6. 選手交代



 初めてスタジオで演奏を合わせてから、二週間。

 あれから二度、音楽室で練習をしたが、修二のベースヴォーカルに大きな進歩は見られなかった。


「……ダメだな、オレ。すまん、素直にベースだけにすれば良かったよ」


 修二は、暗い顔で頭を下げる。

 何か理由があったのか、これまでは頑なにベースヴォーカルをやり通そうと奮闘してきた修二だが、ついにぽっきりと折れてしまったみたいだ。

 これまでは「何とかなるよ」とフォローしてきた皆も、今回は黙り込んでしまった。


「……どうしようか……修二くんの代わりに歌ってくれる人、誰かいるかな……」


「いや、もうさすがに申請締め切ってからだいぶ経つし、無理じゃないか?」


「じゃあ、やっぱり修二に何とか頑張ってもらうしかないんじゃないかなぁ」


 皆、しんと沈黙する。

 正直、頑張ったところで、限界は見えていた。

 あと二週間程度で文化祭本番なのだ。


 そんな中、少し言いづらそうに一つの提案をしたのは、優樹だった。


「……あのさ。俺、試しに一回、ギターヴォーカルでやってみていい? 複雑な所だけコードに変えちゃえば、いけるかもしれない」


「え、本当に? 優樹、歌えるの?」


「やってみる。ただ、ここ――サビ終わりだけ、ギターの見せ場とヴォーカルの見せ場がかぶってるんだよ。ここは今すぐにこなせる自信がないから、ちょっと目をつぶってくれよ」


「わかった」


 そして、いつも通りに演奏が始まる。

 変わったのは、マイクスタンドの位置だけ。


 いつも通りにイントロが終わり、優樹が、息を吸い込む。


 そして。

 優樹が歌い出した途端――空気が、変わった。


 透明感のある伸びやかな歌声。

 ギターの音色と一緒で、やさしくて繊細で――。


 修二のような力強さはないけれど、声量がないわけではない。

 染み渡るような、輝く水面みなもみたいな、遠くへ届く、澄んだ歌声だった。


(きれい……)


 魂に響く歌声に、涙すら出そうになる。

 私は一瞬で、優樹の歌に心を掴まれてしまった。



 リズム隊が安定したからか、優樹の歌声が途轍もない力を持っているからか。

 原曲よりもギターはシンプルになったが、曲は先程よりも深みを増して、圧倒的に良くなった。

 その代わり、演奏がただの伴奏という感じに変わってしまったけれど、ピアノをアレンジしてギターを補えば、もっともっと良くなるかもしれない。


 一番が、終わる。

 間奏のあいだに、私は自然と、頭の中でアレンジを組み立てていた。


 そんな風にアレンジを考えながら二番の演奏をはじめる。

 ――そして、私はついつい、頭の中にあるアレンジをそのまま形にしてしまった。


「あっ」


 私は小さく声を上げる。

 メンバーは驚いてこちらを見るが、非難するわけではなく、全員が「もっとやれ」と、肯定的に頷いてくれた。

 私もひとつ頷き返すと、自由に、もっと大胆にアレンジをしながら演奏を続ける。


 鍵盤を指が踊る。

 心が歌うそのままに、優樹のヴォーカルを引き立てるように。

 頭の先からつま先まで、旋律が駆け抜けていく。


 音の中で、私は、どこまでも自由だった。





 ぱち、ぱち、ぱち。


 演奏が終わると、いつの間にか増えていたギャラリーから、拍手が巻き起こる。

 次のグループの練習時間に、少し食い込んでしまったようだ。


「す、すみません! すぐに撤収します」


 優樹が謝罪をして、私たちは慌ただしく撤収する。

 次のグループは、女子だけで結成されたビッグバンドのチームのようだ。

 片付けをしている間、ビッグバンドのメンバーは、口々に「今の、すごかったよね!」「かっこよかったー。誰? 二年生?」などと、話していた。


「すみません。お待たせしました」


 全員の片付けが済み、音楽室から出る頃には、私たち……特に優樹に、女子の熱視線が集まっていた。



 慌てて片付けを済ませて音楽室を出た私たちは、そのまま全員で二年生の教室に戻り、反省会をする。


「優樹、歌えるんだったら最初からそう言ってくれよ。なんかオレ、虚しいじゃん」


 修二が口を尖らせて文句を言った。

 確かに、優樹がこんなに上手いなら、最初から優樹のギターヴォーカルを中心に組み立てれば良かった気がする。


「まあ……本当はやるつもりなかったから」


 優樹は、バツが悪そうにしている。

 修二が何らかの理由でヴォーカルをやりたがっていたのと同じく、優樹も何らかの理由で、本当はヴォーカルをやりたくなかったのだろう。


「それに、ギターが難しい箇所もあったし、完璧には出来ないと思ったんだよ……でも、さっきみたいに愛梨がカバーしてくれるなら、ギターはシンプルにしても大丈夫そうだな」


「……愛梨さん、即興であんなにアレンジできるなんて、知らなかった……」


「え? えへへ……アレンジが浮かんできたのは、優樹の歌とみんなの演奏がすごく良かったからだよ。楽しくて、夢中で――自分でもびっくりするぐらい、自然と指が動いてた」


 先ほどの演奏を思い出すと、自然と口角が上がってしまう。

 それぐらい楽しくて、幸せで、素敵な時間だった。


 優樹と琢磨くんの眼差しがこちらに向く中、修二だけはこちらを向かず、机を指でトントンしている。


「……よし、決めた」


 修二は、突然、声をあげた。


「オレ、ヴォーカル降りる。ベースに専念するわ」


 どうやら、何か吹っ切れたようで、晴々とした表情だ。

 修二は姿勢を正すと、ぐるりと皆を見渡して、頭を下げる。


「オレ、つまらない理由でここまでヴォーカルにしがみついてた。迷惑かけて、悪かった」


「そんな、謝らないで」


「……そうだよ……迷惑なんて思ってない……」


 自信家の修二がこうして頭を下げるなんて、珍しい。

 バンドを組んでからは度々メンバーを気遣ってくれたが、夏休み前までは、弱気な姿を見せたことなんてなかったのに。


「……なあ、修二」


 そんな中、ためらうようにしながらも修二に問いかけたのは、優樹だった。


「あのさ、どうしてもベースヴォーカルにこだわってたのって……もしかして」


「……優樹が想像してる通りだと思うぞ。そもそも、ベースを始めたのだって、アイツのためだったんだからな」


「……そうか」


 ――アイツ、って。

 一体、誰のことだろう。

 優樹は、修二の何を知っているのだろうか。


「ステージ、観にくるのか?」


「……どうかな。でも、来なくても、やってみたかった。アイツの好きな曲だし、譲りたくなかったんだ。けど、やっぱオレには無理だったわ。そもそも不器用だしな」


 そう答える修二の顔は、寂しそうで、悔しそうで。

 修二がこんな風に切なそうな顔をするのを、初めて見た。


 優樹は、肩を落として、そんな修二に向かってぽつりと呟く。


「……修二、その」


「謝るなよ。むしろオレのエゴに付き合わせて、悪かった。……あとは任せたぞ、優樹」


「――おう、任せろ。受け取ったよ」


 そんなやり取りを見つめながら、私は想像をする。

 修二がそれほど大切に想う、『アイツ』。


『アタシの推しの声優さんがぁ、ベース弾きながら歌うの、本当カッコいいんだよねぇー』


 去年だったか、今年だったか、そんな言葉を私の親友から聞いた気がする。

 ベースが好きで、アニソンが好き。

 ――私の脳裏には、修二の隣で朗らかに笑う、ある女の子の顔が浮かんできたのだった。

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