は泣きそうな顔をして謝り、近くにいたクラスメイトに「保健室に行くから、先生に事情説明しといて」と伝え、私に背を向けてしゃがんだ。
「おぶってやるから、掴まって」
「え、でも重いよ」
「気にすんなよ。元はというと俺のせいだし。それともお姫様抱っこがいい?」
「――お、おんぶでお願いします」
おんぶも恥ずかしいが、お姫様抱っこなんてされた日には、顔から火を吹いてしまいそうだ。
私は優樹の肩に手を回し、ぎゅっとしがみつく。
優樹は私を背負って軽々と立ち上がると、足首を気遣いながら、保健室に向けて歩きはじめた。
「優樹……ありがと」
「……おう」
優樹の背中も、触れている手も、あったかくて、大きい。
こんなに線が細いのに、やっぱり男の子なんだ。
心に積もった石のかたまりは、まだ冷たく沈んでいるけれど――優樹はそれすらも包み込んで、私を掬い上げてくれる。
代わりに、あたたかな安心感が、ぽこぽこと湧き上がってきた。
「足、大丈夫? 痛む?」
「痛いけど、我慢できるよ。大丈夫」
「そっか。もう少しの辛抱な」
今は足の痛みよりも、何故かドキドキと強く打ち始めた鼓動が、背中から伝わって優樹に聞こえてしまわないか――そちらの方が心配だった。
保健室に到着すると、優樹は私を背負ったまま、器用に扉を開ける。
奥にあるベッドにそっと私を下ろすと、ふぅ、と息をついた。
「ありがと、優樹」
「おう」
優樹は、やさしく笑うと、ベッドの横にある椅子に腰掛けた。
保健の先生は、朝の職員会議だろうか。席を外しているようだった。
「先生、いないんだな。ちょうどいいや、俺もこのままサボろうかな」
先生が戻ってくるまで、ここにいてくれるつもりみたいだ。
なんだか心細くて、もう少しだけ優樹と一緒にいたかったから、嬉しい。
「ごめんね、重かったよね」
「全然。むしろ軽くてびっくりしたよ」
優樹は、目を細めて、やさしく笑う。
さっきの女子に対する態度と百八十度違っていて、ざわついていた気持ちが、少しずつ落ち着いていく。
「……俺さ、中学の時も、こういうことあったんだよね」
「え? 転んだ女子をおんぶしたこと?」
「いやいや、どうしてそっちになるんだよ。そうじゃなくて」
優樹は、何かを思い返すように、遠くを見る。
「――バンドはやりたかったけど、こうなるのが嫌で、目立ちたくなかったんだよな」
「……あ……」
教室に集まっていた女子は、昨日の優樹の歌声を聴いて集まってきた、追っかけの子たちだろう。
押しかけてきた子の多くは、次に練習の予定が入っていたビッグバンドのメンバーだった気がする。
あの歌を聴いたら憧れの気持ちを持つのはよくわかるが、優樹は、すごく迷惑そうにしていた。
推し活はいいけれど、押しかけは良くない。
「でも、愛梨と一緒にバンド組める、最初で最後のチャンスかもって思ったら――逃したくなくて。先生に頼んで、一番お客さん来なさそうな時間と場所に入れてもらったんだよ」
「私と……? どうして?」
「まだわからない?」
優樹は、切なそうに眉を下げた。
低く囁く声に、妙にドキドキする。
「あ、あの……」
「でも、こうなったら中止かな。足挫いてたら、ピアノを弾くどころじゃないだろ」
「それは……」
挫いたのは左足だけだから、固定してもらえば大丈夫だろう。
けれど、優樹の言葉には、有無を言わせぬ圧力があった。
「いいんだ。愛梨との思い出は充分作れたし、俺、もう満足だよ。それより、まずは怪我を治さなきゃ」
眉を下げたままの優樹の顔には、諦めたような薄い笑顔が浮かんでいた。
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