第47話 幸せに手を伸ばす

「カナコ、昨日絡まれたんだって? 若い女の子に」


 就業後、恒例の不味いコーヒータイム。カップを渡すなり、暁子がそう言う。彼女が知っているということは、犯人は一人である。


「絡まれた、というか。牽制された、というか」

「牽制って。聞いたけど、取引先の人に恋しちゃったんでしょう、その子。カナコまで牽制するって、よっぽどね」


 それほどに好きなのか。暁子は呆れているが、私はやはり複雑な気持ちだった。 


「相手は幾つくらいなの? 若い子なんでしょう? そんなの若い者同士でよろしくやってくれたらいいのにねぇ」

「あぁ……まぁそうなんだけど」

「何、歯切れ悪いわね」

「えっと……うん」

「おばさんを牽制してくるなんて、余裕のない子なのねぇ」

「おばさん、なんだけどさ」

「ん?」

「いや、その……お母さん、なのよ。私」

「んん?」


 躊躇いはあるが、暁子に隠すつもりはない。その相手がカナタであることを素直に話した。彼が私を探してくれて、取引出来るように営業をしたらしいことも。この話が上がるたびに、微妙な感情を持ってしまうことも。


「そうか、息子くんだったのかぁ……じゃあ、牽制されるわ」

「そうなの?」

「だって、息子の話を無表情で出来ると思う? 絶対に、いつもよりも嬉しそうな顔してたはずよ。ずっと会えなかった息子なんだから。きっとそれに敏感に気付いて、苛ついたってところじゃない?」

「それは考えなかったな。なるほど。否定は出来ないわ」

「でしょう。まぁそんなことなら、きっとその子は別の同性も威嚇してるでしょうね。百合ちゃんが怒る気持ちも分かるわぁ。そんなのでチームの雰囲気乱されたくないもん」

「確かにねぇ。でも、五十嵐くんが上手に諌めてくれたよ」


 へぇ、と無関心に言った暁子は、煮詰まったコーヒーに口を付ける。だけど僅かに、カップから離れた唇が緩んだ。


「同性、異性というよりも、性格の問題なんだろうけどね。私や百合は、苛立ちが勝ってたと思う。でも五十嵐くんは、とても穏やかに場を収めてくれたんだ。小さい子を諭すようではあったけれど、あの時の彼女はそれで良かったと思うよ」

「へぇ、そうなんだ」

「うん。あ、そうだ。今度、鎌倉に行くんだって?」

「え、何で知ってるの」

「五十嵐くんは、暁子のことを大切に思ってるからね。私に不義理を働いてはいけないって思ってるみたいなの。だから最近は、毎週報告と相談受けてるんだよね」

「あぁ……なんかごめん?」


 二人で首を傾げ、ちょっと笑った。五十嵐くんはきっと、この報告はずっと続けていくだろう。暁子と正式にお付き合いしたら、なくなるのだろうが。それまでは律儀に続いていく気がする。

 

「ねぇ暁子。彼を応援してて大丈夫?」

「……うん。そろそろね、ちゃんと答えなきゃなって思ってるの。ほら、前にカナコ言ったなじゃい? 宏海くんのこと認めたくなかったけど、今のポジションを誰にも渡したくないって。それと同じような気持ちなのかなって、最近思うようになって。渉くんが他の人と結婚とかするのを祝福できるかって思ったら、ちょっと嫌だなって思ったの」


 気恥ずかしそうに言う暁子は、ちゃんと恋する女の顔だった。

 私がそう言ったのだから、その気持は当然分かる。宏海と共に過ごす時間が楽しくて、幸せで、誰にも取られたくない。私の場所に、他の人がいるのを想像できないし、したくないのだ。それはきっと、匡にだって。

 

「暁子、私もね。カナタとのことがきちんと落ち着いたら、宏海に打ち明けようと思ってるの。カナタのことも全部話して、きちんと気持ちも伝えようって」

「カナコ……そこまで決意を固めたの?」

「うん。別の問題が起きたら冷静になった、というか。問題がクリアになったというか。これはきちんとケリを付けなきゃいけない問題で。特に私たちは、もう生活を共にしてるからね。ダラダラともし続けられないし」


 言葉にすると、どんどんブラッシュアップされる。宏海には、全て話をしなきゃいけない。包み隠さず、本当の気持ちをぶつけたい。匡への気持ちに気付いていることは、知られない方がいいのかも知れないけれど。きちんと彼に、思いを伝えたいと思っている。


「なんかさ。カナコ、ようやく前を見たね」

「どういう意味よ」

「その通りよ。いつだって、諦めてたでしょう? 何をするのも。でも、息子くんと会えて、ようやく自分自身を見るようになった。自分が幸せになる方法を見ることが出来るようになった。そんな風に見えたから」

「そう、かなぁ」


 それは事実だろう。ずっとあの離婚を後悔し、カナタの幸せだけを祈ってきた。そこに自分の幸せなんてなかった。あの子が幸せならばそれだけでいい。そう、ずっと思ってきたから。再会することが出来て、もう一度あの子の名を呼べた。大人になった顔も見られて、毎日連絡も出来ている。

 そんな日々に興奮し、安心して、私は自分の内側に目を向けたのだ。何も見えていなかった未来を、少しずつ見るようになった。暁子の言う通り。もう数十年と考えていなかった自分の幸せについて考え、行動をしようとしている。色んな感情を忘れていて、ハッとすることもあるけれど。私は今、ようやく幸せに手を伸ばそうとしている。

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