第46話 私の息子

「今度、鎌倉に行こうと思うんです」

「鎌倉?」

「はい。箱根だとゆっくりするには、なんかこう……泊まりになってしまうと言いますか。その、県内なので日帰りでも行けはするんですけどね。でもそういった疚しい考えはないですよ、ということでの鎌倉です」

「はぁ……なるほど?」


 弁当を食いながら、五十嵐くんのお硬いお話を聞かされている。暁子の親友である私に、不埒なことは致しません、という宣言なのか。このまま放っておくと、その鎌倉の旅行プランを聞かされそうである。


「五十嵐くんが色々考えてくれてるのは、よく分かったよ。ありがとうね。暁子をとても大事にしてくれて」

「とっ、当然です」


 滑りかけたメガネをクイッとあげて、五十嵐くんはそう答えた。当然であります、とか言われなくて良かったと思っていることは黙っておこう。

 最近彼は、会えばこうして報告をくれる。それはまぁいいのだが、気になっているのは周りの目。五十嵐くんは、どれだけの人間に背を押されているのだろう。今にも、頑張れという声が聞こえてきそうなほど。こうなると流石に……こうして笑顔で受け止めてあげる以外にない。

 

「カナコ、またヨーグルト食べてるの」

「いいじゃない。美味しいんだから。それに腸活って大事よ?」

「そりゃそうだけど」


 ランチを乗せたトレーを持った百合が、呆れた顔をして隣の椅子を引く。五十嵐くんは小さく会釈して、食べる手を止めた。こういうのを見ると、百合は立派に部長なんだなと思う。そんなことしなくていいんだけど、と毎回呆れているが、五十嵐くんは止めないだろうと思う。


「そういうのはいいから」

「はい、すみません」

「私が萎縮させてるみたいでしょ。もうそんなことより、暁子さんとのことどうなの? 上手くやってる?」


 結局この話は、百合も知ることになった。私たち三人は、飲み友達でもある。だから尚更、気になるのだろう。ただ彼の恋について、私は暁子寄りでいるが、多分百合は五十嵐くん寄り。鎌倉の話をし始めれば、母のように、姉のように心配しているように見えた。頑張れよ。焦るなよ。そんな感情が聞こえてきそうだった。


「そうだ。ようやく佐々木さんと会えたんだって? この間、聞いたよ」

「あ、そうそう。ようやくね」


 そう先日、ようやくカナタと会うことが出来た。互いに笑わぬように、緊張感のある名刺交換だった。後で色々メッセージを送りあったのも、楽しかったな。二人の間は徐々に解れて、くだらない話をしたりすることもある。こういう時間も大事だ。私たちの距離を縮めて、両親に、宏海に、きちんと会わせたいから。

 そうやって真摯に向き合っているつもりだが、この間、急に宏海のことを問われた。母さんはどう思っているのか、と。あれは流石に困った。息子に、しかも長らく会えずにいた息子に、今の感情を吐露して良いものか。悩んで、悩んで、悩んで。でも結局は、素直に答えた。どんな些細なことであれ、今はあの子に嘘を吐くのが嫌だったのだ。


「佐々木さん、出来る子よ」

「あ、そうなんだ。そこまでは、お話出来なかったからなぁ。宏海も、いい案を出してくれるんだとは言ってたけど」

「そうなんだ。分かるかも。頭の整理が早いというか。可視化するのが上手いというか」

「へぇ」


 我が子が誰かに褒められるのは、こんなに照れくさいんだな。へへへ。体中がむず痒い。あの家の中で、真っ直ぐに育ったカナタ。当然、我慢をした何かはあっただろう。それでも、社会でこうして認められている。また頭を撫でたら、二十五の息子は流石に嫌がるだろうか。


「確かにそうですね。私も、そう感じます」


 百合に賛成した五十嵐くんも、彼はとてもしっかりしている、と褒めた。カナタの色んな努力が認められたようで嬉しい。ただその裏の辛さも、私は知らなければいけないけれど。


「何のお話ですかぁ」


 急に花が咲いたような声が掛かる。しっかりアイラインを引いた関根さんが、五十嵐くんの横に腰掛けた。クリっとしているけれど、少し小さめの目。それを彼女は気にしているのだろう。若いんだから、あまり濃くしない方がいいのにな。そう思うけれど、当然口にはしない。


「カナコがようやく佐々木さんと会えてね。良い子よねって話ししてただけよ」


 ランチを啄みながら、百合がそう説明してくれる。私は食べ終えたけれど、何となく席を立ちにくい。手持ち無沙汰に茶を啜って、適当に相槌を打った。


「確かに、佐々木さんっていい人ですよね。優しいですし。でも……カナコさん旦那さんいらっしゃるんですし、狙ったらダメですよ」

「……はぁ?」


 驚きすぎて、眉間に皺が寄ったし、えらく低い声が出た。何をどう見たら、そういう考えに至るのか。普通に分からず、ただ困惑する。


「関根さん、急に何言ってるの。冗談でも失礼よ」

「あ、ごめんなさい。そんなつもりはなかくて……気に障りましたよね。すみません」

「あぁ……いや、大丈夫です」


 謝ってはくれたけれど、まだ挑戦的な目をしているのが気になった。百合は私が怒ったのに気付いている。それに彼女も気に入らなかったのだろう。すぐさま部長の顔になった百合。私よりもヒートアップしそうで怯える。


「関根さん。彼が優しい人なのは分かるけれど、仕事とはきちんと線を引いてね。こんな事は言いたくないんだけれど、出来ないのならカメオカの担当から外します」

「えぇ……それは嫌です。困る……以後、気を付けます」

「次はないわよ。そうやって輪を乱されるのは、こっちも困るの。分かる?」

「はい。すみません」


 仕事なのだから、そう言われても仕方ないだろう。遊びではないのだ。ただ若干、言い過ぎな気もするが。彼女のことはあまり知らないし、口を挟まない方良かろう。間で、五十嵐くんがオロオロしている。きっと彼は、こういう争いは苦手だろうな。

 

「せ、関根さんの気持ちは、分かります。僕も同じように思ってしまうこともありますし」


 控え目に、五十嵐くんが口を開いた。とても穏やかな声色で。首を突っ込まないと思っていた私は、少し五十嵐くんを見直した。


「でも、百合さんの言うように、彼とのやりとりは仕事です。僕もその線引はきちんとして欲しいと思っています」

「……はい」

「でも、彼はとても魅力的な人ですよね。僕から見ても、いい男だなぁって思いますから。そういう感情を持ってしまうのも分かります。でも、まだ取引は続きます。だからそれは、心にしまっておいてくださいね」


 冷静に、五十嵐くんが彼女を諌めた。百合もそれを見て冷静になったのだろう。五十嵐くんの言葉に、大きく頷く。まぁでも佐々木くんなら仕方ないよね、と。

 私は、彼らの話を微妙な気持ちで聞いている。カナタがこうして認められているのは嬉しい。でも色恋の感情が混じっているのを聞かされるのは、どうしたらいいんだろう。事実を宣言できないのだから、仕方ないか。あぁ言ってしまえたら、いいのにな。彼は私の息子です、と。

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