5. 揺らぐ思いはオレンジ色



 駅ビルの紳士服売り場の一角。

 私は、二種類の定期入れを前に、うーん、うーんと唸っていた。


「ねえ優樹ー、どっちの方が好き?」


「……俺はこっちのデザインの方が好きだけど、こっちのが機能的だよな」


「だよねえ、私もそう思うの。どうしようかなぁ……ねぇ、優樹は、もらうとしたらどっちの方が嬉しい?」


「……俺の意見なんて参考にならないんじゃないの? もらうの、俺じゃないんだし」


「えー、でもなぁ」


 片方は革製で、しっかりした作りでワンポイントロゴ入りの、長く使えそうなデザイン。定期券しか入れられない。

 もう片方はフェイクレザーだが、何枚かカードを収納できるし、小銭を入れることもできる。


「うーん。優樹はどんな定期入れ使ってる?」


「俺は普通に百均のやつだよ。機能的でもオシャレでもない」


 さっきから、返答が刺々とげとげしいし、目を合わせようとしてくれない。何か気に障ることでもしてしまっただろうか。

 私はひっそりとため息をついて、定期入れに視線を落とす。


「……そっか。高校から電車通学になるって聞いたし、誕生日と入学祝いを兼ねて、ちょっと良いやつ買ってあげようかなって思ったんだけど……どっちのが喜ぶかなぁ」


「え、待って、相手って別の学校……てか年下? 中学生……!?」


 優樹は大袈裟に反応するが、私は顔を上げずに商品とにらめっこを続けながら、おざなりに返答した。


「そうだよ? いとこの、ひろ君。来年から市外の高校に通学するんだって。誕生日が十一月だから、それに合わせてプレゼントしたかったんだよね」


「へ、いとこ……? あ、そうなんだ、へぇー……」


「言わなかったっけ。……うーん、やっぱりこっちにしようかなぁ。大人になったら好きなブランドができるかもしれないし、機能的な方がいいよね」


「……そうだな。はぁー」


 優樹は、さっきまで不機嫌だったと思いきや、今度はものすごいため息をついている。

 私が思わず視線を上げると、フニャっと気の抜けた顔がそこにあった。


 どうしたんだろう、普段の優樹らしくない。疲れてしまったのだろうか。


「ごめんね、買い物付き合わせちゃって。疲れたよね、お詫びにジュースおごるから、これ買ったら休憩しよ?」


「いや、こっちこそ勘違いしてごめん」


「うん……?」


 勘違いというのは何のことだろう?

 首を傾げつつ、とりあえず定期入れのお会計を済ませ、プレゼント用に包んでもらう。


「お待たせ」


「いや、大丈夫。どっかでお茶するか……あ、お茶代、割り勘でいいからな」


「え、いいの? そういえば一階に新しいカフェできてたよね。席あいてるかな?」


「行ってみるか」


 一転してご機嫌になった優樹と肩を並べて、新しく開店したカフェに向かったのだった。





 カフェで飲み物を注文し、席に座ってすぐ。

 チョコレートのフローズンドリンクにストローを差しながら、私は気になっていたことを聞いた。


「ねえ、優樹。さっきの勘違いって、何?」


「ぶほっ」


「わっ、大丈夫!?」


「げほっ、ご、ごめん」


 優樹はいきなり咽せた。

 顔を真っ赤にして、咳き込んでいる。


「げほっ、げほ……わ、悪い」


「う、ううん。大丈夫?」


 優樹は涙目で頷くと、喉を整えながら、弱々しく喋り出した。


「そ、その……さっきの、勘違いだけど。あの定期入れ、愛梨の彼氏とか……好きな男にあげるのかと思って」


「え? ああ……ええ?」


 私に彼氏がいるなんて、そんな話、どこから湧いて出たのだろうか。彼氏どころか、好きな人もいたことがないのに。


「……レザーなんて大人っぽいし、年上の男なのかなって思った。少なくとも、年下のいとこだとは思わなかったよ」


 優樹は、ばつが悪そうに頬をぽりぽりと掻いている。


「そっか……優樹は、私に彼氏がいると思ってたの?」


「いや、その……知らない。もしかして、いるのか?」


「いないよ」


「好きな人は?」


「……いないよ」


「……そっか」


 私の返答を聞いて、優樹の表情が和らいだ。

 優樹はホッとしたように、アイスコーヒーをずず、と啜る。


 私も、自分のフローズンドリンクに口をつけた。

 冷たくてほろ苦くて、とっても甘い。


「……ねえ、優樹は好きな人いるんだよね。どんな人?」


「えっ!? そ、それは、その、あの」


 優樹は、わかりやすく狼狽えた。

 聞けばこんなにわかりやすい反応をするのに、隠すのが上手いのか、誰が好きなのかだけはさっぱりわからない。


「あ、ごめん。言いたくなければいいよ」


「いや、その……そういうわけじゃないんだけど。今は、えーと……」


 優樹は、困ったように視線を彷徨わせている。

 また、顔が真っ赤になっている……きっと、想い人のことを考えているのだろう。


 ――自分で聞いたことのはずなのに、何故だか、聞きたくない。

 小さな昏いさざなみが、心をささくれ立たせる。


「……困らせちゃったね、ごめん。うまくいくといいね、優樹の恋」


「…………うん」


 何故だか、優樹の顔は、少しだけ切なげに歪んでいた。

 なんとなく苦しくなって、優樹から目を逸らす。


 ちょうどその時、テーブルに置いたスマホの画面が光る。

 母親から、「何時に帰るの?」とメッセージが届いていた。


「……もう、五時だったんだね。そろそろ帰ろっか」


「そうだな。家の前まで送るよ」


「ありがとう」


 私はドリンクを飲み干し、母に「もうすぐ帰る」と返信して、優樹と一緒に店を出る。


 無言でゆっくり歩きながら、優樹は、何かを真剣に考えているようだった。



 優樹がようやく口を開いたのは、私の家の前に着く直前。

 私がお礼を言った時だった。


「優樹。買い物付き合ってくれた上に、送ってくれてありがとう」


「ううん、いいんだ。俺がそうしたかったんだから。――あのさ、愛梨」


「ん?」


「文化祭が終わったら、愛梨に伝えたいことがあるんだ。だから……」


 優樹は、すごく真剣な表情をしていた。


 夕日に照らされて、その顔はオレンジ色に染まっている。

 普段はやさしいその眼差しは、緊張したように揺れていた。


 なんだか、胸が、きゅっとなる。


 私は、静かに、続く言葉を待った。


「だから……、その時は、俺の気持ちを、聞いてくれる?」


「――うん。もちろんだよ」


 私は優樹の目を見て、しっかりと頷く。

 優樹は、安心したように、ふっと相好を崩した。


「バンド、頑張ろうな」


「――うん!」


 いつも通りに、ニカっとやさしく明るく笑う優樹から、私は、何故か目を逸らすことができなかった。


 ――苦しくなるような、ドキドキするような。

 演奏会の前の、そわそわして落ち着かない感覚にも似ている。


 自分の中に目覚めたこの気持ちが何なのか、私にはまだ、わからない。


 答えを求めるように、私はただ、優樹の後ろ姿を見つめていた。

 時折振り返って手をぱたぱたと揺らす彼の、長く伸びた影が、曲がり角に消えていくまで。


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