4. Chorus



 私と優樹は、近くにあったカラオケ店に入る。


 飲み物を注文すると、私は早速曲を探し始めた。

 masQuerAdesマスカレードは、まだデビュー前だからカラオケの機械に入っていない。

 優樹は、曲を選ぶ様子もなく、ただじっと私の動向を見ていた。


「どしたの? 曲、入れないの?」


「ああ……愛梨は何を歌うのかなって思って」


「んー、どうしよっかな」


 悩んでいる間に、飲み物が届く。

 一旦曲探しを中断して、アイスティーのグラスにストローを差した。


「そういえば優樹とカラオケって初めてだよね。あんなにつるんでたのに」


「あー、そうだな。ていうか俺、琢磨以外とカラオケ行ったことないかも」


「え、そうなの?」


 琢磨くんは、高校の時に隣のクラスだった、大人しそうな男子だ。

 私とは交流がなかったが、優樹とはけっこう仲が良かったらしい。


「そういえばいつも、学校終わったら速攻で帰ってたもんね」


「まあな」


 私もわりとすぐに帰ることが多かったが、それでも時々は寄り道したりしたものだ。

 優樹とは、学校の中ではいつも一緒にいたが、帰る前に遊んだりすることはなかった。


「じゃあ、優樹さま、お先にどうぞ」


「え? なんで?」


「私はね、人が歌ってるの聴く方が好きなの」


 正直に言うと、masQuerAdesの曲が入っていないから、何を歌っていいか分からないのだ。

 masQuerAdesのヴォーカル、公爵デュークは音域が高いから、女子にも歌いやすい。

 タイムリープ前は、カラオケに行くとほぼmasQuerAdesの曲しか歌っていなかった。


「じゃあ何聞きたい?」


「んー……このアーティストとか、どう?」


「ああ、いいよ。この曲ならいけると思う。……よし」


 優樹はマイクを取った。


「んー、あ、あー」


 優樹は機械を操作して、エコーを減らし、音量とキーを調整した。

 なんだ、慣れているではないか。


 マイクの持ち方も、様になっている。

 優樹が今しているように、マイクは真っ直ぐ持たないと正しく集音しないのだ。



 そして、音が鳴り始める。

 ドラマの主題歌になった有名曲だ。

 しっとりとしたピアノの旋律が終わり、優樹は息を吸い込む。



 ――夢ならば、醒めないで

 君が消えてしまう前に、今すぐ君を連れ去るから――



「……え……?」


 私は、思わず小さく声を上げた。

 その声は、普段の優樹の声とはかけ離れていた。

 けれど、私の耳によく馴染んだ歌声。


 伸びやかで透き通った歌声。美しいハイトーンボイス――。

 繊細に、丁寧に、一音一音を紡いでいく。



 ――もし一度だけ、過去に戻れるのなら

 僕は君を迎えに行くよ

 白馬の王子様じゃないけれど

 君への想いは誰にも負けない――



 私の頬には、涙が伝っていた。

 魂に響くような、この珠玉の歌声の持ち主を、私は一人しか知らない。


 優樹の歌声に聴き入っているうちに、いつの間にか、曲は終わっていた。


 静かになった部屋で。

 マイクを通して、優樹は、歌うように、言葉を紡ぎはじめた。


「……レディースアンドジェントルマン。今宵は仮面舞踏会マスカレード――」


「「今宵だけは身分など忘れて、踊りなさい」」


 私と優樹の声が、ぴったり重なる。

 その瞳は、不安に揺れながらも、真っ直ぐに私を見つめていた。


「優樹が、公爵デューク、なの……?」


「――うん」


「知らなかった」


「そうだよな」


 優樹の瞳が、公爵デュークの仮面の下の瞳と重なる。

 やさしい目元だ。今は、ただ不安そうに揺れている。


「……私ね、masQuerAdes、箱推しなの。それでね、公爵デュークは、最推しで……ライブ、いつも見に行ってた」


「気付いてたよ。ライブ中、ずっと、俺のこと見ててくれてた」


「もっと早く言ってくれれば良かったのに」


「言えるかよ」


 そりゃそうだな、と思う。

 私が逆の立場でも、言えないだろう。


 自分の友人が、正体を隠してやっているバンドを毎回見にきて、熱い視線を送っているのだ。

 夢を壊したくないとか、バレたくないとか、色々あって言い出せないに違いない。


「本当はさ、こっちより先に、伝えることがあったんだ。カラオケは行くかもとは思ったけど、密室で二人きりになっちゃうし……後半になるかなって思ってたから」


 でも、私は最初に行く場所に、カラオケを指定してしまった。

 とりあえず食事に行くとか買い物に行くとかして、疲れたらカラオケにしとけば良かったのに。

 それに優樹が言ったように、よくよく考えたら付き合ってもいないのに密室で二人って、まずかったかもしれない。


「それでさ……愛梨。気付いてるかもしれないけど」


 私は、息を呑んで、優樹の言葉を待つ。

 真っ直ぐに私を見つめるやさしい目元は、不安だけじゃなく、緊張が満ちていた。


「俺、愛梨のことが好き。高校の時から、ずっと好きだった」


「え……」


 私は驚きに目を見開いた。


 そんな前から?

 最近ではなかったの?

 だとしたら、全然、気付かなかった。


「――でもさ、愛梨は修二のことが好きだったろ? だから、俺、諦めてたんだ。スマホも、水没して連絡先消えたって言ったけど、本当は自分で消したんだよ」


 認めたくないが、周りもそう思っていたということは、私はやっぱり修二が好きだったんだろう。

 私が告白する勇気がなくて修二を諦めたように、優樹も私を忘れようと努力したんだ。


「けど、あの日、愛梨は俺たちのライブを一人で観に来た。俺のことを、ずっと目で追ってくれてた。幸せそうに、曲を聴いてくれた」


「あ……」


 タイムリープした直後に行った、masQuerAdesのライブ。

 あの時、公爵デュークは、優樹は、私を見つけてくれたんだ。


「それで、意を決して、家に行ったんだ。朋子のことを持ち出して、その流れで、愛梨の好きな人の――修二との関係を探ろうとした」


 優樹は、居心地悪そうに眉を下げて、続ける。


「脈がなさそうだったら、そのまま知らないふりして、演者とお客としての関係を続けようと思った。でもさ、愛梨は、修二のこと、もう好きじゃないみたいだったから」


 やさしい優樹は、自分を責めているのだろう。今や、泣きそうな表情だ。


「――俺、卑怯だよな。ごめん、突然こんなこと」


「卑怯なんかじゃ、ないよ」


 私は、すぐに否定した。

 優樹は誠実だ。こんなにも、真っ直ぐだ。

 彼が卑怯だっていうなら、私が今まで会ってきた他の人たち……修二や朋子は一体何なのか。


「……いや、俺は卑怯だ。俺が愛梨にとっての推しなのを知ってて、愛梨に恋愛感情を押し付けてるんだから。推しと恋愛対象は、別物……なんだろ? でも、その気持ちに引っ張られてくれるかもしれないって、心のどこかで思ってる。卑怯以外の何物でもない」


「だから、卑怯なんかじゃないってば。でも、推しと恋愛は別……それは、確かに、そうかな。引っ張られることも、私の場合は、ないかも」


「……だよな。ごめん」


 優樹の目に、諦めの色が宿った。

 違うのだ。そうじゃない。


「――ごめんじゃないんだよ。自分から言ったんだから、最後までちゃんと私の話を聞いて」


「……うん」


「確かに、公爵デュークは私にとっての推しで、恋愛対象とは違う。けど、優樹は……別だよ。優樹は、推しじゃなくて――」


 優樹は、顔を上げた。

 目と目が合う。


「少し前から、ばっちり、恋愛対象だよ」


「……!」


「私も、優樹が好き」


「愛梨……!」


 タイムリープしたら、推しと恋をする世界線でした。

 けど、推しと恋愛は別。

 私は、公爵デュークも、優樹も、どっちも大好き――。


 恋人になった優樹ひとが、おずおずと私の背中に手を回す。

 ギターを鳴らす、優樹推しのしなやかな細い指は、トレモロみたく小刻みに震えていた。


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