3. 将来の夢



 放課後。

 私と優樹は、約束通り、楽器店に向かっていた。


「どこの楽器屋さんに行くの?」


「駅ビルに入ってる楽器屋でいいかなと思ってる」


「オッケー。……でも、駅方面だとうちの学校の生徒いっぱいいるよ? 本当にいいの?」


「……いいんだってば。もうその話禁止な」


「……わかった、ごめん」


 駅まで向かう道には、やはり同じ制服の子たちがたくさん歩いている。

 勘違いからトラブルに巻き込まれるのは嫌だけれど、当の本人がこの調子では、仕方ない。


 それに、二人で出かけたことはないものの、優樹とはずっとつるんでいたのだ。

 今更、優樹に好きな人がいるからと言って遠慮するのも、確かに何か違うような気がする。


 重たくなってしまった空気を払拭しようと、私は無理矢理、明るい声で話題を切り替えた。


「ところで優樹ってさ、いつの間にギター始めたの? 私、全然知らなかった」


「本格的に始めたのは中学ん時かな。もっとガキの頃から触ってはいたけど」


「そうなんだ。軽音部に入ろうとは思わなかったの?」


「うーん……時間とか、メンバーとか、色々縛られたくなかったから。でも、文化祭のバンドなら、合わなかったとしてもその後活動することもないだろ?」


「そう、だね」


 優樹たちと一緒にバンドできるのも、今回限り。

 文化祭まで、一ヶ月半。

 貴重な貴重な、一ヶ月半だ。


「めいっぱい、楽しまなくっちゃね」


「だな」


 私が笑顔を向けると、優樹もニカっと笑ったのだった。





 楽器店で目当てのスコア二冊を購入した私たちは、ファーストフード店で少しゆっくりしていくことにした。学校帰りというのはお腹が減るものなのである。

 優樹はハンバーガーを、私はアップルパイをかじりながら、好きな音楽の話に花を咲かせた。


「へぇー、優樹、幅広く聴いてるんだねえ」


「まあな。洋楽も好きだし、昔のも聴く。今流行ってるJPOPも、売れてるのにはちゃんと理由があって、分析したりすると結構納得いったりするよ」


「すごい、勉強熱心なんだね。曲作ったりもするの?」


「まあ、多少な。高校卒業したら、専門学校行ってもっと詳しく勉強したいなと思ってる」


「わあ、本格的だぁ! カッコいいね」


「そ、そうかな」


 優樹は、ふにゃっと笑って、照れくさそうにしている。

 どちらかというと、見た目や雰囲気は可愛いタイプの優樹だが、カッコいいと評したのは私の本心だ。

 しっかり芯の通った考え方ができるのは、本当にすごいことである。


「うん、カッコいいよ。頑張ってね、応援するよ」


「おう、ありがと。やる気みなぎってきた」


 こうやって、全力で夢を追いかけられるのは素敵なことだ。

 来年は大学受験があるけれど、私はこれといった夢も目標もない。就きたい職業もないし、何となく自分に見合った学力の大学に入ればいいかなぁとぼんやり考えていた。

 道がしっかり見えている優樹は、すごく眩しくて、遠く届かない存在みたいに感じられる。


 ちくり。

 小さな棘が、刺さる。

 修二や朋子だけじゃなくて、優樹にも置いて行かれてしまったような気がして。


 私は、恋も知らなくて、将来のこともまともに考えていなくて――ただ先生から与えられた勉強をこなして、小さな頃から習っているピアノも惰性で続けているだけ。


 自分の意見もなく流されている。

 まだ、子供のままなのは、私だけだ。


「……愛梨、どうした? 元気ない?」


「えっ? あ、ううん、何でもないの」


 暗い顔をしてしまっていたのだろう。

 優樹は心配そうに、私の顔を覗き込んでいた。


 ――私としたことが、いけない。

 応援しなきゃいけないのに、自分と比較して、暗い気持ちになってどうするの。


 私は慌てて口角を上げ、笑顔を取り繕った。

 優樹は、まだ少し心配そうに私を見つめている。


「ねえ優樹、それより、さっき買ったスコア、ちょっと見てもいい?」


「ん、ああ、うん。どうぞ」


「ありがと」


 優樹から薄い冊子を受け取って開くと、見たことのない形式の楽譜に驚いた。

 オーケストラの楽譜のように、各パートごとに分かれた譜面になっているようだったが、その表記がかなり特殊なのだ。


「……ここ、変わった譜面だね。数字がいっぱい書いてある」


「ああ、このギターとかベースのやつ? これはタブ譜っていって、これ見るとどの弦のどのフレットを押さえればいいかわかるんだ」


「へぇ……これは? この記号、見たことない。こっちも」


「これはカッティング。こっちはピックスクラッチだな。そういう演奏技法」


「うわぁー、色々あるんだ。大変だね……って、これ、なにこれ! バツ印がいっぱい!」


「この列はドラム譜だよ。まあ、とりあえず愛梨はここ、キーボードの譜面を見てくれたら大丈夫。あとはヴォーカルの所も参考にしてもらえればいいよ」


「わかった、やってみるね」


 私がそう言って顔を上げると、優樹と視線がぶつかった。

 話をしている間に心配もすっかり消えたようで、いつも通りの笑顔だ。

 顔のつくりは無駄に整っているから、この顔で笑いかけられると、うっかりイケメンだなぁなんて思ってしまって困る。

 面食いなわけではないはずなのだけれど、少しドキッとしてしまった。


 私は一度目線をスコアに落とすと、気持ちを切り替えてから顔を再び上げ、優樹に問いかける。


「私、バンドと合わせるの初めてだけど、大丈夫かな?」


「愛梨ならきっと平気だよ。わからない所があったら、何でも聞いて」


「うん。頼りにしてるよ」


 私を真っ直ぐに見つめる優樹の表情はやさしくて、楽しそうで、やっぱりキラキラ眩しかった。


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